先日、ツイッター上で茂木健一郎さんが、ツイッターラジオという試みをしておられました。
音声のラジオというわけではないのですが、リアルタイムのやり取りになるので、
このように名付けられたそう。
その中で、「子どもの頃の夢」というお題がありました。
たまたまその時間、ツイッターを見ていた人が、
「自分は子供の頃こんな夢を持っていた」とか「こんな子供だった」とか
あれこれ書き、それに茂木さんのレスが付けられると言うもの。
そしてその最後に茂木さんは、現代人は時間に追われ、前のめりに生きているので、
時にこうした事を考えると違う形で脳を使う事になり、バランスが取れるとのコメントを寄せておられました。
そんなわけで久しぶりに、私の子どもの頃の夢って何だっけ?と考えてみました。
小学校二年生の文集には「ピアニスト」とか書いてますけど(笑)
それって、なんか作為的っぽい。
何か、もっと根源的な・・・と考えていると、少しずつ出て来ました。
そう、私はモノを擬人化して遊ぶのが好きでした。
12歳まで一人っ子だったせいもあるのでしょうが、
おまけにもらったマスコットやら、
夏みかんのネットをクルクルッと丸めて作ったリンゴ(分かりますか?笑)まで
ちゃんと役割が与えられており、お話が展開していました。
そう言えば、乗っていた自転車も何故か馬という設定になっており、
名前がついていました。
私の育った時分には、東京郊外の団地と言えど近所にまだまだ訳の分からない茂みやら、
怪しい工場やら、建材置き場などがありました。
それらは子どもの想像力を掻き立て、
私は秘密基地を作りたいと、半ば本気で考えたりしました。
外側から見るとただの茂み。
でも秘密のルートを通ると、そこには生活用品があって。。。なんていうスペースです。
様々な妄想が湧き上がるのでした。
小学一年だか二年だかに転校して来た女の子がおり、
しばらく仲良くしていました。
彼女は森の奥深くに「黄色い公園」があると言うのです。
そんな公園は全く知られておらず、彼女曰く秘密の公園なんだとか。
私はどれだけ連れてってとせがんだ事でしょう。
しかし、それはついに叶いませんでした。
彼女も私に劣らず妄想が逞しい子どもだったのだと知った頃には
彼女はまた別の町に転校していました。
ところで、私の育ったン十年前ですけれど、公園の遊具がとても独創的でした。
私のいた団地はとても大きかったので、たくさんの公園がありましたが、
それぞれに特徴的な遊具がありました。
チューリップの形を模した滑り台は不思議な形をしており、
かくれんぼに最適でした。
普通に滑るばかりでなく、下から登ったり。
その時にはまた違う筋肉やバランス感覚が鍛えられたなぁと思うのです。
その他、貝殻を模したもの、バラの花を模したものなど個性豊かでした。
ところが、月日が経つうち、それらは少しずつ取り壊されて、
ごくごくシンプルな遊具のフリースペースのような公園に取って代わるようになりました。
確かに遊具からの転落など、危ない事もあったり、
仕方のない部分もあったのでしょう。
また、まちづくりの哲学なども時代と共に進歩しているのかもしれません。
が、今はどこもかしこも整えられ過ぎてしまい、
妄想を逞しくする余地も残されていないなぁ~と言うのが、
郊外に住む私の感想です。
それとも、私が年をとってしまい、想像力が大幅にダウンしてしまったのかもしれません。
子どもは今でも、私などの考えつかない所から、物語を生み出してその中に生きているのかもしれません。
子どもの頃の夢は拙いものだけど、だからこそ、そこに自分と言う人間の真実が投影されているのかもしれない。
と、茂木さんはおっしゃっています。
自分と言う人間の真実かぁ。
あれこれ思い出したせいか、何だか、
未知の場所へ行ってみたくなってしまいました。。。(笑)
音声のラジオというわけではないのですが、リアルタイムのやり取りになるので、
このように名付けられたそう。
その中で、「子どもの頃の夢」というお題がありました。
たまたまその時間、ツイッターを見ていた人が、
「自分は子供の頃こんな夢を持っていた」とか「こんな子供だった」とか
あれこれ書き、それに茂木さんのレスが付けられると言うもの。
そしてその最後に茂木さんは、現代人は時間に追われ、前のめりに生きているので、
時にこうした事を考えると違う形で脳を使う事になり、バランスが取れるとのコメントを寄せておられました。
そんなわけで久しぶりに、私の子どもの頃の夢って何だっけ?と考えてみました。
小学校二年生の文集には「ピアニスト」とか書いてますけど(笑)
それって、なんか作為的っぽい。
何か、もっと根源的な・・・と考えていると、少しずつ出て来ました。
そう、私はモノを擬人化して遊ぶのが好きでした。
12歳まで一人っ子だったせいもあるのでしょうが、
おまけにもらったマスコットやら、
夏みかんのネットをクルクルッと丸めて作ったリンゴ(分かりますか?笑)まで
ちゃんと役割が与えられており、お話が展開していました。
そう言えば、乗っていた自転車も何故か馬という設定になっており、
名前がついていました。
私の育った時分には、東京郊外の団地と言えど近所にまだまだ訳の分からない茂みやら、
怪しい工場やら、建材置き場などがありました。
それらは子どもの想像力を掻き立て、
私は秘密基地を作りたいと、半ば本気で考えたりしました。
外側から見るとただの茂み。
でも秘密のルートを通ると、そこには生活用品があって。。。なんていうスペースです。
様々な妄想が湧き上がるのでした。
小学一年だか二年だかに転校して来た女の子がおり、
しばらく仲良くしていました。
彼女は森の奥深くに「黄色い公園」があると言うのです。
そんな公園は全く知られておらず、彼女曰く秘密の公園なんだとか。
私はどれだけ連れてってとせがんだ事でしょう。
しかし、それはついに叶いませんでした。
彼女も私に劣らず妄想が逞しい子どもだったのだと知った頃には
彼女はまた別の町に転校していました。
ところで、私の育ったン十年前ですけれど、公園の遊具がとても独創的でした。
私のいた団地はとても大きかったので、たくさんの公園がありましたが、
それぞれに特徴的な遊具がありました。
チューリップの形を模した滑り台は不思議な形をしており、
かくれんぼに最適でした。
普通に滑るばかりでなく、下から登ったり。
その時にはまた違う筋肉やバランス感覚が鍛えられたなぁと思うのです。
その他、貝殻を模したもの、バラの花を模したものなど個性豊かでした。
ところが、月日が経つうち、それらは少しずつ取り壊されて、
ごくごくシンプルな遊具のフリースペースのような公園に取って代わるようになりました。
確かに遊具からの転落など、危ない事もあったり、
仕方のない部分もあったのでしょう。
また、まちづくりの哲学なども時代と共に進歩しているのかもしれません。
が、今はどこもかしこも整えられ過ぎてしまい、
妄想を逞しくする余地も残されていないなぁ~と言うのが、
郊外に住む私の感想です。
それとも、私が年をとってしまい、想像力が大幅にダウンしてしまったのかもしれません。
子どもは今でも、私などの考えつかない所から、物語を生み出してその中に生きているのかもしれません。
子どもの頃の夢は拙いものだけど、だからこそ、そこに自分と言う人間の真実が投影されているのかもしれない。
と、茂木さんはおっしゃっています。
自分と言う人間の真実かぁ。
あれこれ思い出したせいか、何だか、
未知の場所へ行ってみたくなってしまいました。。。(笑)