「笑う蛙」 2002年 日本
監督 平山秀幸
出演 長塚京三 大塚寧々 國村隼
雪村いづみ 三田村周三 南果歩
ストーリー
倉沢逸平(長塚京三)は、かつてエリート銀行員だったが、愛人に入れあげ顧客の預金を横領し立派な犯罪者となり失踪。
あとに残された妻の涼子(大塚寧々)は家を処分し実家の別荘に移り住む。
50歳を目前にし、逃亡に疲れた逸平が隠れ家にと思い出したのが、ほとんど使ってなかったこの別荘。
そして夫婦は当然の如くハチあわせ。
自首を勧める涼子と、逃亡を続けたい逸平の話は平行線かとおもわれたが、ここで涼子から「一週間かくまうので、出てゆくときに離婚届けの判を押せ」という提案がなされる。
涼子には現在、吉住(國村隼)という墓石屋の恋人がいて、再婚を望まれているのだ。
かくして逸平はこの別荘の納戸の住人となる。
そして壁の隙間から目にするのは、涼子と吉住の情事。
妻に対してとうに情は失っていると思っていたが、覗き見ているという状況も手伝って、逸平は激しい興奮を覚える。
目の前の涼子の姿態は、かつてないほど官能的であった。
僅かの距離であるだけに、絶対に手の出せない自分に逸平は激しく煩悶する。
涼子も逸平の目を意識しながら振舞っている自分が演技をしているのか、ありのままの自分なのか判らなくなってゆく。
妻という意識はとうに捨て去っていたはずなのに、夫の存在を体のどこかが勝手に感じて、それゆえにかつてない陶酔に溺れてゆく…。
寸評
前宣伝のストーリーを読むと、それはまるで谷崎潤一郎の世界を想像させるものだ。
納戸に隠れ住む夫が節穴から妻の情事を覗き見て激しい興奮を覚える・・・。
ところが実際は全くの喜劇で、そんなドロドロした本能の描写はない。
わずかに見える妻の姿態と、漏れ聞こえる歓喜の声は、実はマッサージをしてもらっているせいだったりする。
だから勝手な想像をして作品に対するイメージを持つと裏切られた気分になる。
前宣伝で紹介される物語の説明はペテンに近いものがあって、チョットひどいのでないかと思う。
しかしそれは宣伝部か配給会社の都合であって、平山秀幸の演出はそれとは関係なく冴えを見せる。
大塚寧々演ずる涼子の新しい恋人が國村隼という冴えないオッサンで、どうしてかっこいい男ではないのかと思っていたが、観終わると納得させられていた。
初めは中年男が入れ込んでいるだけの関係かと想像していたが、國村が立小便をしながら「お前もこんな所で出来ないと俺の嫁になれないぞ。広い墓ばかりじゃないんだから」などと高飛車に言う所をみると、まんざら一方的な関係ではなさそうな事が解る。
そしてそれが伏線になっていて、あるにわか雨の日、逸平が思わず洗濯物のシーツを取り入れたらその向こうに立ちションをしている國村がいて、その存在を悟られてしまうくだりなどは本当にうまいと思う。
出てくる人間は皆自分勝手で、國村演ずる吉住がいちばん素直なのも愉快だ。
もともと逸平は愛人(南果歩)をつくり、横領事件を起こして逃亡している男だし、妻の涼子も一番したたかな女で自分の人生を歩もうとしている。
母親の早苗(雪村いづみ)は男に貢いでいて別荘を処分しようとしているし、娘の咲子(金久美子)は反対にそのお金をあてにしている。
そのダンナ(きたろう)は中国人となにやら好き勝手なことをやっていて、どうやら愛人もいるようだ。
そんな風にそれぞれが勝手で、逸平に死んでもらうかどうかを多数決で決めようとしたりする。
そんなやり取りに人間のエゴが垣間見れて面白い。
雪村いづみが結婚しようとする相手役にミッキー・カーチスを持ってきたところなどは、かつての関係を知っている者にとってはそのサービス精神に思わず拍手したくなる。
時折やって来る刑事役の三田村周三も事件だけを追っかけているようで、大塚寧々にも気があるような感じもするし・・・。
大海を知らない井戸の中の蛙が笑ってしまうような人間模様だった。
蛙は何回登場したかなぁ?
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監督 平山秀幸
出演 長塚京三 大塚寧々 國村隼
雪村いづみ 三田村周三 南果歩
ストーリー
倉沢逸平(長塚京三)は、かつてエリート銀行員だったが、愛人に入れあげ顧客の預金を横領し立派な犯罪者となり失踪。
あとに残された妻の涼子(大塚寧々)は家を処分し実家の別荘に移り住む。
50歳を目前にし、逃亡に疲れた逸平が隠れ家にと思い出したのが、ほとんど使ってなかったこの別荘。
そして夫婦は当然の如くハチあわせ。
自首を勧める涼子と、逃亡を続けたい逸平の話は平行線かとおもわれたが、ここで涼子から「一週間かくまうので、出てゆくときに離婚届けの判を押せ」という提案がなされる。
涼子には現在、吉住(國村隼)という墓石屋の恋人がいて、再婚を望まれているのだ。
かくして逸平はこの別荘の納戸の住人となる。
そして壁の隙間から目にするのは、涼子と吉住の情事。
妻に対してとうに情は失っていると思っていたが、覗き見ているという状況も手伝って、逸平は激しい興奮を覚える。
目の前の涼子の姿態は、かつてないほど官能的であった。
僅かの距離であるだけに、絶対に手の出せない自分に逸平は激しく煩悶する。
涼子も逸平の目を意識しながら振舞っている自分が演技をしているのか、ありのままの自分なのか判らなくなってゆく。
妻という意識はとうに捨て去っていたはずなのに、夫の存在を体のどこかが勝手に感じて、それゆえにかつてない陶酔に溺れてゆく…。
寸評
前宣伝のストーリーを読むと、それはまるで谷崎潤一郎の世界を想像させるものだ。
納戸に隠れ住む夫が節穴から妻の情事を覗き見て激しい興奮を覚える・・・。
ところが実際は全くの喜劇で、そんなドロドロした本能の描写はない。
わずかに見える妻の姿態と、漏れ聞こえる歓喜の声は、実はマッサージをしてもらっているせいだったりする。
だから勝手な想像をして作品に対するイメージを持つと裏切られた気分になる。
前宣伝で紹介される物語の説明はペテンに近いものがあって、チョットひどいのでないかと思う。
しかしそれは宣伝部か配給会社の都合であって、平山秀幸の演出はそれとは関係なく冴えを見せる。
大塚寧々演ずる涼子の新しい恋人が國村隼という冴えないオッサンで、どうしてかっこいい男ではないのかと思っていたが、観終わると納得させられていた。
初めは中年男が入れ込んでいるだけの関係かと想像していたが、國村が立小便をしながら「お前もこんな所で出来ないと俺の嫁になれないぞ。広い墓ばかりじゃないんだから」などと高飛車に言う所をみると、まんざら一方的な関係ではなさそうな事が解る。
そしてそれが伏線になっていて、あるにわか雨の日、逸平が思わず洗濯物のシーツを取り入れたらその向こうに立ちションをしている國村がいて、その存在を悟られてしまうくだりなどは本当にうまいと思う。
出てくる人間は皆自分勝手で、國村演ずる吉住がいちばん素直なのも愉快だ。
もともと逸平は愛人(南果歩)をつくり、横領事件を起こして逃亡している男だし、妻の涼子も一番したたかな女で自分の人生を歩もうとしている。
母親の早苗(雪村いづみ)は男に貢いでいて別荘を処分しようとしているし、娘の咲子(金久美子)は反対にそのお金をあてにしている。
そのダンナ(きたろう)は中国人となにやら好き勝手なことをやっていて、どうやら愛人もいるようだ。
そんな風にそれぞれが勝手で、逸平に死んでもらうかどうかを多数決で決めようとしたりする。
そんなやり取りに人間のエゴが垣間見れて面白い。
雪村いづみが結婚しようとする相手役にミッキー・カーチスを持ってきたところなどは、かつての関係を知っている者にとってはそのサービス精神に思わず拍手したくなる。
時折やって来る刑事役の三田村周三も事件だけを追っかけているようで、大塚寧々にも気があるような感じもするし・・・。
大海を知らない井戸の中の蛙が笑ってしまうような人間模様だった。
蛙は何回登場したかなぁ?