おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

グリーンマイル

2019-05-06 14:08:18 | 映画
「グリーンマイル」 1999年 アメリカ


監督 フランク・ダラボン
出演 トム・ハンクス デヴィッド・モース ボニー・ハント
   マイケル・クラーク・ダンカン ジェームズ・クロムウェル
   マイケル・ジェッター グレアム・グリーン ダグ・ハッチソン
   サム・ロックウェル バリー・ペッパー ジェフリー・デマン

ストーリー
大恐慌下の1935年。ジョージア州コールド・マウンテン刑務所の看守主任ポールは、死刑囚舎房Eブロックの担当者で、部下は副主任のブルータルはじめ頼れる連中ぞろいだが、州知事の甥である新人パーシーだけは傍若無人に振る舞う。
そんなある日、ジョン・コーフィなる大男の黒人がやってきた。
幼女姉妹を虐殺した罪で死刑を宣告された彼は、手を触れただけで相手を癒すという奇跡の力を持っていた。
彼はポールの尿道炎を治したのを皮切りに、パーシーに踏み潰された同房のドラクロアが飼っていたネズミのミスター・ジングルスの命を救った。
ドラクロアはその翌日処刑されたが、パーシーは残酷にも細工をして彼を電気椅子で焼き殺した。
コーフィの奇跡を目の当たりにしたポールらはパーシーを拘禁室に閉じ込めてコーフィをひそかに外へ連れ出し、刑務所長ムーアズの妻で脳腫瘍で死の床にあったメリンダの命を救わせた。
房に帰ったコーフィは、拘禁室から解放されたパーシーをいきなりつかまえるや、メリンダから吸い取った病毒を吹き込むと、パーシーは厄介者の凶悪犯ウォートンを射殺し、そのまま廃人になった。
ウォートンこそ幼女殺しの真犯人だったのだ。
ポールはコーフィに手をつかまれ、彼の手を通じて脳裏に流れ込んで来た映像で真実を知った。
ポールは無実のコーフィを処刑から救おうとするが、彼は「全てを終わらせたい」と自ら死刑を望み、最後の望みとして映画「トップ・ハット」に見入ってから死に赴いた。
コーフィが与えた奇跡の力でポールは108歳になっても健康に生き続け、ミスター・ジングルスも60年以上生き続けていた。


寸評
ファンタジー作品だが、ファンタジーが前面に出た作品ではない。
死刑囚である大男のコーフィが奇跡の力を有しているのだが、それを発揮するのは話がかなり進んでからである。
しかもそれは尿道の感染症に悩んでいるポールのタマタマをつかんで直してやると言うものだ。
ポールは排尿の時に相当傷みを感じているようだが、悩んでいる病気が微妙なもので滑稽だ。

ポールが勤務しているのは死刑囚を収容している官舎であるが、ポールと仲間の看守たちは死刑囚に対しても普通の人間として接している。
普段の彼等は非常にもの静かで、彼等の死刑囚への接し方で官舎の秩序を維持しているのだが、その秩序を壊す者が二人いる。
一人はパーシーという州知事夫人の甥で、その縁故をひけらかして傍若無人に振舞っている。
「冷酷で不注意でバカと3拍子揃っている」とポールに評されているどうしようもない若造である。
何かというと「叔母に言いつけて失業させてやる」を口癖みたいに言う嫌な奴だ。
精神病院の事務職に代わる予定だが、一度自分で死刑を執行してみたいのでここに留まっている。
ポールたちはこの男に手を焼いているが、自分の首もかかっているために無茶なことが出来ない。
善良な看守たちばかりが登場するので、パーシーが悪役を一手に引き受けている展開が続く。
そして、もう一人の秩序破壊者が新しくやって来た死刑囚のウォートンである。
彼もまた囚人として傍若無人な振る舞いを繰り返し、看守をはじめ他の死刑囚からも嫌われている。
二人が何度も問題を引き起こし、それが描かれ続けるので飽きてきそうなものだが、そうはならなくてその行動描写に引き込まれるものがあって、3時間という上映時間が気にならない。

コーフィは何度も奇跡を起こすのではなく、人を見抜いたり予見したりと超能力を度々見せるが、神秘の力を発揮するのは限られている。
一度は前述のポールの持病を治し、一度は死んだはずのネズミのジングルスの命を救ったことだ。
そして今一度は所長の奥さんメリンダを脳腫瘍から救ってやったことで、このくだりはなかなか感動的だ。
実行する看守たちの描き方も家族構成などを語らせ手が込んでいる。
最大の奇跡はポールとジングルスにパワーを移植したことだ。
その為にポールとジングルスは長生きをすることになる。
しかしポールはそれも罰だと思っていて、コーフィを救えず死刑にしたことの罰を受けているのだと考えている。
長生きすることで、自分の親しかった人たちは自分より早く逝ってしまい、結局自分一人が残ってしまう。
その孤独こそが神が自分に与えた罰なのだと思っている。
命は惜しいし死ぬのは嫌だが、だが永遠の命も又淋しさをもたらすものなのかも知れない。
人は人として与えられた時間で一生を終えたほうが良いのだろう。
コーフィの電気椅子場面は泣けた。
彼を恨んでいる人たちの誤解による憎しみを一身に受けても弁解することはしない。
しかし彼の人となりを知る看守たちからは感謝と悲しみの気持ちを送られる。
僕も悲しい気持ちになったが、ジングルスのエピソードが救ってくれた。