身辺がかたずく今年の12月は、クリスマスがあるかな。会社の苦しい経営が始まった頃、成長した子供たちが県外で暮らし家にいない何年か前から、私のクリスマスはなくなった。会社のことばかりで、心をザワザワと荒立てていた。クリスマスは、幸せと豊かさの象徴のようなとの思いがあるからだ。 今年は、町のイルミネーションが増えてゆくのが、いつの年より目に付く。小さな孫から、毎日笑顔の幸せをもらう日々、ふとクリスマスだと思った。この笑顔は、遠く20年位前の我が子らの幸せ満開笑顔を思い出させた。 21年前の事。24日イブの夜12時過ぎ、夫が帰宅した玄関の音で、子供たちが目を覚ました。上の子から4年生、3年生、幼稚園、3人の子供部屋に灯りがつき、話声がしてきた。 「起きて、起きて、サンタさんきたかも」 「ない!ない!枕のところに何もないプレゼントがない!」 「わたしのところもない!」 「ぼくも---ない---」 「よく探して見ようよ、部屋のどこかにプレゼントない?」 「枕の下のサンタさんへの手紙みてみようよ」 「手紙あった-きっと見てないんだね---」 「でも、きっと子供部屋まちがえてどっかにおいてあるかも?」 「玄関の外かも?庭は?」 3人は、家中の電気をつけ探している。玄関から夜の庭ものぞいている。私らは、そのやりとりを息をひそめて聞いた。クリスマスプレゼントは、夫の役割だった。やがて、上の子が泣きべそで、サンタさんがきてないといいにきた。私は、大丈夫、ほんとのクリスマスは明日だからおりこうにしてたらサンタさんは、きっとくるからと。とはいえ、3人がどんな思いで眠りについたのか、夫は、後悔すれど動けず小さな声で嘆いた。 翌日、サンタが庭に隠した自転車に、3人分のプレゼントが下がっているのを、子供らと私が見つけ無事クリスマスパーティができた。その時の、子供らの満面の笑み、最高の笑顔は、サンタの存在を信じたい子供らから、私達への幸せプレゼントだった。 今年のクリスマスは、子供たちとの思いでが、この何年かの心の垢が、洗い流され、孫の笑顔に心から笑えるかも。
私らが破産申請をしてから、1年半になる。
弁護士にまかせておけば、簡単に事が片付くと思っていた。その根拠は、会社が倒産した時に、私らが投げ出せる金銭はすべて投げ出したとの思いからだった。
だが、甘かった。管財人が決定したのが4ヶ月後、この時が、法的破産手続き開始という事だった。弁護士との、やり取りに慣れた頃の、初出頭だったが、管財人に与えた私の悪い印象が、終決まで、もたもたした原因なのかもと思うほど、身動きできないような苦しい長い時間が過ぎたのだ。
先日の債権者集会に、裁判官から経過をもって、免責の手続きに入ると告げられた。やっと終決に向かうという事だ。これで、出頭からも開放される。気持ちは複雑だがとりあえず安堵というべきか。
この1年半の間、管財人という人種と、付き合った感想---自分たちのした事は、棚にあげてである。仕事は、事務的にしてくれと願う。私らから、どうお金をとりあげるかに、終始するのは仕方ないとしても、言葉で傷つけられたくないというのが、正直な思いだ。 彼という個人は、たくましい若者という印象だが、今は思い出したくない顔だ。
最後の債権者集会で、破産管財人に収めるお金は、私ら二人の、市税の還付金約20万円だと、管財人が告げた。私が、市に還付手続きに出向き、市税還付通知書をもらい、生活費の足しになると喜んだ。市税の還付振込みが、何日かでも遅かったら---とぬかよろこびだった。
裁判官が、私たちに向かって"最初で最後にいった言葉"が、「これから、又頑張って下さい。」事務的だがやさしく聞こえた。
弁護士にまかせておけば、簡単に事が片付くと思っていた。その根拠は、会社が倒産した時に、私らが投げ出せる金銭はすべて投げ出したとの思いからだった。
だが、甘かった。管財人が決定したのが4ヶ月後、この時が、法的破産手続き開始という事だった。弁護士との、やり取りに慣れた頃の、初出頭だったが、管財人に与えた私の悪い印象が、終決まで、もたもたした原因なのかもと思うほど、身動きできないような苦しい長い時間が過ぎたのだ。
先日の債権者集会に、裁判官から経過をもって、免責の手続きに入ると告げられた。やっと終決に向かうという事だ。これで、出頭からも開放される。気持ちは複雑だがとりあえず安堵というべきか。
この1年半の間、管財人という人種と、付き合った感想---自分たちのした事は、棚にあげてである。仕事は、事務的にしてくれと願う。私らから、どうお金をとりあげるかに、終始するのは仕方ないとしても、言葉で傷つけられたくないというのが、正直な思いだ。 彼という個人は、たくましい若者という印象だが、今は思い出したくない顔だ。
最後の債権者集会で、破産管財人に収めるお金は、私ら二人の、市税の還付金約20万円だと、管財人が告げた。私が、市に還付手続きに出向き、市税還付通知書をもらい、生活費の足しになると喜んだ。市税の還付振込みが、何日かでも遅かったら---とぬかよろこびだった。
裁判官が、私たちに向かって"最初で最後にいった言葉"が、「これから、又頑張って下さい。」事務的だがやさしく聞こえた。
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