おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

スラムドッグ$ミリオネア

2019-08-30 14:17:48 | 映画
「スラムドッグ$ミリオネア」 2008年 アメリカ


監督 ダニー・ボイル
出演 デヴ・パテル
   マドゥル・ミッタル
   フリーダ・ピント
   アニル・カプール
   イルファン・カーン
   アーユッシュ・マヘーシュ・ケーデカール
   アズルディン・モハメド・イスマイル
   ルビーナ・アリ
   
ストーリー
インドのスラム街に生まれ育ったジャマールは、人気番組「クイズ$ミリオネア」に出演していた。
司会者であるプレームの挑発にも反応しないで、難解な問題の数々に冷静な対応するジャーマルは、とうとう最後の1問というところにまでたどりついた。
正解すれば、賞金は2000万ルピーで、18歳のジャーマルにとって、一生かかっても手にできない大金。
危機を感じたプレームは、1日目の収録が終わったところで警察に通報してジャマールを拘束させた。
拷問を受けるジャマールは、これまで過ごしてきた人生を告白する。
彼と兄のサリームは、幼い頃に母を亡くして孤児となった。
そんな二人が出逢ったのは、孤児の少女ラティカで、彼らは自分たちを「三銃士」に見立てて、過酷な現実を生き抜いていく。
しかし、孤児たちを搾取する大人達のもとから逃げ出す途中で、兄弟とラティカは生き別れとなってしまう。
ジャマールとサリームは、金を盗んだり観光ガイドのフリをして生き延びていくが、やがてサリームは悪の道を歩みはじめる。
そんな兄とは対照的な生き方をするジャマールの心の支えはラティカだった。
彼女と再会したい彼は、人気番組である「クイズ$ミリオネア」への出演を決意したのだ。
釈放されたジャマールは「ファイナル・アンサー」を答えるため、テレビ局のスタジオへと戻るのだが・・・。


寸評
英国/米国資本になる映画だが、これは間違いなくインド映画だ。
ラストでインド映画お決まりの集団による歌とダンスが繰り広げられる。
見ている我々を幸せにしてくれるこのお約束事はまさしくインド映画だ。
日本でも、みのもんた司会による人気番組「クイズ・ミリオネア」として放送されていたので、クイズの盛り上がりにすんなり入り込めた。
4者択一で正解するたびに賞金が上がっていくシステムで、後の問題ほど勘違いしやすいものや難しいものになっていくのが通例だ。
会場の来場者に答えを聞くオーディエンス(会場の答えも分かれるが、答えたパーセンテージが示される)、確率を2分の1にしてもらう50-50(フィフティ、フィフティ)、知り合いに電話して答えを聞くことが出来るテレフォンがライフラインとして1度だけ使えるというのがクイズのルールである。
ルールは単純なのでクイズ番組を知らなくても楽しめる内容になっている。

どこまでも続くかのようなスラム街の俯瞰は美しくもあった。
斜めに切り取った画面が緊張感を醸し出し、原色がまじるスラム街の雑多な光景が絵画の様でもある。
原色の中でも黄色がやけに目に付く作品で、目に飛び込んでくるその色は非常に印象的である。
スラム街に住まう大勢の人々、嘘もつくし盗みもするがそうしなければ生きていけない宿命と、生きていくしたたかさは成長するインドのエネルギーの源かも知れない。
子供を食い物にする大人の悪辣さのなかでクイズの答えに結びつく出来事を経験していく。
その構成が巧みで見る者を引き付ける。

冒頭でジャマールが勝ち残れたのは(1)インチキ、(2)ツイテいた、(3)天才だった、(4)運命と問題が表示される。
当然(4)で、これからジャマールの運命が描かれることを知らせ、インチキと思われたジャマールが拷問を受ける取り調べの様子と、番組出演の様子が切り替わるように上手くリンクさせていて、導入部としては上出来だった。
1問目のヒット映画の主演俳優を答えるエピソードは傑作で、この映画の雰囲気を形作っている。
3問目あたりになると宗教紛争の理不尽さも描かれ、問題の正解が自分にとって印象的だった出来事のわずかなことに隠されていることを印象付ける。
その後の問題もジャマールに起きた出来事に関係するものばかりで、その出来事が後追いのような形で示される展開も小気味よい。
番組の司会者の答えを暗示するエピソードの結末も、最後に最初の答えとしてD・運命だったと表示されるのも、ちょっと分かりすぎるものではあったけれど、それにしても最終問題はあまりにも簡単すぎるように思える。
それでも、その問題は冒頭の悪さを仕出かしていたために聞き洩らしたことが過去の経験のなかに埋もれたいたことを表していたのだろうし、ジャマールは経験したこと以外は簡単なことも知らなかったということを示していた。
スラム街の後に建設されていく高層ビル群や、少年のジャマールが虐待に「これがインドの真実だ」と言うと、居合わせたアメリカ人が「アメリカの真実を見せてやる」と100ドル紙幣を渡したりするのは、今日の現実を皮肉をこめて描いていたのだと思う。
世界経済におけるインドの発展はともかくとして、アメリカ人が札びらを切るのは金融不安への皮肉か?