YUNUBI

YUNUBI=ユヌビは、私が嫁いだこの地の方言名だ。30年余の会社経営、子育てに良くも悪くも終止符をうった。

沖縄慰霊祭

2020-06-24 | 故郷
慰霊祭前日、コロナ自粛中と通常40人は参加の草刈り作業は、区民有志10人程と少年野球の小学生4人が監督について来て居る。梅雨の晴れ間で蒸す暑さの中、集中力ない子供達を励まし刈られた草を軽トラに乗せる。塔の境内は300坪位ある広い敷地で、みんなが黙々と作業をこなす中、子供達の黄色い声や笑い声に自然と笑顔になる。オヤツタイムも美味しそうに嬉しそうに天ぷらを食べる子供達の笑顔。子供達の頑張りもあり、思ったより早く作業は終了したが、いつもの様にお喋りもなくみんな早々に帰途についた。
 慰霊塔の境内
6月23日、この日も区民有志だけでの慰霊祭と聞いていたが、拝者、区長、書記、老人会長、審議委員の私とたった5人での祈りとなった。祈る人(拝者)を沖縄では神の人(カミンチュ)と言うが、代役で夫の姉が勤め簡素にサラッとした祈りになった。慰霊祭は、区行事の大きなもので毎年、線香を上げに100人以上の参加がある。梅雨時の大雨でも、亡き身内に祈りを捧げにやってくる。来られずには居られないと語る参加者達が居た。今年の慰霊祭は5人で30分で終わった。帰り際に、慰霊塔の経緯を記した石碑の汚れが酷いとの話がでた。心落ち着かない慰霊祭、何か出来る事があればと、私が石碑を洗っていいか許可を得た。翌日、ネットで調べた方法で洗ったが、薬剤が石に染み込むのを防ぐ梅雨時の大雨は都合いい。乾いた石碑を写真に収めた。いつか文字が見えなくなった時の為の原稿作りとする。この日、私は孫達に向けて、夫の両親がサイパン島で手榴弾を持って米軍から逃げ回り、運よく捕虜になって沖縄に帰ったから夫が生まれた〜あなた達がいると家族LINEで発信した。
 洗浄前の石碑 汚れが酷く文字が見えない所もある。
 洗浄後、石碑の文字が読める。
第2次世界大戦における沖縄戦をはじめ中国大陸、南方諸島及びその地域にて悲惨な最期を遂げられた当区出身の軍人、軍属、一般住民を合祀しみ霊を慰めるため1947年12月29日に建立したが、終戦33年期にあたり慰霊碑を改修し、127柱のみ霊を弔い永遠の平和を祈願し、戦争の惨事を子々孫々への遺訓とします。1979年12月改修 栄野比区々民 栄野比出身者一同













コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨明け夫の倉庫整理

2020-06-16 | 片付け
コロナ騒ぎが起こる前の2月、夫は宮古島への仕事に付いた。1人もコロナが発生しなかった地域で自粛明けの今もぬるくないと夫は言い、本島へ帰ってからの隔離もあるらしい〜だから、しばらく帰らない、ゴルフ道具を送ってくれと。夫は、宮古島で無事コロナを乗り切った?自粛中、京都やNYから娘達は心配し、早く家へ帰れとコールしたが、私は家に居ない夫にどんだけ安堵したか。夫は人好き、外出好き、趣味は特技なゴルフ。ゴルフが終われば飲み会に参加し、遅い帰宅は日常。孫達が在宅の自粛中に夫が家に居たら私の心労はドンだけ〜と。夫の宮古島での仕事は建築現場の単純な作業だが、監督や職人等、仕事に情熱を持っている若い人が好き、単身の自分の部屋に遊びに来ると嬉しそうに話す風は昔から変わらない。自宅に居る時は、TVの前から動かず、体を縦にする事もない夫が現場では、元気でええカッコしいが出来てるのだろうと思う。つまり、規則正しい生活を送れている筈と。梅雨明け、4年前に家の裏側に夫が1人で作った倉庫、建築の仕事で使う道具入れだ。台風で前面のカバーが取れたりしてたが、その内入りきらない道具が周囲にあぶれ出していた。見て見ぬふりをしてたが、シラアリの行列や倉庫から雑草が飛び出して来た。梅雨明けと同時に倉庫を覆った月桃や大クワズイモ、昼顔のツタなどの草刈り、倉庫の棚板の木材のシラアリの卵を抱えた巣を剥がし、殺虫剤を散布し、無造作に突っ込まれた道具や材料の仕分けをした。9時半から暑さにバテそうになる時間が13時頃、又明日と4日目になった。長袖、長ズボン、日焼け止め、帽子でも、暑さと虫刺されは防げず、あちこち痒い。こんな事、何回もしてたなぁ〜。私は片付け切れない夫の後片付けをしてた。何故、こんなに片付けられないのか?理解したくもない!同い年で9人兄姉の末っ子気質の夫は、7人弟妹の長女気質の私には、何年暮らしても楽だがめんどくさい。が、良かれと無意識に仕切る私は夫にはウザいのかもと思っている。疲れと暑さで少々腹が立って来たから、この倉庫のひどい様を家族LINEに投稿する。宮古島で見ろよと。馬鹿野郎〜明日も片付けるぞ〜今年1番の愚痴。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3年過ぎた木曜日のごはん会

2020-06-07 | 料理
1階2階と2世帯住宅に息子家族と住む。かつて私が、流行のワンルーム女性向けアパートとして建築した物件。管財人が息子に売却した。その後、私は、息子夫婦の重荷になりたくないと1階のピロティ形式駐車場のデットスペースに、とりあえずの住まいと構図を広げ、夫と2人で3ヶ月コツコツ築いた。RC構造ピロティ部ブロック積み床張りが主体のワンルームだ。3年後に7.5畳に2段ベット2組の宿泊スペースを娘家族が帰省した時の為に作り、24坪程はなかなかの広さと自負する。息子夫婦とは2世帯住宅とは言え干渉せずとして来た。が子供や孫達が行き来する内に、料理を捨てる事が出てきた。来る筈と多めに作った料理だ。食べ切れないから捨てる!心が痛い。解決策として始めた木曜ごはん会は、3年が過ぎ、孫達が楽しみにしてる❣️やめられなくなったし、孫達の好みも熟知している。先日、スーパーで豚の中身(大腸、小腸の茹で洗い)に目が止まった。コロナ明け、孫達の通学時は片道2km位、急な夏日で暑い!と真っ赤な顔で帰る。栄養つけてあげたいメニューにしたい。出汁いっぱいで孫達も大好きな中味汁。木曜日、私は起床と同時に圧力鍋を座らせ豚骨出汁作りを始める。ストックの鳥出汁、鯛出汁、貝出汁、椎茸出汁、カツオ出汁と全部入れても、腸の茹で出汁は負けずに中味汁に仕上がる。蒟蒻、戻し椎茸、豚ロースと具材は同じ位に揃えて煮込む。合間にゴーヤーチャンプルーや、パパヤとトマトのサラダ、鴨肉と紫玉葱苦菜のサラダ、榎茸のアヒージョ、チキンとサバの醤油麹焼〜お昼過ぎには、今晩のご飯会食の出来上がり〜 カンナタラソに向かった。14:45 138-85-70 1.2kmスイム 16:30 127-80-81





中味汁
.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若いつもりの体は大変な事になっているかも

2020-06-03 | 健康 スポーツ
3ヶ月ぶりに宜野座村のカンナタラソに出掛けた。車でゆっくり40分程走る海岸沿いの道は、目に飛び込む海の色がなんとも言えない青のグラデーションが美しく癒しの時間にもなる。コロナ自粛からテニスが楽しいのは、仲間との時間だけでないはず〜だが、実は増えた体重が足腰に応え、疲れが取れなく家事や植物の世話が億劫で無意識に机にへばってブログを書いている。ブログは書いたら心が整う感じがいいのだが、なんかスッキリしない体を持て余し気味で午後の遅い時間だけど泳ぎに行こうと思った。久しぶりのカンナタラソは、受付で健康診断表の様なものを渡され、私は、体温、体調、全て良しとしたが、血圧測定にビックリ!!!150−88−65 未だ経験ない数値!!!測定時間16:45 タラソは利用できるとの事。プールで 1.2km泳ぎジャグジーでほぐし、帰り際もう1度血圧測定137−81−75!!!測定時間19:00 泳いでると色々な事を思い巡らせるが、これは真剣に思った、増えた体重2.5kgを今月一杯で元に戻す。カンナタラソ通いを火木日の週3回とする。ワインの休肝日水曜日を設ける。コロナ自粛で、子供家族との食事会が増え、いつの間にか毎日ワインになっているのも問題かな?と。もちろん、夜間のテニス練習は週2回行く。何となく、すっきりしない感じは気のせいかと思ってたが、修復しなきゃ〜〜
家族の為の時間は、少し削って自分の為に楽しい時間増やそう〜🚙🚙🚙


屋嘉の海


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ECOで地球を救う

<script type="text/javascript" src="http://eco-ap.jp/scripts/blogparts.js"></script>