YUNUBI

YUNUBI=ユヌビは、私が嫁いだこの地の方言名だ。30年余の会社経営、子育てに良くも悪くも終止符をうった。

今年ももう3ヶ月

2008-03-29 | Weblog
 2008年に入ってもう3ヶ月になる。文字通り目まぐるしかった2007年は会社経営の苦しい10年の1コマ。あれだけのいろんな事がコマ撮りの映写フィルムのごとく早周りをしてパチンと切れた1年だった。
 年が明けて子供達から2月、4月と相継いで結婚式をやると知らされた。2007年5月、私が結婚式どころではないとキャンセルを頼み込んですぐに会社は倒産した。 その子の2008年2月の結婚式が無事終わり、安心というお守り札をもらった。親として結婚式に出せるお金がないというのは不思議な開き直りが生まれた。子供達が健康で心優しく逞しい良い人間に育ってくれたと仏の様に見守れる心境なのだ。
 4月もすぐ、もう1人の結婚式もまじかく準備も着々と進み私ができる事は相談役くらいなもの。それぞれのパートナーには心配かけた。会社の倒産をほとんど子供達には知らせなかったから、その時の子供達の心境はつらかったに違いないが、パートナーの存在は有難く子供達を支えてくれたと思う。
 夫と語りあうことの1つに子供らが宝だねと言う事がある。その子供らの2世が6月、7月と相継いで誕生する。疲れた心に光が差し込まれたようだ。私らの2007年の戦いは水面下で続いている、早く決着をつけたい。
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黙々とバラの手入れ

2008-03-20 | Weblog
 会社や家でごたごたした事があると、よく庭で花の手入れをしてた。
特に休日は朝起きると何となく庭をみているうちに手入れを始め黙々と3時間はしてた。
 母がくれた野生種の強いバラは、太陽が当たる側にたわわに花をつけた。棘も強く油断ならない花だが深い赤が香りを伴い心休まる花だ。
 けど、私らが手放したこの家の解体もやがて来る。バラの行方も私らと同じかと、沢山のつぼみをつけたのを見ているとため息がでる。
 会社との戦いの最中、折れそうな心に娘から、淡いピンクの50本位の大きなバラの花束が誕生日祝いに届いた。つい昨日の様、55才になっていた。


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gooブログアドバンス参加中

2008-03-19 | Weblog
 gooブログからスタートして、ここ何ヶ月かPCと日々3、4時間は向き合いネットの社会が少しは判ってきた。
 当初の興味だったアフィリエイトをgooで展開したい。そこでgooアドバンスの参加が必要との事。
 アドバンスとフリーとの違いは使っていく内にわかると思うがPC用語はホントに記憶に残りづらい(こんな事言うの私だけ?)クイズに答えてトラックバックとやらも初挑戦するよ。
 それから、嬉しい事はこの機会に変えたテンプレートが素敵!

  クイズの答え インポート  希望商品 掃除機 
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仕事

2008-03-18 | Weblog
 次の債権者集会まで2ヶ月を切った。日々淡々と言うわけにはいかない。私らの今の状況に、周囲の人間も慣れてきたのか仕事の話をするようになった。      何年ぶりかの友人、銀行を退職した知人、この浅い人間関係は、私の性格に起因した仕事の話をもってきた。勝気=頑張り、健康=活動的、自信=行動的、明るさ=?誰とでも打ち解ける??
 そんな彼らが、いまの私に見えなくなった自分を知らしめた。心が人にあう場面をもやもやとイメージさせない自分がいる事に。人に会いたくないわけではない面倒なのだ、自分の立場をわきまえたくない自分がいる。
 倒産に追い込まれた以前の業界には関わりたくない。漠然とそう思っていた。資格やスキルが要求される組織の中で、本当に利益を追求する人間は10人に1人も育たなかった。それでも、私のスキルに注目してくれる業界の人間がいた。大事な資格、大切にしなさいと、イザとなれば何でも利用するかと開き直るべきか悩むほどの事ではないのに変にむきになる自分がいる。
 以前の業界に関わらず、自分の頑張りでやる、頑張る分結果がでる、そんな仕事の話だと思うことには出かけていき、情報を得ることだけ続けよう。
 一番の親友は、私の事務能力を高くかってくれて、会社の帳簿付けを依頼してきた。心使いに感謝し、そんな事ぐらいは、ボランティア精神でやってあげるよ、心配かけたし。
 今は、生き様を石橋たたくように心と向かいあうか---。
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債権者集会当日

2008-03-03 | Weblog
 30分程で、終わった。管財人が私らを調査し、回収した財産目録の読上げ、今後の目安、アパートの売却の検討等、いくつかの理由付けをして結局3ヶ月後に次の債権者集会が決定した。
 私は、あれ程細かい調書を提出したのに、ここ3ヶ月の管財人の仕事は、こんな程度の報告?あの報告の殆どは、私が実際に決算等の事務処理して裏づけできるものばかりで税の還付、労災の還付等やれることはやった結果ばかりではないか?
 ただ、やたらに時が過ぎるのを待つしかないのか、現実に金銭的余裕がない私らにはこの先3ヶ月は重い。が、それも、これも、弁護士にも、管財人にも関係ない事と、割り切らなければならないのだろう。
 債権者集会当日に、参加した債権者は3社程の営業社員や事務員が5、6人で、私らの様子伺いといった感じだった。
 夫は一切顔をあげず、私は先日までの管財人や弁護士とのやり取りを思い出し、管財人の言葉を聞き漏らすまいと、まっすぐに顔をあげ聞いていた。
 その視界の中に、債権者の社員の何とも言えない表情を見ていた。

 書くことは、今の私には淡々と自分を見つける時間。
ふと、gooの脳検メーカーのの文字にひかれ遊んでみた。
 私の名前はyunubiうそこさんの脳検の結果は不思議。
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債権者集会

2008-03-02 | Weblog
 債権者集会が、1週間位前になった。裁判所で、正式な破産手続き開始の出頭日から、3ヶ月間後の債権者集会は、私らにはある意味待ち望んだ日でもある。倒産を決めた日からは、9ヶ月経過したことになる。
 何度も書いた調書は、悔しさや、憤りを呼び起こしたが、時間の経過はそれらをなだめ、自分達がどれだけ懸命に、会社経営に取り組んだかを象徴のように、これでいいんだと思う様になった。そして、この曖昧な立場から、早く抜けたい思いも当然強くなってきた。
 
 その日は、新しい仕事の説明会に向かう車で高速道路に進入してから、管財人の電話が入った。調書の中から2.3点確認の後、ここしばらくに私が、債権者と対応したことに質問がきたので、説明のつもりが管財人が勝手な行動と怒り始めた。
 債権者が、債権の物件を引き取りに来たのに、立ち会った事に怒り始めたのだった。私は、破産を弁護士に依頼してからは、このことも含め、行動の前に弁護士の指示を仰いだつもりだったので、それを懸命に説明しようとした。
 だが、私の勝気な性分が、私は悪くないと会話に出させたのだろう、管財人は「あなたが、そういう態度だったら、免責は受けられませんよ。」ときた。
 私は、先に裁判所で、財産隠しをやりかけた事を暴露した経緯を、思い出し気持ちが覚めてしまった。
 管財人との、相変わらずの活舌が悪く早口で、上から畳掛けるような話しぶりの電話でのやりとりに、私はこの人と、これ以上話しても無駄だし、まるで犯罪人のような(かも知れない)気になると悲しくなり、悔しい気持ちがこみ上げ黙ってしまった。
 翌日に、弁護士事務所で会う約束をして、電話を切ったが高速道路の路肩に30分近く駐車していた。もちろん、仕事の説明会は遅刻、心あらずだった。
 その日は眠れず、管財人の「免責を受けられませんよ。」との言葉が腹立たしく次第に、私らにはこれ以上何があるというのか、自問自答のようになった。
 夫に、昨日の出来事を話した。事柄だけを聞いた夫は、冷静に「管財人も仕事だから仕方がない----債権者集会が間近になり、何らかの収穫がないといけないのだろう」という。
 勝気だが単純な性分でもある私は、これでとりあえず気が済んだ訳ではないが、落ち着きを取り戻し、管財人にいわれた他の件の報告メモを作りはじめたのは、朝方4時を回っていた。
 管財人とあう気持ちを落ち着ける為に、少し早く予定の30分前に弁護士事務所に待機した。夫にいわれた私らが悪いのは間違いない、とにかくこの場は何を言われても我慢して乗り切ろうと。
 だが、私の腹の虫は、どこか治まってない。弁護士先生に、少し話したいと言われ、「事が起きてからの自分の行動は、弁護士先生に指示をうけたつもりだし、今更、何も投げ出すものもない。免責って何?明日をもわからない曖昧な日々を、これ以上私らは、何をする必要があるのか?これで、免責受けられないのだったら---。」夫になだめられたはずの、言っては行けない言葉を口にした。

 その後の、弁護士事務所での管財人とのやり取りは、呆気ないほど淡々として進み、私の口座に残ってたお金の1部と私の不動産収入の家賃と計23万円程を、管財人に渡した。この口座も弁護士の許しを得て新たに作った口座だったが、管財人決定日にさかのぼり、お金の回収を支持されたのは腑に落ちなかった。
 先日の電話で、管財人の怒りにふれたもう一つ、「家賃の件は、私自信が破産者だと借家人に説明して、家賃を回収するのは嫌なので、アパートを出たい人には出てもらった」と告げると管財人は、今はあなたの財産ではないから、勝手な事は許さないと怒ったのだった。私はこれまで、自分なりの誠意をつくしているつもりだったから、関係ない(債権者でもない)アパートの住人(第3者)には、せめて私自信のプライドを守りたいと、管財人に言ってしまった事を悔やんだが後の祭りである。当初の予定の前月の家賃も納めることになった。
 その他に、取引のあった銀行の会社名義の債権を買取れときた。金額は¥57400だが、今更この債権を買取った所で、私らに役立つ筈もないが銀行側の、8ヶ月先の処理金では困ると言う訳である。手元にあるお金を、理由をつけもっていかれる気がした。どうにも、早くこの事態から抜けたいとの思いは強くなるばかりである。

 アパートは、売却に向け不動産屋が動いていたが、住人は私の知人だった。知らなくてもいい事は知らせたくない。
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