「64-ロクヨン-前編」 2016年 日本
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監督 瀬々敬久
出演 佐藤浩市 綾野剛 榮倉奈々 夏川結衣
緒形直人 窪田正孝 坂口健太郎
筒井道隆 鶴田真由 赤井英和 菅田俊
烏丸せつこ 小澤征悦 柄本佑 椎名桔平
滝藤賢一 奥田瑛二 仲村トオル
吉岡秀隆 永瀬正敏 三浦友和
ストーリー
昭和64年1月、関東近県で7歳の少女・雨宮翔子が誘拐される事件が発生。
三上と捜査班班長の松岡が雨宮家に向かうと、自宅班の幸田、日吉、柿沼が待機していた。
三上は追尾班として、身代金2000万円が入ったスーツケースを運ぶ被害者の父・雨宮芳男の車を追うが、土地勘がある犯人に翻弄され続け、身代金は奪われてしまう。
事件発生から数日後に廃車のトランクから翔子の遺体が発見された
わずか7日間でその幕を閉じた昭和64年。
いまも未解決のその事件を県警内部では“ロクヨン”と呼んでいた。
刑事部で長く活躍しロクヨンの捜査にも関わったベテラン刑事の三上は高校生の娘が家出失踪中という大きな問題に直面していたが、この春から警務部の広報室に異動となり、戸惑いつつも改革に意欲を見せていた。
折しも県警ではロクヨンの時効まで1年と迫る中、警察庁長官の視察が計画される。
そこで、長官と被害者の父親・雨宮芳男との面会を調整するよう命じられた三上だったが、なかなか雨宮の了承を得られず困惑する。
そんな中、ある交通事故での匿名発表が記者クラブの猛烈な反発を招き、長官の視察が実現できるかも不透明な状況に陥ってしまう。
自らもなかなか捜査情報を得られず、県警と記者クラブの板挟みで窮地立たされた上、刑事部と警務部、あるいは本庁と県警それぞれの思惑が複雑に絡み合った対立の渦にも巻き込まれていく三上は、それでも懸命に事態の収拾に奔走するのだったが…。
寸評
横山秀夫の原作が出版された時、これを読んだ安倍首相が面白いと発言したという記事を発見し、僕もすぐに購入し読んでみたのだが、実際この推理小説は面白くて久しぶりに堪能した単行本だった。
暫くしてNHKでピエール瀧を主演にドラマ化された。
視聴率は取れなかったが、僕はよくできたドラマになっていたと思う。
出演者は地味だったが、映画版は主演を佐藤浩市が務め、共演は綾野剛、瑛太、榮倉奈々、三浦友和、吉岡秀隆、夏川結衣、永瀬正敏、仲村トオル、椎名桔平、滝藤賢一らで、売れっ子ばかりを集めたという感じだ。
昭和64年1月7日に昭和天皇の崩御が伝えられた。
僕はまだ会社勤めをしていた時期で、会社も午前中で仕事を終えて日本中が喪に服したことを覚えている。
したがって昭和64年は7日間しかなく、映画の発端はその時期に起きた少女誘拐事件である。
これがメインの話ではないので、この事件の様子を詳しく描いているわけではなく疑問に思うシーンもある。
誘拐事件に付き物の、刑事たちが被害者宅に身分を隠すように入り込むシーンはない。
最初から大勢の刑事たちが被害者宅にたむろしている。
これだけの人数がどうして犯人に悟られずに入り込めたのかと思ってしまう。
さらに身代金を運ぶ少女の父親・雨宮氏の運転する車を尾行する警察車両が連なって走っているのも違和感があったのだが、さすがに山道に差し掛かるところでは三浦友和の松岡刑事が不自然だから尾行車両を減らすように指示している。
そうして始まった「64ロクヨン」だが、担当刑事だった三上(佐藤浩市)は現在広報部に左遷となっている。
見ているとどうやら警察署の広報部は恵まれていない部署の様で、三上は左遷されたように見える。
前半で描かれるのは、刑事部と警務部の対立や、広報と記者クラブの対立、キャリアとノンキャリの対立、さらに警察組織のゆがんだ人事状況などがこれでもかとばかりに描かれる。
最初に描かれるのは警察の隠ぺい体質で、交通事故の加害者が公安委員会会長の娘だったことで、加害者名が匿名とされたことである。
しかもその事実が広報官に知らされていなかったために、広報部は記者クラブの突き上げに四苦八苦する。
観客はキャリア組の高慢な態度に反感を抱くという描き方だが、それでも三上は職務に忠実で、記者連中が本部長室へ押しかけるのを必死で阻止する。
三上の態度にはサラリーマンの悲哀を垣間見た気がする。
キャリアとノンキャリアの溝は理解できるが、警察内部の組織間の対立がなぜ発生しているのかは映画を見ている限りにおいては分からない。
売れるものを作らない企画部と、作ったものを売ることができない営業部との軋轢のようなものだろうか。
そう言えば僕の会社でも総務部と営業部の根底にはお互いに批判めいた感情を有していたから、どこの組織においても部門間の対立は存在しているのかもしれない。
前編は第2のロクヨン事件が発生したところで終わるが、後編も見たくなる終わり方だ。
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監督 瀬々敬久
出演 佐藤浩市 綾野剛 榮倉奈々 夏川結衣
緒形直人 窪田正孝 坂口健太郎
筒井道隆 鶴田真由 赤井英和 菅田俊
烏丸せつこ 小澤征悦 柄本佑 椎名桔平
滝藤賢一 奥田瑛二 仲村トオル
吉岡秀隆 永瀬正敏 三浦友和
ストーリー
昭和64年1月、関東近県で7歳の少女・雨宮翔子が誘拐される事件が発生。
三上と捜査班班長の松岡が雨宮家に向かうと、自宅班の幸田、日吉、柿沼が待機していた。
三上は追尾班として、身代金2000万円が入ったスーツケースを運ぶ被害者の父・雨宮芳男の車を追うが、土地勘がある犯人に翻弄され続け、身代金は奪われてしまう。
事件発生から数日後に廃車のトランクから翔子の遺体が発見された
わずか7日間でその幕を閉じた昭和64年。
いまも未解決のその事件を県警内部では“ロクヨン”と呼んでいた。
刑事部で長く活躍しロクヨンの捜査にも関わったベテラン刑事の三上は高校生の娘が家出失踪中という大きな問題に直面していたが、この春から警務部の広報室に異動となり、戸惑いつつも改革に意欲を見せていた。
折しも県警ではロクヨンの時効まで1年と迫る中、警察庁長官の視察が計画される。
そこで、長官と被害者の父親・雨宮芳男との面会を調整するよう命じられた三上だったが、なかなか雨宮の了承を得られず困惑する。
そんな中、ある交通事故での匿名発表が記者クラブの猛烈な反発を招き、長官の視察が実現できるかも不透明な状況に陥ってしまう。
自らもなかなか捜査情報を得られず、県警と記者クラブの板挟みで窮地立たされた上、刑事部と警務部、あるいは本庁と県警それぞれの思惑が複雑に絡み合った対立の渦にも巻き込まれていく三上は、それでも懸命に事態の収拾に奔走するのだったが…。
寸評
横山秀夫の原作が出版された時、これを読んだ安倍首相が面白いと発言したという記事を発見し、僕もすぐに購入し読んでみたのだが、実際この推理小説は面白くて久しぶりに堪能した単行本だった。
暫くしてNHKでピエール瀧を主演にドラマ化された。
視聴率は取れなかったが、僕はよくできたドラマになっていたと思う。
出演者は地味だったが、映画版は主演を佐藤浩市が務め、共演は綾野剛、瑛太、榮倉奈々、三浦友和、吉岡秀隆、夏川結衣、永瀬正敏、仲村トオル、椎名桔平、滝藤賢一らで、売れっ子ばかりを集めたという感じだ。
昭和64年1月7日に昭和天皇の崩御が伝えられた。
僕はまだ会社勤めをしていた時期で、会社も午前中で仕事を終えて日本中が喪に服したことを覚えている。
したがって昭和64年は7日間しかなく、映画の発端はその時期に起きた少女誘拐事件である。
これがメインの話ではないので、この事件の様子を詳しく描いているわけではなく疑問に思うシーンもある。
誘拐事件に付き物の、刑事たちが被害者宅に身分を隠すように入り込むシーンはない。
最初から大勢の刑事たちが被害者宅にたむろしている。
これだけの人数がどうして犯人に悟られずに入り込めたのかと思ってしまう。
さらに身代金を運ぶ少女の父親・雨宮氏の運転する車を尾行する警察車両が連なって走っているのも違和感があったのだが、さすがに山道に差し掛かるところでは三浦友和の松岡刑事が不自然だから尾行車両を減らすように指示している。
そうして始まった「64ロクヨン」だが、担当刑事だった三上(佐藤浩市)は現在広報部に左遷となっている。
見ているとどうやら警察署の広報部は恵まれていない部署の様で、三上は左遷されたように見える。
前半で描かれるのは、刑事部と警務部の対立や、広報と記者クラブの対立、キャリアとノンキャリの対立、さらに警察組織のゆがんだ人事状況などがこれでもかとばかりに描かれる。
最初に描かれるのは警察の隠ぺい体質で、交通事故の加害者が公安委員会会長の娘だったことで、加害者名が匿名とされたことである。
しかもその事実が広報官に知らされていなかったために、広報部は記者クラブの突き上げに四苦八苦する。
観客はキャリア組の高慢な態度に反感を抱くという描き方だが、それでも三上は職務に忠実で、記者連中が本部長室へ押しかけるのを必死で阻止する。
三上の態度にはサラリーマンの悲哀を垣間見た気がする。
キャリアとノンキャリアの溝は理解できるが、警察内部の組織間の対立がなぜ発生しているのかは映画を見ている限りにおいては分からない。
売れるものを作らない企画部と、作ったものを売ることができない営業部との軋轢のようなものだろうか。
そう言えば僕の会社でも総務部と営業部の根底にはお互いに批判めいた感情を有していたから、どこの組織においても部門間の対立は存在しているのかもしれない。
前編は第2のロクヨン事件が発生したところで終わるが、後編も見たくなる終わり方だ。