会社の経営が、日々戦いの様相をおびた2年前位から、私はプールに通うようになった。気が付くと机の前で、資金繰り、営業企画、事業計画と、何時間も過ごした。周囲が驚く程の仕事量をこなした。仕事は好きでやっていたが、体は肩こり、腰痛とつらくて、アップアップしていた。
仕事のできる体を維持する為には、水泳がいいときめた。耳をこわし医師から水泳を止められていたが、悪くなったら診てもらうと耳栓をして泳ぎ始めた。
夜8時過ぎにとりあえず仕事を切り上げ、プールの終い時間10時ギリギリ迄泳ぎ帰宅が11時近くになる。泳ぐことは、水に体を委ねて手や足を動かせるという素晴しい解放感と発散感がある。
それでも、プールに通い始めの頃は、体はほぐれていくのに頭の中は、資金繰りや企画の数字がくっきり浮かび、明日の仕事へつながる数字が浮かぶという具合だった。下手なクロールは、考え事をするから、息継ぎを忘れて、苦しくてあわてて水から浮かび上がるという風だった。100、200、500mと泳げる距離が長くなるにつれて、昼の苦しい出来事は、映像のように通り過ぎ、無心に泳ぐようになった。
会社が、厳しくなるにつれプール通いは、1日越し位になった。今にして思うと、人は知らずに自分を守るんだと思う、私は、泳ぐ事で必死で自分を守っていた。
心も、ほんのしばらくだが仕事からはなれたのだ。水の中で、子供の頃の珊瑚礁の海の思い出がよみがえる。青い海、どこまでも透き通った海、珊瑚の林の熱帯魚、砂浜の貝、幸せな思い出は、海岸の散歩にもいざなわれた。泳げなかった日の翌朝は海岸へひとりで散歩に出かけた。
仕事は好きでも、会社の戦場でボロ雑巾のようになった体は心をもボロさせ、仕事以外で、素直に人にあったりする事が苦痛になっていたのだ。
会社のほころびはなかなか繕えないまま、他社の不渡りに巻き込まれさらに大きな穴があいた。経営陣としての夫とは、その件も含め社内で事あるごとに、ますます言い争いが起こる様になった。社内会議であまりに激しく言い争った日、取り付くしまもない私のプール行きに夫がついて来た。
傍から見てわかる程に、夫の体は悲鳴をあげていた。メタボ、関節通でひきずる足、物忘れ、どこをとってもいい所がなかった。彼も又、知らずに自分の体を守ったのだと思う。 私らはその頃、ただ会社の明日の為に、プールに通いリフレッシュさせ、ひたすら日々の戦いに臨んだのだった。
戦い敗れたが、私は2年余、夫は1年余プールで泳ぐ生活は変わらない。資産は全部無くし、社会的制裁が始まったが、健康だけは少しずつ取り戻している。今の私は2kmを、夫は1kmを、1時間位で泳ぐ。再スタートする私らの、プールの時間は大切な時間、神様がプレゼントしてくれた時間だ。
美しい珊瑚の海は私達の子供達との共通の時間と思い出、美しい自然がたくましく素晴しい子供達にしてくれた。この先、この海を、珊瑚を、守りたいから少しでもできる事はやりたいと思う。
仕事のできる体を維持する為には、水泳がいいときめた。耳をこわし医師から水泳を止められていたが、悪くなったら診てもらうと耳栓をして泳ぎ始めた。
夜8時過ぎにとりあえず仕事を切り上げ、プールの終い時間10時ギリギリ迄泳ぎ帰宅が11時近くになる。泳ぐことは、水に体を委ねて手や足を動かせるという素晴しい解放感と発散感がある。
それでも、プールに通い始めの頃は、体はほぐれていくのに頭の中は、資金繰りや企画の数字がくっきり浮かび、明日の仕事へつながる数字が浮かぶという具合だった。下手なクロールは、考え事をするから、息継ぎを忘れて、苦しくてあわてて水から浮かび上がるという風だった。100、200、500mと泳げる距離が長くなるにつれて、昼の苦しい出来事は、映像のように通り過ぎ、無心に泳ぐようになった。
会社が、厳しくなるにつれプール通いは、1日越し位になった。今にして思うと、人は知らずに自分を守るんだと思う、私は、泳ぐ事で必死で自分を守っていた。
心も、ほんのしばらくだが仕事からはなれたのだ。水の中で、子供の頃の珊瑚礁の海の思い出がよみがえる。青い海、どこまでも透き通った海、珊瑚の林の熱帯魚、砂浜の貝、幸せな思い出は、海岸の散歩にもいざなわれた。泳げなかった日の翌朝は海岸へひとりで散歩に出かけた。
仕事は好きでも、会社の戦場でボロ雑巾のようになった体は心をもボロさせ、仕事以外で、素直に人にあったりする事が苦痛になっていたのだ。
会社のほころびはなかなか繕えないまま、他社の不渡りに巻き込まれさらに大きな穴があいた。経営陣としての夫とは、その件も含め社内で事あるごとに、ますます言い争いが起こる様になった。社内会議であまりに激しく言い争った日、取り付くしまもない私のプール行きに夫がついて来た。
傍から見てわかる程に、夫の体は悲鳴をあげていた。メタボ、関節通でひきずる足、物忘れ、どこをとってもいい所がなかった。彼も又、知らずに自分の体を守ったのだと思う。 私らはその頃、ただ会社の明日の為に、プールに通いリフレッシュさせ、ひたすら日々の戦いに臨んだのだった。
戦い敗れたが、私は2年余、夫は1年余プールで泳ぐ生活は変わらない。資産は全部無くし、社会的制裁が始まったが、健康だけは少しずつ取り戻している。今の私は2kmを、夫は1kmを、1時間位で泳ぐ。再スタートする私らの、プールの時間は大切な時間、神様がプレゼントしてくれた時間だ。
美しい珊瑚の海は私達の子供達との共通の時間と思い出、美しい自然がたくましく素晴しい子供達にしてくれた。この先、この海を、珊瑚を、守りたいから少しでもできる事はやりたいと思う。