おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

お茶漬の味

2020-12-01 07:36:11 | 映画
「お茶漬の味」 1952年 日本


監督 小津安二郎
出演 佐分利信 木暮実千代 鶴田浩二 笠智衆
   淡島千景 津島恵子 三宅邦子 柳永二郎
   十朱久雄 望月優子 設楽幸嗣 小園蓉子

ストーリー
妙子(木暮実千代)が佐竹茂吉(佐分利信)と結婚してからもう七、八年になる。
信州の田舎出身の茂吉と上流階級の洗練された雰囲気で育った妙子は、初めから生活態度や趣味の点でぴったりしないまま今日に至り、そうした生活の所在なさがそろそろ耐えられなくなっていた。
妙子は学校時代の友達、雨宮アヤ(淡島千景)や黒田高子(上原葉子)、長兄の娘節子(津島恵子)などと、茂吉に内緒で修善寺などへ出かけて遊ぶことで、何となく鬱憤を晴らしていた。
茂吉はそんな妻の遊びにも一向に無関心な顔をして、相変わらず妙子の嫌いな「朝日」を吸い、三等車に乗り、ご飯にお汁をかけて食べるような習慣を改めようとはしなかった。
たまたま節子が見合いの席から逃げ出したことを妙子が叱った時、無理に結婚させても自分たちのような夫婦がもう一組できるだけだ、と言った茂吉の言葉が、大いに妙子の心を傷つけた。
それ以来二人は口も利かず、そのあげく妙子は神戸の同窓生の所へ遊びに行ってしまった。
その留守中、急に茂吉の海外出張が決まり、電報を打っても妙子が帰ってこないまま、茂吉は知人に送られて発ってしまった。
その後で妙子は家に帰ってきたが、茂吉のいない家が彼女には初めて虚しく思われた。
しかしその夜更け、思いがけなく茂吉が帰ってきた。
飛行機が故障で途中から引き返し、出発が翌朝に延びたというのであった。
夜更けた台所で、二人はお茶漬を食べた。
この気安い、体裁のない感じに、妙子は初めて夫婦というものの味をかみしめるのだった。
その翌朝、妙子一人が茂吉の出発を見送った。
茂吉の顔も妙子の顔も、別れの淋しさよりも何かほのぼのとした明るさに輝いているようだった。


寸評
佐分利信が演じる佐竹茂吉は会社では機械部の部長をしていて、自宅にはお手伝いさんを置いているから、かなり裕福な家庭である。
木暮実千代の妙子とは見合い結婚をしたようで、二人の間に子供はいなさそうだが、姪の節子を可愛がっている平凡な家庭に見える。
しかし実態は夫婦間に微妙な隙間風が吹いている。
妻の妙子は田舎出身の茂吉が食べる猫まんまが気に入らないし、吸っている煙草の銘柄にも不満だ。
気楽な暮らしがしたい夫と、洗練された暮らしを求める妻との間にある微妙な空気感が膨らんでいく。
育ってきた環境が違う二人が夫婦になるのは当たり前のことで、年数と共に思いの違いが表面化してくるのはどんな夫婦でも経験していることだろうから、描かれている内容は映画とは言え作りごとの世界ではない。

妻の妙子は自分の思い通りにならないと気が済まない性格の様で、その事は淡島千景のアヤによっても指摘されている。
嘘を言って友人たちと修善寺温泉に行っているが、夫はその嘘を見抜いていても文句を言うわけではない。
それで家庭が平和なら、それでいいじゃないかという態度である。
茂吉は妙子に意見されながらも、それに従っていれば家庭円満だと諦めているようなふしがある。
猫まんまを注意されると、留守の時には時々食べていると正直に告白し、これからはやらないと謝ってしまう。
怒り出してもいいような場面だが、そうすることで妻の機嫌が直るなら自分は我慢しようという態度で、しかもそれをお手伝いさんに笑って話す屈折した精神構造を見せる。
しかし男の僕から言わせれば、自分の思い通りにならないと気が済まない妻への対応としては、それ以外の態度は取れないのではないかと思ってしまう。

特に何も起こらなかった生活描写に転機が訪れるのが、節子の見合い話である。
節子は見合いをすること自体を拒否している。
見合いの当日をすっぽかすぐらいだから、見合いに対する嫌悪感は相当なものだ。
茂吉は妙子に促されてすっぽかしに対する一応の説教をするが、気が進まない結婚をしても自分たちと同じような夫婦を作るだけだと、つい口走ってしまう。
茂吉は結婚生活に満足していなかったということを暗に匂わす、この作品の中では一番強烈な会話だ。
見ていると、どうも茂吉には会社でも家庭でも覇気を感じないのだが、それはこの茂吉の満たされない気持ちの表現として意図したものだったのかもしれない。

茂吉の海外転勤の出発トラブルで夫婦が理解し合う場面が微笑ましくて可笑しい。
お茶漬けと漬物を美味しそうに食べ、この気楽さがいいのが分かったと妻が涙を浮かべ謝罪する。
夫も涙を浮かべ、結婚生活で今が一番うれしい時だと言ったことが妙子によって語られるが、その場面があっても良かったような気がする。
新しい世代の若者として鶴田浩二と津島恵子我登場し、二人の先が暗示されている。
この夫婦もかかあ天下を思わせるのだが、かか天下が家庭円満の近道なのかもしれない。