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NPO法人光と風&地魚料理海辺里

東日本大震災8周年祈念読み書き歌い語りつぐ集い

2022年08月01日 | 震災後のまちづくり NPO光と風
       読み書き歌い語りつぐ集い
 東日本大震災8周年祈念として昨年に続き3月10日に東部図書館で集いを開催。最初に「東日本大震災の復興と平成の30年間」と題して2月24日に天皇陛下在位30記念式典と・26日の宮中茶会に招待されたことをNPO法人光と風の理事長が報告。続いて劇団ふくが「助五郎と飯岡大漁節」を実演、黙祷を経て文芸賞「海へ」の市民賞の授与式・作品の朗読を行ないました。
 11日の千葉日報には旭市立第2中学校2年の田村紗季さんの「「あの日」が取材を受け掲載されました。

◎3月11日千葉日報取材記事3.11大震災ちば8年「復興かわら版に体験談」
◎千葉日報 「未来へつなぐあの日」旭2中田村紗季さん

◎千葉日報取材記事「継承へ思い新た 旭市「読み書き歌い語りつぐ集い」
◎読売新聞房総版取材記事 伝承「我らの波止」語りつぐ


 天皇陛下在位30記念式典と・26日の宮中茶会の報告
          

           
     

    紙芝居「助五郎と飯岡大漁節」
     
     

    文芸賞 市民賞の授与・作品朗読
     

    飯岡子供囃連の「お囃子」
    

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3 コメント

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Unknown (渡邉義美)
2019-03-11 21:18:09
3月10日「読み書き歌い語りつぐ集い」で天皇陛下在位30年記念と宮中茶会に招かれた経緯について報告しました。その内容を加えておきます。

天皇在位30年記念式典、宮中茶会参列について-1

 只今 副理事長で千葉科学大学の船倉教授より説明がありましたが天皇・皇后陛下が旭市を訪れたのは大震災震災の翌月4月14日です。当時、東北の被災地ではなくて旭市を最初に慰問されたのか不思議な思いがありました。今、この話を聞いて少し疑問が晴れたような気がします。
さて、本題の天皇在位30年記念式典、宮中茶会参列について移ります。
去る2月23日に復興庁から天皇陛下在位30年記念式典への案内があり国立劇場へ行き参列しました。また、追って26日には宮内庁からの案内が来ていましたので久しぶりに礼服を着用し「宮中茶会」行ってまいりました。
 この経緯はこうでした。昨年の12月、千葉県の危機管理部より、後ほど復興庁から連絡がありますと電話がありました。今日来ています事務の鈴木さんが要領を得なかったのか「理事長 大変です」と駆け込んで来ました。私でさえ想像を超えた話でした。今、振り返って見ても事態をよく理解するので時間を要した次第です。
当初は参列に行って良いのか悩みましたがNPO法人光と風の活動が評価されたものと理解し役員の皆さんに図り参列することになりました。NPO法人の会員の方は勿論、復興どんぶりを食べて寄付を頂いた2万人の皆さん、防災教室に参加された8000人の皆さん、その他協力を頂いた皆さん、指を追って数えてみれば限りがありません。確かに案内文を読んで見ると「東日本大震災からの復興に御尽力・御協力への御礼」という内容が書かれています。
 2月23日は内閣府へ集合の案内がありました。内閣府に集まった方を後で聞きましたところ、特別参列者として復興の関係者で阪神・淡路大震災から1名・東日本大震災では東北3県からは5名、茨城県から1名、千葉県からは私1名でした。
内閣府からはバスに乗り国立劇場で天皇皇后陛下御臨席のもと式典に臨みました。式典で天皇陛下のおことばを聞きました。陛下が震災や復興に心を寄せていることがよく判りました。私ども特別参列者としてお招きいただいたことに深く感謝した次第です。
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Unknown (渡邉義美)
2019-03-11 21:22:06
天皇在位30年記念式典、宮中茶会参列について-2
26日の宮中茶会には皇居正門から入り、宮殿春秋の間で舞楽を供覧、その後、豊明殿において天皇陛下のお言葉がありました。その後、天皇皇后陛下、皇族各殿下と共にご歓談となりました。たまたま、偶然というのでしょうか!秋篠宮殿下とお話しする機会があり「震災があった年の4月14日、天皇皇后陛下が旭市の被災地をお訪ねになり慰問されました」とお礼を述べお話させていただきました。代表として参列したものとして、このことをお伝えしておきます。
 テレビ等でご覧になった方はお分かりになっているように当日、参列者の多くは平成の時代に活躍した各界の人達でした。
 さて、在位30年記念式典・宮中茶会も当然でしょうがカメラの持ち込み禁止、携帯はマナーモードでしたので会場の写真等はありませんでした。
 そこで記念品が配られました。ご在位30年では「天皇陛下ご即位から30年というCDです。ここにお持ちしました。また、宮中茶会では菊の御紋の茶器です。後で調べたところフランス語でボンボニエールと呼ばれるお菓子の入れ物ということでした。
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Unknown (渡邉義美)
2019-03-11 21:25:24
天皇在位30年記念式典、宮中茶会参列について-3
次にすこし真面目な話に移ります。後1ヶ月を過ぎますと平成30年といえばもう歴史として平成時代を考えることになります。そのとき、平成といえば私たちにとって東日本大震災です。そして、私たちが一番学んだことは「二度とこのような悲劇を繰り返さない」そして「被災体験を後世に伝える」ことでした。よくよく考えて見るとそれは300年前の元禄津浪を振り替えることに繋がることでした。
そして、この元禄津波といえば次のことを経験しました。
 震災から1年を過ぎた頃、東京都葛飾区「郷土と天文の博物館」の学芸員であった橋本直子さんから「80周年記念特別展」として「東京低地災害史」を開きたいので協力して頂きたいと要請がありました。今、私の手元にこの時に発行した「東京低地災害史」がありますが「残された資料から災害の教訓を未来に継承し改めて自然と迎えあう契機」にしたいと開催に当たって述べています。
 私達、当時はNPOではなく「光と風キャンペーン実行委員会」という組織でしたがこれに全面的に協力することになりました。玉崎神社、福蔵寺に出向きことの次第を伝えお願いしました。
それは初めて見る元禄地震・津浪300年前の資料でした。とりわけ玉崎神社の「社地境論裁許状及び絵図」はこれまで公開されることも無く元禄津波は記録の中に渦こまれていたことが判りました。
歴史に“もし”という可能性はありませんがこれらが時に応じて公開され実情を丁寧に調べていれば、今回のような大きな被害、とりわけ人的被害は防げたはずだと確信しました。
 絵図をよく見ると飯岡・行内・平松・萩園などの地名があり当時の家々が描かれています。各地からの移住者・浜漁師の住む家です。津波でなくなった人が70余人とありますが実際は浜集落が全滅したと考えられます。


次に人口の変遷から被災地の将来の姿を考えてみました。
今回の3,11津波が仮に今回元禄津波が起きた12月31日夜中の2時ごろ襲来したと考えるとその被害の大きさが想像できますか!


ここでは元禄津波ということを頭に入れて平成後の30年、或いは300年後を想定し、人口から地域の有り様を考えて見ようと思っています。

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