幼なじみが映画「海よりもまだ深く」を紹介してくれた。
何でも私たちが育った清瀬の旭ヶ丘団地が舞台だって言う。
で、清瀬を離れて久しい親御さんに観せたいが、果たして親が観ても平気な映画かどうか下見して来て欲しいって言う(笑)。
・・・親子と言うものはいつ頃からこうも逆転するものなんだろうか。
ちょうど最寄り駅の映画館でやってたので、家事の合間にサクッと観て来ようと思った。
色々とやらなきゃいけない事もあるけど、ちょっと脇へどけて、思い立ったが吉日。
テレビのない生活を長く続けている私にとっては、こういう情報は逃しがち。たまたま教えてもらえたのは、これはもうタイミングだと思った。
そんなわけで、既にCMの始まっていた暗い映画館へ滑り込む。思いの外結構混んでた。
もう、冒頭から勝手知ったる景色ばかりで胸いっぱい。
駅の立ち食い蕎麦屋も、バスの青い座席も、今やかつての面影はないシャッター通りの商店街も、団地内の小道も、所狭しとモノが収納されている狭い間取りも。
そうそう、これが私が育った場所、そして、今も年老いた両親が住む世界だ。
そう言えば、同じ団地内でも賃貸の棟と分譲の棟とがあって、その間に漂う微妙な格差感みたいな所まで丁寧に描かれていて、思わず笑った。
旭ヶ丘団地に9歳から28歳まで住んだと言う是枝監督。公式サイトを読んだら、脚本の1ページ目に書いたのは、
「みんながなりたかった大人になれるわけじゃない」
と言う一文だったそう。
これってある意味普遍的なテーマかもしれない。
そして、エンディングで流れるハナレグミの歌う「深呼吸」
冒頭の、
「夢見た未来ってどんなだっけな」
これがまた泣かせる。
この感覚、久しく忘れていたなぁ。。。
私はいつの頃かに気づいてしまったのだ。
「あれ?私、もう未来を夢見る歳じゃないよ。」
臨床心理士の藤掛明先生が紹介されている人生時計というのがある。
自分の年齢を3で割るのだそうだ。18歳の若者は18÷3で6、つまり朝の6時。これから一日が始まる。
そのように考えると人生の真昼は36歳と言う事になる。
なので、36歳まではイケイケドンドンで、広げて行けば良いが、そこから先は引き出しの数は増やさずに、前半戦で広げたものを深めて行く段階に移行するのが良いそうだ。
しかし、その移行がうまく行かなくて、中年の危機に陥ってしまう人たちがいると言う。
人生時計が午後へと進む頃、大なり小なり人は皆思うのかもしれない。
「こんなはずじゃなかった。」
そして人生の後半戦は、そことうまく折り合って行く作業と言うか、自分がそれまで軽視して忘れ去っていたもう一人の自分を統合して行く過程なのだと知った。
それにしても、ピークが36歳とはいかんせん早過ぎる。あの頃の私、まだまだ自分はこれからだって思ってたなー。
ところで、以前にSMAPが歌って大ヒットした「夜空ノムコウ」と言う歌があったがあの歌も確か同じテーマだった。
ご記憶の方も多いだろう。
「あの頃の未来に ぼくらは立っているのかなぁ・・・」
リリースは1998年。昨日の事のようだけど、もう18年も昔の話だ。
あの歌が流行った頃、それはまさに私の心を言い当てているようだと思った。
「切ない」と言う言葉がピッタリだった。
人生時計もまだ昼前だった。
あれから18年。
あの頃の未来に ぼくらは立っているのかなぁ・・・
ううん。立ってない。
全然違う(笑)。
でもね、いいんだ。それでいいの。
あの頃の未来じゃない現実を受容している自分がいる。
私の人生の統合作業は、今の所どうやらうまく進んでいるらしい。
何でも私たちが育った清瀬の旭ヶ丘団地が舞台だって言う。
で、清瀬を離れて久しい親御さんに観せたいが、果たして親が観ても平気な映画かどうか下見して来て欲しいって言う(笑)。
・・・親子と言うものはいつ頃からこうも逆転するものなんだろうか。
ちょうど最寄り駅の映画館でやってたので、家事の合間にサクッと観て来ようと思った。
色々とやらなきゃいけない事もあるけど、ちょっと脇へどけて、思い立ったが吉日。
テレビのない生活を長く続けている私にとっては、こういう情報は逃しがち。たまたま教えてもらえたのは、これはもうタイミングだと思った。
そんなわけで、既にCMの始まっていた暗い映画館へ滑り込む。思いの外結構混んでた。
もう、冒頭から勝手知ったる景色ばかりで胸いっぱい。
駅の立ち食い蕎麦屋も、バスの青い座席も、今やかつての面影はないシャッター通りの商店街も、団地内の小道も、所狭しとモノが収納されている狭い間取りも。
そうそう、これが私が育った場所、そして、今も年老いた両親が住む世界だ。
そう言えば、同じ団地内でも賃貸の棟と分譲の棟とがあって、その間に漂う微妙な格差感みたいな所まで丁寧に描かれていて、思わず笑った。
旭ヶ丘団地に9歳から28歳まで住んだと言う是枝監督。公式サイトを読んだら、脚本の1ページ目に書いたのは、
「みんながなりたかった大人になれるわけじゃない」
と言う一文だったそう。
これってある意味普遍的なテーマかもしれない。
そして、エンディングで流れるハナレグミの歌う「深呼吸」
冒頭の、
「夢見た未来ってどんなだっけな」
これがまた泣かせる。
この感覚、久しく忘れていたなぁ。。。
私はいつの頃かに気づいてしまったのだ。
「あれ?私、もう未来を夢見る歳じゃないよ。」
臨床心理士の藤掛明先生が紹介されている人生時計というのがある。
自分の年齢を3で割るのだそうだ。18歳の若者は18÷3で6、つまり朝の6時。これから一日が始まる。
そのように考えると人生の真昼は36歳と言う事になる。
なので、36歳まではイケイケドンドンで、広げて行けば良いが、そこから先は引き出しの数は増やさずに、前半戦で広げたものを深めて行く段階に移行するのが良いそうだ。
しかし、その移行がうまく行かなくて、中年の危機に陥ってしまう人たちがいると言う。
人生時計が午後へと進む頃、大なり小なり人は皆思うのかもしれない。
「こんなはずじゃなかった。」
そして人生の後半戦は、そことうまく折り合って行く作業と言うか、自分がそれまで軽視して忘れ去っていたもう一人の自分を統合して行く過程なのだと知った。
それにしても、ピークが36歳とはいかんせん早過ぎる。あの頃の私、まだまだ自分はこれからだって思ってたなー。
ところで、以前にSMAPが歌って大ヒットした「夜空ノムコウ」と言う歌があったがあの歌も確か同じテーマだった。
ご記憶の方も多いだろう。
「あの頃の未来に ぼくらは立っているのかなぁ・・・」
リリースは1998年。昨日の事のようだけど、もう18年も昔の話だ。
あの歌が流行った頃、それはまさに私の心を言い当てているようだと思った。
「切ない」と言う言葉がピッタリだった。
人生時計もまだ昼前だった。
あれから18年。
あの頃の未来に ぼくらは立っているのかなぁ・・・
ううん。立ってない。
全然違う(笑)。
でもね、いいんだ。それでいいの。
あの頃の未来じゃない現実を受容している自分がいる。
私の人生の統合作業は、今の所どうやらうまく進んでいるらしい。