YUNUBI

YUNUBI=ユヌビは、私が嫁いだこの地の方言名だ。30年余の会社経営、子育てに良くも悪くも終止符をうった。

大切な時間

2008-02-15 | Weblog
 会社の経営が、日々戦いの様相をおびた2年前位から、私はプールに通うようになった。気が付くと机の前で、資金繰り、営業企画、事業計画と、何時間も過ごした。周囲が驚く程の仕事量をこなした。仕事は好きでやっていたが、体は肩こり、腰痛とつらくて、アップアップしていた。
 仕事のできる体を維持する為には、水泳がいいときめた。耳をこわし医師から水泳を止められていたが、悪くなったら診てもらうと耳栓をして泳ぎ始めた。
 夜8時過ぎにとりあえず仕事を切り上げ、プールの終い時間10時ギリギリ迄泳ぎ帰宅が11時近くになる。泳ぐことは、水に体を委ねて手や足を動かせるという素晴しい解放感と発散感がある。
 それでも、プールに通い始めの頃は、体はほぐれていくのに頭の中は、資金繰りや企画の数字がくっきり浮かび、明日の仕事へつながる数字が浮かぶという具合だった。下手なクロールは、考え事をするから、息継ぎを忘れて、苦しくてあわてて水から浮かび上がるという風だった。100、200、500mと泳げる距離が長くなるにつれて、昼の苦しい出来事は、映像のように通り過ぎ、無心に泳ぐようになった。
 会社が、厳しくなるにつれプール通いは、1日越し位になった。今にして思うと、人は知らずに自分を守るんだと思う、私は、泳ぐ事で必死で自分を守っていた。
 心も、ほんのしばらくだが仕事からはなれたのだ。水の中で、子供の頃の珊瑚礁の海の思い出がよみがえる。青い海、どこまでも透き通った海、珊瑚の林の熱帯魚、砂浜の貝、幸せな思い出は、海岸の散歩にもいざなわれた。泳げなかった日の翌朝は海岸へひとりで散歩に出かけた。
 仕事は好きでも、会社の戦場でボロ雑巾のようになった体は心をもボロさせ、仕事以外で、素直に人にあったりする事が苦痛になっていたのだ。

 会社のほころびはなかなか繕えないまま、他社の不渡りに巻き込まれさらに大きな穴があいた。経営陣としての夫とは、その件も含め社内で事あるごとに、ますます言い争いが起こる様になった。社内会議であまりに激しく言い争った日、取り付くしまもない私のプール行きに夫がついて来た。
 傍から見てわかる程に、夫の体は悲鳴をあげていた。メタボ、関節通でひきずる足、物忘れ、どこをとってもいい所がなかった。彼も又、知らずに自分の体を守ったのだと思う。 私らはその頃、ただ会社の明日の為に、プールに通いリフレッシュさせ、ひたすら日々の戦いに臨んだのだった。

 戦い敗れたが、私は2年余、夫は1年余プールで泳ぐ生活は変わらない。資産は全部無くし、社会的制裁が始まったが、健康だけは少しずつ取り戻している。今の私は2kmを、夫は1kmを、1時間位で泳ぐ。再スタートする私らの、プールの時間は大切な時間、神様がプレゼントしてくれた時間だ。

 美しい珊瑚の海は私達の子供達との共通の時間と思い出、美しい自然がたくましく素晴しい子供達にしてくれた。この先、この海を、珊瑚を、守りたいから少しでもできる事はやりたいと思う。
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管財人と弁護士

2008-02-13 | Weblog
 管財人と弁護士、どちらも弁護士の資格をもってと名刺からは読み取れ、私らを挟んで相対する立場なのだとなんとなく判ったが、それについては取り立てて説明もなく債権者集会までの日を待つことになった。
 会社や夫名義の郵便物が届かなくなった。電気、水道、携帯電話それぞれの請求書も届かなくなった。そんなものかと調べて、電力会社や水道局等に支払いにゆく。とりあえず、今の住まいに居れる間は、生活を維持しなくてはならない。
 そうこうしている内に、彼らの支示で、評価価格の見積りに出した車がなかなか帰らない。当初、1万円位の見積りなら私らが引き取ればと管財人から支持され、弁護士の知人の車屋に査定に出したのだった。
 ところが、車屋は見栄えのいい夫の車を商品にするつもりで、中に入っていた夫の私物、小銭から免許証、着替え、諸々の書類、本等を大きな透明袋に無造作に放り込み社内の清掃を終えていた。
 誰がどう支示したのか、私らとは、関係ない第三者の車屋のこの行為で透明袋に放り込まれた夫の私物に、面白くないし憤りもあったが管財人に10万円を払えば引き取ってもいいといわれ、維持費がかかる車だが購入するよりしばらくは助かるとの判断をして10万円を払った。

 私は、パートをしながら日1日1日過ごす今の生活は、殆ど消費だけの生活だとわかっていたが、何かできる事はないかと仕事の説明会等に出かけるようになった。 収入の見込める仕事、組織を作らず、自分が頑張った分、自分に帰ってくる仕事を求めた。だが、仕事上の金銭ごとは、口座や契約書等今の状況によって、全て曖昧にならざるを得ず、どう動けばよいのか、今回の車屋の件は、精神的に袋小路に入った様になった。
 弁護士に口座を作る許可を得たり、些細な事を聞いたりしている内に、物事が事務的に流れ、同じ事を繰り返しているようなジレンマの中で、弁護士の存在に、私は空回りのストレスを感じるようになった。

 債権者集会の1週間前、何の音沙汰もなかった管財人から電話が入った。
これまでの状況確認と思いきや、私の答え方が気に入らなかったのだろう、免責が受けられないかも知れないと言う。
 弁護士なのに活舌が悪く語尾は何を言ってるのかわかりにくく上からたたみかける様に話すのも、この管財人の常なのかも知れない。
 私は、管財人と弁護士との意思疎通がない事に気が付いたが、会話はすれ違い電話の向こうの管財人の話を黙って聞いていた。
 この何ヶ月か、無意識だが人前も避け、裁きを弁護士に託した気になっていた。私は、会社を倒産させた悔しさがよみがえり、だんだん怒りがこみ上げてきた。
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疲れ

2008-02-06 | Weblog
 初出頭から、3ヶ月後に債権者集会が執り行われる。
これで、とりあえず待ちの状態になった。債権者の為の管財人が、私達の調査に入った訳だ。
 私らは開き直り、これからの生活の手段を、確保しなくてはならない。
私は、仕事の話に積極的に向き合う様になったが、会社の為とか、会社の利益の為とか、小さな組織の中であがく気にはならない。自分が頑張った分、自分に帰ってくるそんな仕事を探したい。
 そんな中、コンビニのカードの返却を求められた。俗に言うブラックリストだ。気持ちが、ざわつく。私らが、表の顔で仕事をするには、これからついてまわる社会的制裁なのである。  
 夫は、以前の仕事仲間から声がかかり、出かける様になったが、同じ業界で生きるのは嫌だという私の思いはわかっているようだった。
 日常生活は、少しずつだったが家庭的になってきた。三食向き合って食べる。夜、同じ部屋で眠りにつく。当たり前の事がここ数年は会社の為にできなかった。 昼も夜も会社を立て直す目的は同じでも違う方向で働き、バラバラに、ボロボロになってしまっていた。今は、いろいろな思いの中で、これからの事を考えるのに健康で元気でなければならないとお互いで話し合った。

 矢先に夫は、私らと同じ境遇だが、必死に会社を立て直そうとしていた友人の死に出会う。明るくて優しい人柄の彼は私らより若い52歳だった。
 私には、厳しい試練に彼の体が生きるのを止めた様に思えた。この友人の突然の死は夫を憔悴させた。
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