人生何度目かのギターに挑戦中です。
夏の初めにギンイロヒコーキコーヒーハウスにて、初めてレッスンを受けてから、
早5ヶ月です。
本当ならとうにジャカジャカ弾けるようになっていたはずが、、、
未だ基本のコードを押さえるのにも四苦八苦。
弦を押さえた指の腹が隣りの弦に当たってしまって、
隣りの弦の響きを消してしまったり、
指をいっぱい広げたらもう、小指で弦を押さえるだけの力が残っていなかったり。
ギターを弾ける人たちって、一体どんな指の構造をしているのかしら?
ホントに信じられません!
ところで、マルコム・グラッドウェル著の「OUTLIERS(邦題:天才!)」によると、
プロフェッショナルな熟達までには約1万時間が必要との事です。
天才という響きは多分に先天的なものを感じさせますが、
原題のOUTLIERSは並外れた、とか飛び抜けた、という意味で、
むしろ素質に加えて置かれた環境の大切さに言及しています。
例えば、ある分野のプロとして仕事をして行きたいと思ったら、
その人が市場に出る18歳とか20代前半までに熟達の域に達していて目に留まる必要がある。
そして、その時期までに1万時間を掛けられるかどうか、と言うのは
多分に環境に左右される、と。
1万時間というのは例えば毎日6時間費やしたとして、5年弱です。
昔、ピアノで音大に入りたいと思ったら、一日何時間もの練習を何年も続けなくちゃいけないよ。
と言われましたが、確かに理にかなっています。
ピアノに限らず、何かを毎日数時間続ける、、、ってやはり環境は大きい。
ピアノを例にとってみても、毎日そんなに長時間弾いても大丈夫な環境は、
誰でもに許されるものではありません。
そして、何よりもそれをそんなに毎日やっても飽きないで続けられるかどうか、、、
まぁ、それが先天的な才能と言う部分なのでしょう。
一人一人がそれぞれに与えられた興味(才能と呼びましょう!)を
子供の頃から存分に伸ばす環境が与えられたらどんなにか、、、と思います。
仕事を始める年齢になる事には、ある程度その分野で熟達したレベルから始められるのです。
そう考えると、どうしても学校教育が、、、と言う話に行き着いてしまいます。
学校で毎日何時間過ごした事でしょうか。
色んなメニューを満遍なく摘みはしたものの、時間がもったいなかったなぁ。。。
と言う授業もずいぶんあったような気が。。。
けれど、みんながある一定レベル以上の教育を受けられると言う点では
今の仕組みが機能しているのでしょう。
一人一人に合った特別メニューなんて、それこそ大変なコストが掛かってしまいます。
しかし、グローバル化した世界では突出した能力が求められ、
それはあれもこれも満遍なく、、、と言う教育スタイルでは到底習得出来ないと思うのです。
そこでまた、教育格差が生まれ、それが先の格差へ、、、解けない知恵の輪のような連鎖が。。。
ギターの練習からずいぶん話が飛んでしまいました。
今、うちにピアノを習いに来ている大人の方が、毎日練習した時間を記録しているそうです。
習い始めて約3年間ほど経ちましたか、
せいぜい1日30分強という時間しか取れないそうですが、
私からするとこれを継続しているのはすごい事だと思います。
現在数百時間という所でしょうか。
まずは千時間を目標としているそう。
その方の読んだ理論によると、7~800時間を超えた辺りからグイッと伸びるらしいのです。
ご自分に起こる変化を期待しながら、継続しているのが面白いと思いました。
そんなわけで、未だ基本コードを押さえる事もままならないギターですが、
ちょっと練習時間の積み上げを記録してみようか?なんて考えています。
日々の事、追いかけて来る色んな事に紛れて、後回しになりがちな事を継続する仕掛けを
あれこれ模索中、、、と言う事です。
ところで、私の好きなスピーチです。
ケン・ロビンソン「学校教育は創造性を殺してしまっている」
一聴の価値あり。
夏の初めにギンイロヒコーキコーヒーハウスにて、初めてレッスンを受けてから、
早5ヶ月です。
本当ならとうにジャカジャカ弾けるようになっていたはずが、、、
未だ基本のコードを押さえるのにも四苦八苦。
弦を押さえた指の腹が隣りの弦に当たってしまって、
隣りの弦の響きを消してしまったり、
指をいっぱい広げたらもう、小指で弦を押さえるだけの力が残っていなかったり。
ギターを弾ける人たちって、一体どんな指の構造をしているのかしら?
ホントに信じられません!
ところで、マルコム・グラッドウェル著の「OUTLIERS(邦題:天才!)」によると、
プロフェッショナルな熟達までには約1万時間が必要との事です。
天才という響きは多分に先天的なものを感じさせますが、
原題のOUTLIERSは並外れた、とか飛び抜けた、という意味で、
むしろ素質に加えて置かれた環境の大切さに言及しています。
例えば、ある分野のプロとして仕事をして行きたいと思ったら、
その人が市場に出る18歳とか20代前半までに熟達の域に達していて目に留まる必要がある。
そして、その時期までに1万時間を掛けられるかどうか、と言うのは
多分に環境に左右される、と。
1万時間というのは例えば毎日6時間費やしたとして、5年弱です。
昔、ピアノで音大に入りたいと思ったら、一日何時間もの練習を何年も続けなくちゃいけないよ。
と言われましたが、確かに理にかなっています。
ピアノに限らず、何かを毎日数時間続ける、、、ってやはり環境は大きい。
ピアノを例にとってみても、毎日そんなに長時間弾いても大丈夫な環境は、
誰でもに許されるものではありません。
そして、何よりもそれをそんなに毎日やっても飽きないで続けられるかどうか、、、
まぁ、それが先天的な才能と言う部分なのでしょう。
一人一人がそれぞれに与えられた興味(才能と呼びましょう!)を
子供の頃から存分に伸ばす環境が与えられたらどんなにか、、、と思います。
仕事を始める年齢になる事には、ある程度その分野で熟達したレベルから始められるのです。
そう考えると、どうしても学校教育が、、、と言う話に行き着いてしまいます。
学校で毎日何時間過ごした事でしょうか。
色んなメニューを満遍なく摘みはしたものの、時間がもったいなかったなぁ。。。
と言う授業もずいぶんあったような気が。。。
けれど、みんながある一定レベル以上の教育を受けられると言う点では
今の仕組みが機能しているのでしょう。
一人一人に合った特別メニューなんて、それこそ大変なコストが掛かってしまいます。
しかし、グローバル化した世界では突出した能力が求められ、
それはあれもこれも満遍なく、、、と言う教育スタイルでは到底習得出来ないと思うのです。
そこでまた、教育格差が生まれ、それが先の格差へ、、、解けない知恵の輪のような連鎖が。。。
ギターの練習からずいぶん話が飛んでしまいました。
今、うちにピアノを習いに来ている大人の方が、毎日練習した時間を記録しているそうです。
習い始めて約3年間ほど経ちましたか、
せいぜい1日30分強という時間しか取れないそうですが、
私からするとこれを継続しているのはすごい事だと思います。
現在数百時間という所でしょうか。
まずは千時間を目標としているそう。
その方の読んだ理論によると、7~800時間を超えた辺りからグイッと伸びるらしいのです。
ご自分に起こる変化を期待しながら、継続しているのが面白いと思いました。
そんなわけで、未だ基本コードを押さえる事もままならないギターですが、
ちょっと練習時間の積み上げを記録してみようか?なんて考えています。
日々の事、追いかけて来る色んな事に紛れて、後回しになりがちな事を継続する仕掛けを
あれこれ模索中、、、と言う事です。
ところで、私の好きなスピーチです。
ケン・ロビンソン「学校教育は創造性を殺してしまっている」
一聴の価値あり。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます