今年はご縁があって、実家の方で活動している
女声合唱団「コーラスクローバー」と
7月くらいまでご一緒する事になりました。
地域の方々が集まって、かれこれもう30年以上続いているかも。。。
私の小学一年生の時の担任の先生が指導しているんです。
技術の追求と言うよりは、心に染みる歌を味わい深く歌って行きましょう
という趣旨で、そこがいいなと思っています。
今日はその練習日。
どうせ近所に行くのだから、
ついでに実家でご飯でも食べてから練習に行こうかな~と考えました。
少~し日が長くなったのかな。
さすが実家飯は美味い。
鰹をフライパンで周りだけ焼いて、オリーブ油、マスタード、ケチャップを
混ぜ合わせたソースをかけたとか。
実はこれ、全部父が作っています。
母は数年前の病気の後遺症で家事があまり出来ないので、
父が代わって全部。
母が倒れる前は家の事はすべて母に任せきりで、
銀行のATMからお金を引き出した事もなかった父が、
今では一から十まで家の事を仕切っています。
人っていくつになっても
新しい状況に適応する事が出来るもんなんだなぁ・・・と
心底感心し、感動し。
父は淡々とした日々の暮らしを通して、
私に「生きる」という事を教えてくれます。
さて、私も加わって少し賑やかになった晩の食卓では
一杯機嫌の父も饒舌になりました。
テレビの天気予報の地図で霞ヶ浦が出て来ると・・・
「霞ヶ浦と言えば予科練。憧れたなぁ。。。」
聞けば、予科練の試験に合格するため、クラスメート数人と補修を受けていたとか。
その間に終戦になったそうです。
私にしてみれば、
「え~~っ。お父さんが予科練を目指していた、そんな話全然知らなかったよ~!」
てなもんです。
そして父とは年の離れた長兄と、隣家のお兄さんは同じ日に出征して、
隣りのお兄さんは硫黄島で玉砕したとか。。。
数年前に観た映画「硫黄島からの手紙」で実際に戦った人が、
こんなつながりのある所にいらしたとは。。。
村を上げて二人を見送って、伯父さんは国内に配属されて戦地へ行く前に終戦。
そして「元気で帰ってきます。」と挨拶した隣りのお兄さんは
帰らぬ人となりました・・・。
もしも伯父さんが帰らなければ、父は田舎で跡を継いでいたでしょうから、
私は今の私としては、存在しなかったのです。
母の昔話には子供の頃から嫌というほどつき合ってきました。
正直、母親の幼なじみの名前は空で言えるほどです。
けれど、父の歴史は本当に知りません。
私が子供だった頃、思い出すのは毎日遅くに帰って来て、土曜日も仕事。
日曜日は昼寝をしていた父の姿です。
そして、父が一線から退く頃には、今度は私が家を離れ、
日々の事に精一杯になり。。。
もっともっと父から聞いておくべき話があるような気がします。
実家へ行く口実を作ってくれる、
合唱団の仕事に感謝感謝です。
女声合唱団「コーラスクローバー」と
7月くらいまでご一緒する事になりました。
地域の方々が集まって、かれこれもう30年以上続いているかも。。。
私の小学一年生の時の担任の先生が指導しているんです。
技術の追求と言うよりは、心に染みる歌を味わい深く歌って行きましょう
という趣旨で、そこがいいなと思っています。
今日はその練習日。
どうせ近所に行くのだから、
ついでに実家でご飯でも食べてから練習に行こうかな~と考えました。
少~し日が長くなったのかな。
さすが実家飯は美味い。
鰹をフライパンで周りだけ焼いて、オリーブ油、マスタード、ケチャップを
混ぜ合わせたソースをかけたとか。
実はこれ、全部父が作っています。
母は数年前の病気の後遺症で家事があまり出来ないので、
父が代わって全部。
母が倒れる前は家の事はすべて母に任せきりで、
銀行のATMからお金を引き出した事もなかった父が、
今では一から十まで家の事を仕切っています。
人っていくつになっても
新しい状況に適応する事が出来るもんなんだなぁ・・・と
心底感心し、感動し。
父は淡々とした日々の暮らしを通して、
私に「生きる」という事を教えてくれます。
さて、私も加わって少し賑やかになった晩の食卓では
一杯機嫌の父も饒舌になりました。
テレビの天気予報の地図で霞ヶ浦が出て来ると・・・
「霞ヶ浦と言えば予科練。憧れたなぁ。。。」
聞けば、予科練の試験に合格するため、クラスメート数人と補修を受けていたとか。
その間に終戦になったそうです。
私にしてみれば、
「え~~っ。お父さんが予科練を目指していた、そんな話全然知らなかったよ~!」
てなもんです。
そして父とは年の離れた長兄と、隣家のお兄さんは同じ日に出征して、
隣りのお兄さんは硫黄島で玉砕したとか。。。
数年前に観た映画「硫黄島からの手紙」で実際に戦った人が、
こんなつながりのある所にいらしたとは。。。
村を上げて二人を見送って、伯父さんは国内に配属されて戦地へ行く前に終戦。
そして「元気で帰ってきます。」と挨拶した隣りのお兄さんは
帰らぬ人となりました・・・。
もしも伯父さんが帰らなければ、父は田舎で跡を継いでいたでしょうから、
私は今の私としては、存在しなかったのです。
母の昔話には子供の頃から嫌というほどつき合ってきました。
正直、母親の幼なじみの名前は空で言えるほどです。
けれど、父の歴史は本当に知りません。
私が子供だった頃、思い出すのは毎日遅くに帰って来て、土曜日も仕事。
日曜日は昼寝をしていた父の姿です。
そして、父が一線から退く頃には、今度は私が家を離れ、
日々の事に精一杯になり。。。
もっともっと父から聞いておくべき話があるような気がします。
実家へ行く口実を作ってくれる、
合唱団の仕事に感謝感謝です。
それに、改まって色々聞かせて下さいと言ったって、身内相手では何だか照れくさいですしね(笑)。
どうでもいい事を話す時間も、実はすごく大切なのではないかと思います。
お互い、親には感謝ですね。