おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

夏の庭 The Friends

2019-12-01 11:41:28 | 映画
「夏の庭 The Friends」 1994年 日本


監督 相米慎二
出演 三國連太郎 坂田直樹 王泰貴
   牧野憲一 戸田菜穂 根本りつ子
   笑福亭鶴瓶 寺田農 柄本明
   矢崎滋 淡島千景

ストーリー
小学6年生のサッカー仲間、木山諄、河辺、山下の3人は、ふと人の死について興味を抱き、近所に住む変わり者の老人・傳法(でんぽう)喜八に目をつけ、彼がどんな死に方をするか見張ることにした。
荒れ放題のあばら家にひとり住む様子を観察する3人に気づいた喜八は最初は怒り出すが、やがてごく自然に4人の交流が始まる。
老人の指示通り子供たちは庭の草むしりや家のペンキ塗りを行い、庭にはコスモスの種を巻き、家は見違えるようにきれいになっていった。
子供たちは喜八から、古香弥生という名の女性と結婚していたが別れたという話や、戦争中、兵隊をしていた時にジャングルの小さな村でやむを得ず身重の女の人を殺してしまった話などを聞く。
3人は喜八の別れた妻を探し出すことにし、やがてそれらしき人を探し当て老人ホームに訪ねると、部屋には担任の静香先生がいて、静香先生は何と弥生の孫だった。
弥生はボケているのか夫は死んだと答えるばかりだったが、静香は喜八は自分の祖父に違いないと確信し彼を訪ねたが、喜八もそれを否定した。
そんなある日、子供たちはサッカーの試合の帰りに喜八の家に寄ってみると、彼は既に息絶えていた。
葬儀の日、3人の子供たちや市役所の職員、遺産のことばかり気にする甥の勝弘らが見守る中、静香に連れられ弥生がやって来る。
じっと棺の中の喜八の顔を見つめていた弥生は、生きている相手に向かうかのように正座して「お帰りなさいまし」とお辞儀した。
数日後、取り壊しを控えた老人の家を訪ねた子供たちは、暗い井戸の底からトンボや蝶、ホタルが次々と飛んでいくのを目撃するが、それはまるでおじいさんが3人に別れの挨拶をしているかのようであった。


寸評
小学生の男の子と老人の交流を描いているが、コミュニティが小さくなってきている昨今では珍しくなってしまった人間関係で、描かれたような交流は望むべくもないものだ。
僕が彼等と同じような年ごろだったころは近所のおじさん宅や爺さん宅に気軽に遊びに行けたものだった。
もちろん悪さをすれば怒鳴りつけられたりしたが、おおむね適当に相手をしてくれた。
そこで聞くのは大人からの教えであり、知らなかった時代の話などで、爺ちゃんは尊敬の対象でもあったのだ。
そんな時代を髣髴させて3人の子供たちと爺ちゃんの交流は微笑ましく、また懐かしくもあった。
喜八老人の棲む家は雑草が生い茂ったあばら家であるが、そこで繰り広げられる日常も懐かしさを覚える。
障子を張り替える作業などはよくやらされたものだ。
爺ちゃんに教えてもらいながら作業を進める様子が楽しそうに描かれていた。
ロープを張って洗濯物を干す光景も昭和初期を思い浮かべるノスタルジックなものだった。

最初は人の家に勝手に入ってくるなと言っていた爺ちゃんも子供たちを受け入れる。
子供たちは庭の草引きをやらされるが、爺ちゃんは指示するだけで自分は働かない。
爺ちゃんはよぼよぼそうだが威厳はあるのだ。
子供たちも生活を通じて会得しているものがある。
一人は母子家庭なので家事を手伝っていて洗濯物を干すのが上手だ。
ご褒美で出されたスイカを斬る包丁が錆びついていたので、魚屋の息子は砥石で包丁を見事に研ぎあげる。
子供も案外とたくましいのだ。
手伝いをしているのを聞きつけて「あんたたちも手伝ったら」と親に言われた女の子二人が差し入れを持ってやってくるが、そんな親子も近所で暮らしているいい町だと分かる。
だから庭に積んだ雑草を燃やしても文句を言われないのだろう。

けなげな子供たちが頑張っているが、やはり映画を支えていたのは爺ちゃんの三國連太郎である。
喜八老人は戦争で子供を宿した女を殺した贖罪を背負い続けての一人暮らしを続けてきた。
それが妻と生き別れとなった理由でもあるのだが、その苦渋がにじみ出ていた。
妻だった淡島千景が最後のお別れをする場面も老女優による貫録の演技だった。
しかし年齢の衰えは如何ともしがたく、喜八老人が急死する場面では長時間息を止めることが出来ず、お腹が動いているのが気になった。
雨が降り雨粒が縁側の窓ガラスにつき、カメラは部屋の中にいる子供たちを外からとらえるシーンがある。
雨粒はまるで夜空に浮かぶ星のように見え、ガラスが凸レンズの役目をして一人の子供の顔が大きく見える。
美しいシーンで、動く映像が特徴である映画の中ではこの様なショットが心を打つ。
ラストシーンも美しいショットだった。
取り壊しを控えた老人の家を訪ねた子供たちは、暗い井戸の底からトンボや蝶、ホタルが次々と飛んでいくのを目撃するが、それは爺ちゃんのお別れの挨拶だというシーンである。
育てたコスモス畑は枯れ初め、あばら家も崩れかけているが、子供たちはそれを受け入れて歩き出すたくましさを兼ね備えるようになっていて、ひと夏の経験を通じて成長した彼等の姿を感じさせるラストだった。