YUNUBI

YUNUBI=ユヌビは、私が嫁いだこの地の方言名だ。30年余の会社経営、子育てに良くも悪くも終止符をうった。

オバァのストライキ

2010-10-07 | Weblog
YUNUBIの思い出を語ってくれ、ボルト工場進出阻止に女性がリーダーシップを取った事など、
とYUNUBIの市史編さんのメンバーが手書きのメモ用紙をおいていった。
 
17.8年前位になる。"ボルト工場ができるのではないか〝の情報は、
当時の"水の活動〟をしていた市民グループからもたらされた様に思う。

この情報に、YUNUBIの婦人会はすぐに反応した。
ボルト工場とは何ぞや?建築のボルト、金属加工、メッキ?と情報の確認をしていった。
婦人会は、実際にボルト製造工場を訪問し、メッキ後の排水が、地域を汚していることも知った。
YUNUBIの自然がメッキの有毒物質でこわれる。
豊かな水の上流のこの地域を守らなくては大変なことになる。
区民や行政が動き出し、何度も話し合いが行われた。


会社側とYUNUBIの話し合いは平行線のまま時が過ぎ、工場完成。
建物は、工場を思わせない倉庫のような建物で、水処理の施設などない。

マスコミでは、あるアナウンサーが、水に対する思いや行動力で、
自然の、いろいろな事例をアピールしていた。
その彼女のインタビュ-に、私は答えた。
子供たちの為に、工場は赦さない!と、怒った顔がTVに写された。

操業スタートの日、朝6時前。
工場の門前の道路に、私の愛車アベニールを1番に横づけた。
行動あるのみ、前日のYUNUBIの話し合いでそう決めた。
工場に車両の乗り入れを赦さない。操業を阻止する。
子供たちのためにこのYUNUBIの自然を守ろう、
勇気をだしてストライキ、自分を奮い立たせた。

工場の門付近には、私を驚かせた、車をもたない老人会のオバァたちがいた。
赤い鉢巻で座り込んでる。
オバァーたちは、子供たちの為にYUNUBIを守らんとネ~と凛とした顔で答えた。

長い1日だった。女たちが頑張った。
会社、市側、区民代表の男たちの話し合いを取り囲んだ。
赤い鉢巻のオバァたちから、エールをもらったYUNUBIの区民たちが駆けつけた。

YUNUBIの赤い鉢巻のオバァのストライキは大成功だった。
遠い日の記憶とならぬよう語らねば、女の魂がストライキをしたと。
コメント
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