Counting Blessings

シンガーソングライター Yumiko Beckの
活動やあれこれ。

さとにきたらええやん

2016年10月29日 | 映画
毎朝届く関根一夫先生のメルマガで、映画「さとにきたらええやん」が紹介されていました。
何だか観ておく必要がある気がして、シネマ・チュプキ・タバタと言う小さな小さな映画館へ足を運びました。

映画の内容は関根先生がブログの中で詳しく書かれているので、ぜひそちらをご覧頂く事として。

こういうものに触れると、自分の内側を探られますね。
自分では結構ヘトヘトになりながら日々頑張ってる気がしますけど、いやいやまだまだ全然。
暮らしや生き方が生ぬるいなぁ・・・とつくづく感じます。
じゃあ、だからと言って全てを捨てて何かしなければ!と言うのもどこか勘違い。
今置かれている場所に心を注ぎながら、1センチ遠くまで手を伸ばしてみる・・・と言う所かなぁ、などと思っていました。

毎日1センチ。

でも積み重なれば、何年か後に辿り着く場所は随分違うのだろうなぁ。

主題歌や挿入歌はラッパーのSHINGOさんと言う方。これもまた、良かったです。

海よりもまだ深く

2016年06月04日 | 映画
幼なじみが映画「海よりもまだ深く」を紹介してくれた。
何でも私たちが育った清瀬の旭ヶ丘団地が舞台だって言う。
で、清瀬を離れて久しい親御さんに観せたいが、果たして親が観ても平気な映画かどうか下見して来て欲しいって言う(笑)。

・・・親子と言うものはいつ頃からこうも逆転するものなんだろうか。

ちょうど最寄り駅の映画館でやってたので、家事の合間にサクッと観て来ようと思った。
色々とやらなきゃいけない事もあるけど、ちょっと脇へどけて、思い立ったが吉日。
テレビのない生活を長く続けている私にとっては、こういう情報は逃しがち。たまたま教えてもらえたのは、これはもうタイミングだと思った。

そんなわけで、既にCMの始まっていた暗い映画館へ滑り込む。思いの外結構混んでた。

もう、冒頭から勝手知ったる景色ばかりで胸いっぱい。
駅の立ち食い蕎麦屋も、バスの青い座席も、今やかつての面影はないシャッター通りの商店街も、団地内の小道も、所狭しとモノが収納されている狭い間取りも。
そうそう、これが私が育った場所、そして、今も年老いた両親が住む世界だ。
そう言えば、同じ団地内でも賃貸の棟と分譲の棟とがあって、その間に漂う微妙な格差感みたいな所まで丁寧に描かれていて、思わず笑った。

旭ヶ丘団地に9歳から28歳まで住んだと言う是枝監督。公式サイトを読んだら、脚本の1ページ目に書いたのは、

「みんながなりたかった大人になれるわけじゃない」

と言う一文だったそう。
これってある意味普遍的なテーマかもしれない。

そして、エンディングで流れるハナレグミの歌う「深呼吸」
冒頭の、

「夢見た未来ってどんなだっけな」

これがまた泣かせる。

この感覚、久しく忘れていたなぁ。。。
私はいつの頃かに気づいてしまったのだ。

「あれ?私、もう未来を夢見る歳じゃないよ。」



臨床心理士の藤掛明先生が紹介されている人生時計というのがある。
自分の年齢を3で割るのだそうだ。18歳の若者は18÷3で6、つまり朝の6時。これから一日が始まる。
そのように考えると人生の真昼は36歳と言う事になる。
なので、36歳まではイケイケドンドンで、広げて行けば良いが、そこから先は引き出しの数は増やさずに、前半戦で広げたものを深めて行く段階に移行するのが良いそうだ。
しかし、その移行がうまく行かなくて、中年の危機に陥ってしまう人たちがいると言う。

人生時計が午後へと進む頃、大なり小なり人は皆思うのかもしれない。

「こんなはずじゃなかった。」

そして人生の後半戦は、そことうまく折り合って行く作業と言うか、自分がそれまで軽視して忘れ去っていたもう一人の自分を統合して行く過程なのだと知った。
それにしても、ピークが36歳とはいかんせん早過ぎる。あの頃の私、まだまだ自分はこれからだって思ってたなー。

ところで、以前にSMAPが歌って大ヒットした「夜空ノムコウ」と言う歌があったがあの歌も確か同じテーマだった。
ご記憶の方も多いだろう。

「あの頃の未来に ぼくらは立っているのかなぁ・・・」

リリースは1998年。昨日の事のようだけど、もう18年も昔の話だ。

あの歌が流行った頃、それはまさに私の心を言い当てているようだと思った。
「切ない」と言う言葉がピッタリだった。
人生時計もまだ昼前だった。

あれから18年。

あの頃の未来に ぼくらは立っているのかなぁ・・・

ううん。立ってない。
全然違う(笑)。

でもね、いいんだ。それでいいの。
あの頃の未来じゃない現実を受容している自分がいる。

私の人生の統合作業は、今の所どうやらうまく進んでいるらしい。

300 帝国の進撃

2014年07月02日 | 映画
映画1,000円の日だから行こう、行こうと言う夫に負けて、
しょうがなく(?)昨日は仕事の後、六本木TOHOシネマへ。

目当ては「300スリーハンドレッド 帝国の進撃」
前作「300スリーハンドレッド」の続編。

B.C.480年の、ペルシア遠征軍とギリシア連合軍との
サラミス海戦を下敷きにした映画だった。

映画自体は残虐な戦闘シーンばかり。
ちょっともう私には刺激が強過ぎると言った感じ。

この遠征を行ったペルシアの王、クセルクセス一世が、
映画の中ではツルツルの肌の神王として描かれているが、
これが旧約聖書のエステル記に出て来るアハシュエロス王
(新共同訳ではクセルクセス王)だそう。



エステル記には、ユダヤ人でありながらクセルクセスの王妃となったエステルが、
捨て身で王に進言し、すんでの所で自分の民族であるユダヤ人を
大虐殺から救ったと言う話が書いてある。
ハラハラドキドキの物語だ。

子供の頃からエステルの話は何度も聞いている。
当然エステルに感情移入して聴いているから、
エステルに目をかけたクセルクセス王が、
私の中では何となくいい人のカテゴリーに。。。

また、そこから更に60年近く遡ると、
バビロン捕囚のイスラエル人を解放したクロス王の記事も出て来る。
そうなると、何となくバビロンの酷さに対比するように
ペルシャには親しみが湧いていたものである。。。

・・・が、300スリーハンドレッドで描かれているペルシャ王は
当然の事ながら、全く違ったものであった。

数にものを言わせて、次々と周辺諸国を征服。
自国の兵士を犠牲にする作戦もまったく厭わない。
何故なら数がいるから、いくら犠牲にしても構わないのだ。

このように強大な権力を持ち、自らを神とし、自分の手の中にある命をいとも軽く扱う王。
この同じ王が、ある時は憐れみを持ち、特定の民族の命を救う。

矛盾とも言いたくなるような、何とも不思議な感覚に包まれる。
しかし同時に、そのもっと上には、このように恐ろしい王を使っても歴史を動かす、
神の見えざる手、絶対的な主権が見えてくるようでもあった。


・・・それにしても、映画を観てドッと疲れる、と言うのは。。。
年齢かな。

A Christmas Story

2012年12月24日 | 映画
クリスマス・イブ。
今年は振替休日となりました。

今日がクリスマスシーズンの山場!と言う方もいらっしゃるでしょう。
私は今日、明日とゆっくり家で過ごす予定です。

我が家の伝統(?)で、クリスマスには
DVDを3本観なければなりません(笑)。

今朝はそのうちの一つ、
A Christmas Storyを観ました。


恐らく日本語版は出ていないのではないかと思います。
日本では売れないと思われたのでしょう、確かに。
アメリカン過ぎます(笑)。

1940年代後半のアメリカの、ごく一般的な白人家庭のクリスマスを描いた話です。
アメリカではクリスマスにはTVで必ず放映される、という
もう、風物詩的な映画です。

主人公が子供時代のクリスマスを回想する、と言う設定で展開する物語。
1983年に公開されました。

'83年と言うと、私にとっては
「あら、そう昔でもないわね。」と言った感がありますが、
実は、それすらもう30年も昔なんですね!(Time is flying!)

この映画、結婚した頃から毎年「観させられて」います(笑)。
最初の頃は、夫による細かな解説付きで。
字幕も英語なので、一体何が面白いのかすら分からず。
けれど、毎年繰り返し観るうちに、段々楽しめるようになってきました。

決してリッチではないけれど、豊かな国アメリカのごく普通の4人家族。
主人公は2人兄弟のお兄さんです。

私の父の世代が戦後、
「自分たちはこんな国と戦争をしてたのか。」と呆然とした、、、と言う、
そんな国の当たり前のクリスマスシーズン。
それほど当時の日本の一般家庭とは
物質的な豊かさに差があり過ぎた、と言う事ですね。

クリスマスプレゼント、ターキー、クリスマスツリー、サンタ・・・。
あぁ、文化なんだなぁと思います。
日本に根付いていないのはターキーくらいでしょうか?

今年もまたこの映画を観ながら、笑いながら楽しみながら、
けれども、いつもの年とは少し違った感覚を味わっていました。

今のアメリカでどのくらいの人が、
この映画を自分の根っこのような気持ちで、
ちょっと切なくなりながらも、
あったかい気持ちで観る事が出来るのかな?とふと思い。

この映画が公開された頃、
若者にとっては、これは「自分の父親の子供時代のクリスマス」だったでしょうし、
働き盛りの世代にとってはノスタルジーを誘うものだったでしょう。

あれから30年。
世界は変わっています。
日本も変わっています。
そして、アメリカも。

人種の構成比もそうですし、
オバマ大統領が再選し、
アメリカの国民は所謂伝統的なアメリカの価値観からのチェンジを選んだのだ、
と言う人たちもいます。

日本もそう。
あのALWAYS三丁目の夕日の時代は貧しかったけれど、
「これから」という希望がありました。

翻って現在は?
失われた20年を経て、「これから」が今だに見えない日本。
高速で進歩するテクノロジーとグローバル化の中で、
10年後20年後、自分はどうやって生計を立てているのか?
みんなどんな風に暮らしているんだろうか?

要は、そんな世界のうねりの中で、
自分はどこによって立つか、という事なのですけれど。

さて、土曜日のマスタードシードのクリスマス会で
撮ってもらった写真です。


私のしているネックレス、
クリスマスの度に着けます。
結婚したばかりの頃に、夫からクリスマスプレゼントにもらいました。
当時住んでいたアパートの近所にガーナ人のジュエリーアーティストがいて、
彼に作ってもらったそうです。

日本では電飾に青のライトが目立ちますが、
彼にとってはクリスマスカラーとは、
どこまでも緑と赤なんだそう。

これも文化ですね。

このネックレスも年を経る毎に
段々ノスタルジーを帯びて行くような。。。

時間と言うものは重いものです。

かぞくのくに

2012年11月08日 | 映画
今朝Facebookにアメリカの義父の投稿がありました。

両親の家は丘の中腹に建っており、
その辺りの数軒の中では一番高い位置にあります。
(眺めは抜群です)

家の裏側は森になっており、山のような上り坂です。
昨日の午後、その森が火事になり、
義父は飼い犬のMダックス二匹と、義母(この順番だったそう)をつかまえ、
急いで避難したそう。

火が収まるまでに二時間かかったようです。
すぐ近所での火事でしたが、
両親の家にも家財にも何の被害もなく、
みんな無事でした。

本当によかったです。
一歩間違えば大惨事でした。

夫はこの頃、公私共にガッカリする事が続き、
毎日気を奮い立たせてはいるもののパッとしない。。。
そんな日が続いていました。

が、この火事騒ぎが、彼に高い視座を与えたようです。

家族が元気で暮らしている事。
それに勝る幸せはないのに、
いつの間にか色々な満たされない要求で心が疲弊する。。。
忘れやすい私たちなのです。


そんな今日、観た映画。

「かぞくのくに」

1950年代から1984年まで、在日朝鮮人の方々が
北朝鮮へと移住して行った帰国事業。

在日朝鮮人の主人公リエは
東京に両親と住んでいます。
リエの兄は25年前、16歳の若さで理想の国と信じて祖国へ渡ります。

そしてそのまま日本には帰れなくなるのですが、
脳腫瘍を患い、その治療の為特別に許可をもらって、
三ヶ月の期限付きで25年ぶりに
日本に住む家族の元に帰って来ます。
その様子を描いた映画でした。
舞台は1997年の日本です。

無口になって、自分の事をしゃべろうとしない兄が、
力を込めてリエに語った言葉が、
心に響きました。

「お前はいっぱい考えて、考えて、納得して生きろ」

考える事を放棄して、誰かに手を引っ張って連れて行ってもらおう、なんてとんでもない事なのだ。
少なくとも考える自由が与えられている私たちは。

それはお上ばかりでなく、
ある時は属する組織であるかもしれないし、
時には宗教的な常識でさえあるかもしれないけれど。

自分はどこへ行くのか、
何をすべきか、
いや、そもそもどう在るべきか。


今やTVがない我が家なので、めっぽう情報が遅いのですが、
この映画はギリギリセーフで観る事が出来ました。

観終わった後は、かなり消耗しました。。。
でも、無理をしてでも行ってよかったです。