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魚屋さんの将来-ザ・築地ルポ を読んで
今から24年前、飯岡町(現旭市)で宿泊・飲食業を始めたころ、狭い町内に12軒の魚屋さんが軒を連ねていた。海辺の町で賑わいは魚屋さんが独り占めしていたような風景を思いだす。
現在は6軒ほどになっている。そして、数年後にはまた半分になる姿が脳裏を掠める。スーパーの店頭がこれに代わってきた。実際、鮮度・値段・取り扱い方など旧態以前の魚屋さんでは衰退の途を辿る以外にないと思える。しかし、、、だが
こうした現状に中央から警笛を発する文章に出逢った。詳しいことは判らないが文章の間に築地市場や漁の現場に足を運び取材した姿が彷彿できる。
「ザ・築地」の筆者は時事通信社水産部の川本大吾さんである。一年ほど前、熟成タレ製法について取材したいとの連絡があったがその後、音沙汰がなかった。
昨年の暮れになって訪れ、銚子うめいもん研究会にも触れ取材した内容を記事にして戴いた。
本を出すことになったとの報が入り早速取り寄せてみた。考えてみればこの20年、魚介を仕入れ生業してきたがそこでの変容や疑問が一部解けたような気がした。
魚屋さんは市場のセリで魚を仕入、店頭に並べ、鮮度の良し悪しで勝負する粋な商売だなと過っては思っていた。
また、地で獲れたものを地元の住民に手渡し金員を稼ぐ文字どうりの商売の原点に見えた。
地域の中でお金が回る仕組みを考えようとするときこの魚屋さんの姿がどうも参考にしたいと思い始めた。
ー漁師消滅が現実になる、、、すでに地方の魚屋さんはもう半分消滅している。
地域の解体とスーパーの進出、これに魚屋さんの消滅が同調してきた。
もし再生への道を探るとすれば解体への経緯を辿りこれを否定的に媒介するエネルギーが必要になる。企業化・工業化へは人とお金が源泉となる。
そうではない方途を考えてみたい。
魚屋さんに限らず地域を商圏とする生業は余程の条件に恵まれていない店舗を除けば自滅の一途は避けられないといえる。
私も同様であるが農・漁業等しく地域の零細業を営む年代は60代が支えている。後継者問題を含め事業のハンドルを切り替えるのはほぼ不可能と思える。
新たな発想で事業の転換を考えてみたい。
過日、知人の紹介で銚子市内の魚屋さんを訪ね現状を伺った。
町内を相手に銚子漁港で水揚げされた魚を並べ3代目、お子さんは別な職業に携わり自分は適当な時期に引退を考えているという。
市内の魚屋は60軒位、以前から比べ半滅、将来に残るのは10数軒ではないか。
ここからは魚屋さんの将来は自然消滅という行く末しか描くことは出来ないようだ。
先ごろから魚屋さんの将来を診かねていた。たまたま銚子市中央商店街の在り様を考えていた清水さんとドッキングした。
これまで私には飯沼観音の門前町として再生するのは難しいのでは無いかとあまり関心が無かった。
しかし、シヤッター通りになりかけている商店街はごく有り触れた日本社会の現実ではないか、遅かれ早かれ地域社会の行く末ではないか、だが、、、
その行く末から構想力を辿ればかならづしも悲観的のなる必要がないと想いが沸いてきた。