「東京物語」 1953年 日本
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監督 小津安二郎
出演 笠智衆 東山千栄子 原節子 杉村春子
山村聡 三宅邦子 香川京子 東野英治郎
中村伸郎 大坂志郎 十朱久雄 長岡輝子
ストーリー
周吉(笠智衆)、とみ(東山千栄子)の老夫婦は住みなれた尾道から二十年振りに東京にやって来た。
途中大阪では三男の敬三(大坂志郎)に会えたし、東京では長男幸一(山村聡)の一家も長女志げ(杉村春子)の夫婦も歓待してくれて、熱海までやって貰いながら、何か親身な温かさが欠けている事がものたりなかった。
それと云うのも、医学博士の肩書まである幸一も志げの美容院も、思っていた程楽でなく、それぞれの生活を守ることで精一杯にならざるを得なかったからである。
周吉は同郷の老友との再会に僅かに慰められ、とみは戦死した次男昌二の未亡人紀子(原節子)の昔変らざる心遣いが何よりも嬉しかった。
尾道に居る末娘京子(香川京子)からハハキトクの電報が東京のみんなを驚かしたのは、老夫婦が帰国してまもなくの事で、脳溢血で倒れたとみは幸一にみとられて静かにその一生を終った。
駈けつけたみんなは悲嘆にくれたが、葬儀がすむとまたあわただしく帰らねばならなかった。
若い京子には兄姉達の非人情がたまらなかった。
紀子は京子に大人の生活の厳しさを言い聞かせながらも、自分自身何時まで今の独り身で生きていけるか不安を感じないではいられなかった。
東京へ帰る日、紀子は心境の一切を周吉に打ちあけた。
周吉は紀子の素直な心情に今更の如く心打たれて、老妻の形見の時計を紀子に贈った。
翌日、紀子の乗った上り列車を京子は小学校の丘の上から見送った。
周吉はひとり家で身ひとつの侘びしさをしみじみ感じた。
寸評
語り尽くされた感のある、紛れもない小津の最高傑作で今見ても色あせていない。
古い造りの映画だが、そこに描かれているのは永遠のテーマである。
それは社会の最小単位である家族というものの、思いやりと同時にある危うさと欺瞞を内在した関係だ。
小津の描く世界は社会の最下層の人々ではない、言い換えれば少し裕福で日本人のほとんどが自分たちを評価している”中の上”の家族だ。
したがって、そこに描かれる内容はどの作品でも大きな事件など起こらないし、庶民のごく平凡な日常である。
この作品でも普通の家族をごく普通に描きながら、どの家族にでもある普遍的な問題をそれとなく描いている。
家族はそれぞれいたわりあって、愛し合って、支えあってというものなのだろうが、その家族第一主義が時としてほころびを見せる。
切っても切れないものが家族であるから、その家族であることの煩わしさが迫って来ることもある。
長男は町医者をしているがそれほど裕福でもなく狭い家に住んでいる。
したがって両親を泊まらせるためには子供部屋を空けなくてはならない。
孫はそのことを不満に思い、遠路訪ねてきた祖父母は厄介者でしかない。
厄介者と思っているのは孫だけではない。
長居が過ぎると、長男も長女もだんだんと両親が厄介者になってくるのだ。
自分たちにとって肉親よりも大事にしてくれる人が居るのではないかと登場してくるのが原節子の紀子だ。
息子の嫁だったが、息子は亡くなっていて彼女はもう赤の他人なのだ。
そのことは、家族第一主義ではなく、自分を大事にしてくれる人を大切にしなさいと言っているようだ。
今日起きている親子問題のひとつの解決方法を予言しているようで鋭い。
周吉の旧友たちがこぼす愚痴や状況も心当たりがあるものだ。
息子へ不満を持っている東野英治郎、妻に主導権を握られている十朱久雄などだ。
軽妙な役を引き受けているのが長女の志げをやった杉村春子なのだが、滞在している両親のことを美容院のお客から「誰か来ているの?」と聞かれ、「ちょっと田舎の知り合い」と実に覚めた会話をさせている。
両親が田舎から出てきていると言えばいいのだが、素直にそう言えないのは、彼女が心のどこかに両親を卑下しているところがあるからだ。
見逃してしまいそうな場面に、そんな恐ろしい会話を忍ばせているのが小津のすごいところだと思う。
そして形見分けのシーンでも自分の欲しいものをチャッカリせしめて末娘からはヒンシュクを買うのだが、これも死んでしまった親はどうしようもないという覚めた感覚を表していた。
最後に周吉が家でひとり寂しそうにたたずんでいるシーンで終わるのだが、僕は「周吉さん、寂しいばかりじゃないよ。家族という呪縛からやっと逃れることができたんだ」と声をかけたくなった。
それに周吉さんには末娘もいるし、近所の人もいるいい時代だったよねと・・・。
町医者で自分の仕事のことで精一杯の長男、美容院を維持してゆくことで頭が一杯の長女、親不孝を自覚しているが自分の生活を優先する三男など、子供たちは親よりも自分の生活を守ることで精一杯なのだ。
ホームドラマのようでありながら、家族の崩壊を描いた恐ろしい映画でもあった。
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監督 小津安二郎
出演 笠智衆 東山千栄子 原節子 杉村春子
山村聡 三宅邦子 香川京子 東野英治郎
中村伸郎 大坂志郎 十朱久雄 長岡輝子
ストーリー
周吉(笠智衆)、とみ(東山千栄子)の老夫婦は住みなれた尾道から二十年振りに東京にやって来た。
途中大阪では三男の敬三(大坂志郎)に会えたし、東京では長男幸一(山村聡)の一家も長女志げ(杉村春子)の夫婦も歓待してくれて、熱海までやって貰いながら、何か親身な温かさが欠けている事がものたりなかった。
それと云うのも、医学博士の肩書まである幸一も志げの美容院も、思っていた程楽でなく、それぞれの生活を守ることで精一杯にならざるを得なかったからである。
周吉は同郷の老友との再会に僅かに慰められ、とみは戦死した次男昌二の未亡人紀子(原節子)の昔変らざる心遣いが何よりも嬉しかった。
尾道に居る末娘京子(香川京子)からハハキトクの電報が東京のみんなを驚かしたのは、老夫婦が帰国してまもなくの事で、脳溢血で倒れたとみは幸一にみとられて静かにその一生を終った。
駈けつけたみんなは悲嘆にくれたが、葬儀がすむとまたあわただしく帰らねばならなかった。
若い京子には兄姉達の非人情がたまらなかった。
紀子は京子に大人の生活の厳しさを言い聞かせながらも、自分自身何時まで今の独り身で生きていけるか不安を感じないではいられなかった。
東京へ帰る日、紀子は心境の一切を周吉に打ちあけた。
周吉は紀子の素直な心情に今更の如く心打たれて、老妻の形見の時計を紀子に贈った。
翌日、紀子の乗った上り列車を京子は小学校の丘の上から見送った。
周吉はひとり家で身ひとつの侘びしさをしみじみ感じた。
寸評
語り尽くされた感のある、紛れもない小津の最高傑作で今見ても色あせていない。
古い造りの映画だが、そこに描かれているのは永遠のテーマである。
それは社会の最小単位である家族というものの、思いやりと同時にある危うさと欺瞞を内在した関係だ。
小津の描く世界は社会の最下層の人々ではない、言い換えれば少し裕福で日本人のほとんどが自分たちを評価している”中の上”の家族だ。
したがって、そこに描かれる内容はどの作品でも大きな事件など起こらないし、庶民のごく平凡な日常である。
この作品でも普通の家族をごく普通に描きながら、どの家族にでもある普遍的な問題をそれとなく描いている。
家族はそれぞれいたわりあって、愛し合って、支えあってというものなのだろうが、その家族第一主義が時としてほころびを見せる。
切っても切れないものが家族であるから、その家族であることの煩わしさが迫って来ることもある。
長男は町医者をしているがそれほど裕福でもなく狭い家に住んでいる。
したがって両親を泊まらせるためには子供部屋を空けなくてはならない。
孫はそのことを不満に思い、遠路訪ねてきた祖父母は厄介者でしかない。
厄介者と思っているのは孫だけではない。
長居が過ぎると、長男も長女もだんだんと両親が厄介者になってくるのだ。
自分たちにとって肉親よりも大事にしてくれる人が居るのではないかと登場してくるのが原節子の紀子だ。
息子の嫁だったが、息子は亡くなっていて彼女はもう赤の他人なのだ。
そのことは、家族第一主義ではなく、自分を大事にしてくれる人を大切にしなさいと言っているようだ。
今日起きている親子問題のひとつの解決方法を予言しているようで鋭い。
周吉の旧友たちがこぼす愚痴や状況も心当たりがあるものだ。
息子へ不満を持っている東野英治郎、妻に主導権を握られている十朱久雄などだ。
軽妙な役を引き受けているのが長女の志げをやった杉村春子なのだが、滞在している両親のことを美容院のお客から「誰か来ているの?」と聞かれ、「ちょっと田舎の知り合い」と実に覚めた会話をさせている。
両親が田舎から出てきていると言えばいいのだが、素直にそう言えないのは、彼女が心のどこかに両親を卑下しているところがあるからだ。
見逃してしまいそうな場面に、そんな恐ろしい会話を忍ばせているのが小津のすごいところだと思う。
そして形見分けのシーンでも自分の欲しいものをチャッカリせしめて末娘からはヒンシュクを買うのだが、これも死んでしまった親はどうしようもないという覚めた感覚を表していた。
最後に周吉が家でひとり寂しそうにたたずんでいるシーンで終わるのだが、僕は「周吉さん、寂しいばかりじゃないよ。家族という呪縛からやっと逃れることができたんだ」と声をかけたくなった。
それに周吉さんには末娘もいるし、近所の人もいるいい時代だったよねと・・・。
町医者で自分の仕事のことで精一杯の長男、美容院を維持してゆくことで頭が一杯の長女、親不孝を自覚しているが自分の生活を優先する三男など、子供たちは親よりも自分の生活を守ることで精一杯なのだ。
ホームドラマのようでありながら、家族の崩壊を描いた恐ろしい映画でもあった。