「カポーティ」 2005年 アメリカ
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監督 ベネット・ミラー
出演 フィリップ・シーモア・ホフマン
キャサリン・キーナー
クリフトン・コリンズ・Jr
クリス・クーパー
ブルース・グリーンウッド
ボブ・バラバン
ストーリー
1959年。小説「ティファニーで朝食を」で名声を高めた作家のトルーマン・カポーティは、カンザス州の田舎町で、農家の一家四人が惨殺されたという小さな新聞記事に目を留める。
カポーティはノンフィクションの新たな境地を開くという野望を胸に、ザ・ニューヨーカー誌の編集者、ウィリアム・ショーンに執筆許可を取りつけ、良き理解者である幼なじみのネル・ハーパー・リーを伴い取材に着手。
田舎町では彼の名声も役に立たず、最初は難航したが、やがて地元の警察の捜査部長であるアルヴィン・デューイの妻がカポーティのファンであったことから事態が好転し、逮捕された犯人二人組に接触する。
その内の一人、ペリー・スミスとの出会いはカポーティの創作意欲を強く刺激した。
カポーティとペリーは生い立ちや境遇に共通点があり、二人は互いに相手の中に自分を見出すようになっていたのだが、やがてペリーに死刑判決が下された。
ペリーは、何度も面会に来るカポーティに心を開きかけていたが、ある時、自分の話をカポーティが小説に書き始めていることを知って警戒し始め、カポーティの執筆は停滞。
それでもカポーティは、小説を完成させる野心を捨てることができず、ペリーとの間に芽生えた友情と信頼を裏切る形で、ついに小説のクライマックスとなる犯行の詳細について聞き出すことに成功する。
やがてペリーは、カポーティの眼前で絞首刑に処された。
1965年、小説は「冷血」というタイトルでザ・ニューヨーカー誌に発表され、大反響を巻き起こすが、心に大きな痛手を負ったカポーティは、それ以降、本格的な作品を書けなくなってしまうのだった。
寸評
カポーティを演じたフィリップ・シーモア・ホフマンは、本作でアカデミー主演男優賞を受賞したのだが、たぶん声や外見を徹底的に似せたのであろうと思われる役作りは、不気味な存在感を生み出し見ごたえたっぷりである。
登場した時からカポーティは常人ではない雰囲気があり、僕は時間を経るごとに彼に対する嫌悪感が増幅していった。
彼は他人の人生に踏み込んでいくような行動ながら、ついにスミスの心を開かせることに成功する。
ところがカポーティはその裏で、彼を信頼して真実を打ち明けたスミスを裏切るような内容の小説を書いている。
「冷血」というタイトルを自ら決めておきながら、スミスにはまだ決めていないと嘘をつく。
親身になって話を聞いてやるふりをする偽善者だ。
一方で親しい友人たちの輪に入った時はアルコールも手伝ってはしゃぎまくり、子供の様な側面を見せる。
話す内容は時によっては悪意に満ちたものだったりするのだが、その姿は無邪気なものなのである。
スミスは思惑違いから、わずかの金のために残虐な殺人を行った極悪人だが、一方のカポーティも人間性に於いて欠陥を持つ人物に見えてくる。
作家はいろんな人の人生を描き続けるが、傑作を手にするための取材を通じて、偽りの涙を流し、対象者に姿を借りた偽りの人生を生きることもあるのだろう。
そんな悩みから名を成した小説家が何人も自殺しているのかもしれない。
テレビを見ていると芸能レポーターとか報道関係者の傍若無人な振る舞いが目に付くことがある。
節度ある取材を試みている人もいるが、報道の自由の名のもとにずかずかと他人の家に上がり込むような印象を受け不愉快になることがある。
カポーティには小説家として、そのような嫌な部分を感じる。
スミスの姉が会いたくないと言っているのに、スミスには会いたがっていたと平気で嘘を伝えている。
作家としてはスミスにに死んでもらって作品を完成させたいという冷徹な気持ちがあり、反面スミスを失う事に対する人間としての痛みを感じるカポーティの精神は不安定だ。
スミスの死をどこかで望む自分がいて、カポーティは「弁護士はみつからなかった」と嘘の断りを書き送る。
その結果として彼は「冷血」というノンフィクション・ノベルの傑作をものにする。
そうまでしてカポーティをスミスにのめり込ませたものは何だったのか。
たぶんそれは、人を思いやる優しい面と瞬時に残酷になれる二面性をスミスにみいだしたからではなかったか。
カポーティはスミスに自分の影を見ていたに違いない。
自分とスミスは同じ家に住んでいて、スミスは裏口から出ていったが自分は表から出ていっただけなのだと言う。
人の分かれ道はちょっとしたことなのかもしれない。
カポーティは「僕は彼を助けることができなかった」と懺悔する。
しかし、幼馴染の女性作家は冷静に「結局のところ、あなたは彼を助けたくなかったのよ」と言い当てる。
人を借りて自分の内面を書き写す作家の偽善性を痛感したカポーティは以後作品が掛けなくなり、酒浸りとなったことが伝えられる。
僕には作家という人種の精神構造がいまもって理解できないでいる。
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監督 ベネット・ミラー
出演 フィリップ・シーモア・ホフマン
キャサリン・キーナー
クリフトン・コリンズ・Jr
クリス・クーパー
ブルース・グリーンウッド
ボブ・バラバン
ストーリー
1959年。小説「ティファニーで朝食を」で名声を高めた作家のトルーマン・カポーティは、カンザス州の田舎町で、農家の一家四人が惨殺されたという小さな新聞記事に目を留める。
カポーティはノンフィクションの新たな境地を開くという野望を胸に、ザ・ニューヨーカー誌の編集者、ウィリアム・ショーンに執筆許可を取りつけ、良き理解者である幼なじみのネル・ハーパー・リーを伴い取材に着手。
田舎町では彼の名声も役に立たず、最初は難航したが、やがて地元の警察の捜査部長であるアルヴィン・デューイの妻がカポーティのファンであったことから事態が好転し、逮捕された犯人二人組に接触する。
その内の一人、ペリー・スミスとの出会いはカポーティの創作意欲を強く刺激した。
カポーティとペリーは生い立ちや境遇に共通点があり、二人は互いに相手の中に自分を見出すようになっていたのだが、やがてペリーに死刑判決が下された。
ペリーは、何度も面会に来るカポーティに心を開きかけていたが、ある時、自分の話をカポーティが小説に書き始めていることを知って警戒し始め、カポーティの執筆は停滞。
それでもカポーティは、小説を完成させる野心を捨てることができず、ペリーとの間に芽生えた友情と信頼を裏切る形で、ついに小説のクライマックスとなる犯行の詳細について聞き出すことに成功する。
やがてペリーは、カポーティの眼前で絞首刑に処された。
1965年、小説は「冷血」というタイトルでザ・ニューヨーカー誌に発表され、大反響を巻き起こすが、心に大きな痛手を負ったカポーティは、それ以降、本格的な作品を書けなくなってしまうのだった。
寸評
カポーティを演じたフィリップ・シーモア・ホフマンは、本作でアカデミー主演男優賞を受賞したのだが、たぶん声や外見を徹底的に似せたのであろうと思われる役作りは、不気味な存在感を生み出し見ごたえたっぷりである。
登場した時からカポーティは常人ではない雰囲気があり、僕は時間を経るごとに彼に対する嫌悪感が増幅していった。
彼は他人の人生に踏み込んでいくような行動ながら、ついにスミスの心を開かせることに成功する。
ところがカポーティはその裏で、彼を信頼して真実を打ち明けたスミスを裏切るような内容の小説を書いている。
「冷血」というタイトルを自ら決めておきながら、スミスにはまだ決めていないと嘘をつく。
親身になって話を聞いてやるふりをする偽善者だ。
一方で親しい友人たちの輪に入った時はアルコールも手伝ってはしゃぎまくり、子供の様な側面を見せる。
話す内容は時によっては悪意に満ちたものだったりするのだが、その姿は無邪気なものなのである。
スミスは思惑違いから、わずかの金のために残虐な殺人を行った極悪人だが、一方のカポーティも人間性に於いて欠陥を持つ人物に見えてくる。
作家はいろんな人の人生を描き続けるが、傑作を手にするための取材を通じて、偽りの涙を流し、対象者に姿を借りた偽りの人生を生きることもあるのだろう。
そんな悩みから名を成した小説家が何人も自殺しているのかもしれない。
テレビを見ていると芸能レポーターとか報道関係者の傍若無人な振る舞いが目に付くことがある。
節度ある取材を試みている人もいるが、報道の自由の名のもとにずかずかと他人の家に上がり込むような印象を受け不愉快になることがある。
カポーティには小説家として、そのような嫌な部分を感じる。
スミスの姉が会いたくないと言っているのに、スミスには会いたがっていたと平気で嘘を伝えている。
作家としてはスミスにに死んでもらって作品を完成させたいという冷徹な気持ちがあり、反面スミスを失う事に対する人間としての痛みを感じるカポーティの精神は不安定だ。
スミスの死をどこかで望む自分がいて、カポーティは「弁護士はみつからなかった」と嘘の断りを書き送る。
その結果として彼は「冷血」というノンフィクション・ノベルの傑作をものにする。
そうまでしてカポーティをスミスにのめり込ませたものは何だったのか。
たぶんそれは、人を思いやる優しい面と瞬時に残酷になれる二面性をスミスにみいだしたからではなかったか。
カポーティはスミスに自分の影を見ていたに違いない。
自分とスミスは同じ家に住んでいて、スミスは裏口から出ていったが自分は表から出ていっただけなのだと言う。
人の分かれ道はちょっとしたことなのかもしれない。
カポーティは「僕は彼を助けることができなかった」と懺悔する。
しかし、幼馴染の女性作家は冷静に「結局のところ、あなたは彼を助けたくなかったのよ」と言い当てる。
人を借りて自分の内面を書き写す作家の偽善性を痛感したカポーティは以後作品が掛けなくなり、酒浸りとなったことが伝えられる。
僕には作家という人種の精神構造がいまもって理解できないでいる。