おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

火宅の人

2020-12-16 08:32:39 | 映画
「火宅の人」 1986年 日本


監督 深作欣二
出演 緒形拳 いしだあゆみ 原田美枝子
   松坂慶子 利根川龍二 一柳信之
   大熊敏志 谷本小代子 檀ふみ
   石橋蓮司 蟹江敬三 井川比佐志
   宮内順子 真田広之 岡田裕介

ストーリー
作家、桂一雄(緒形拳)は、最初の妻リツ子に死なれ、後妻としてヨリ子(いしだあゆみ)をもらった。
ヨリ子は腹ちがいの一郎(利根川龍二)をはじめ、次郎(一柳信之)、弥太(大熊敏志)、フミ子(米沢由香)、サト子(岡村真美)と5人の子供を育ててきた。
昭和31年、夏、一雄は新劇女優、矢島恵子(原田美枝子)と事をおこした。
8年前の秋、彼女が知人の紹介状を持って訪ねて来て以来、その率直さに心魅かれていたのだ。
そんな時、一雄の身辺に凶事が重なった。
一昨年の夏は、奥秩父で落石に遭い助骨3本を骨折し、昨年の夏は、次郎が日本脳炎にかかって言葉も手足も麻痺してしまい、そして今年の夏、一雄は太宰治(岡田裕介)の文学碑の除幕式に参列するための青森行に恵子を誘ってしまった。
ヨリ子は次郎の事があってから、怪しげな宗教の力にすがるようになっていた。
青森から帰った一雄から、全てを打ち明けられたヨリ子は翌日家出し、一週間すぎても連絡はない。
ある嵐の夜、ヨリ子は覚悟を決めたと戻ってきたが、一雄は家を出て恵子と新しい生活をはじめる。
一雄は若々しい恵子との情事のとりこになっていった。
恵子が妊娠するが二人は派手な喧嘩をし、東京を離れた一雄は、五島列島行の連絡船にとび乗った。
彼はそこで、京都で怪我をした時介抱してくれた女性、葉子(松坂慶子)に再会した。
義父に犯された暗い過去を持つ彼女は、10年ぶりに里帰りしたのだ。
葉子は、あてのない一雄の旅の道連れとなったが、クリスマスの夜一人で旅立って行った。
東京へ戻り、久々に正月を家族と過ごすことになった一雄のもとに、次郎の死が知らされる。
次郎の葬儀の日、恵子から一雄の荷物が届けられた。


寸評
原作の同名小説は、愛人関係にあった舞台女優・入江杏子との生活、そして破局を描いたものとのことなのだが、未読なので私小説として事実との相違点や、原作と映画の違いなどは知る由もない。
僕は緒形拳が演じる桂一雄は最後の無頼派と言われた檀一雄その人だろうと思って見ている。
劇中でも「長恨歌」で直木賞がとれたと仲間が報告しているのだから、なぜ主人公を壇一雄としなかったのかと思ってしまうのだが、登場人物はそれとわかる名前ながら全員仮名となっている。
冒頭で檀一雄の長女である檀ふみさんが大学生と駆け落ちする一雄の母親役で出演している。
ドキュメンタリーではないので、まあ名前の件は大した問題ではない。

映画は女がいないと生きていけないぐうたらな男の物語である。
一雄は女に対して正直で優しいのだが、愛人と関係を持っても悪びれたところを見せない不道徳な男でもある。
日本脳炎にかかり麻痺が生じた二男を含め、5人の子供の面倒を妻に押し付け、放蕩を繰り返している。
若い原田美枝子や松坂慶子の脱ぎっぷりもいいが、取り乱すことなく怒りや悲しみを秘めた妻ヨリ子を演じたいしだあゆみが居てこその作品である。
恵子宅に泥棒に入った一郎が検挙され、一雄と恵子が警察を訪れたところへ本妻のヨリ子がやって来る。
恵子と大立ち回りになっても良いところなのだが、ヨリ子は恵子のおでこをピシャリと叩いて治まっている。
ヨリ子の恵子に対する思いが表現された上手い演出だ。
一雄が持って帰ってきたブリをさばく時の包丁使いにも秘めた感情が出ていたように思う。
ふと浮かべるわずかな微笑でこの女性のしたたかさを感じさせたのだが、そんな表情を見せるいしだあゆみは演技者として上手い。

知人の紹介状を持って訪ねて来た舞台女優の矢島恵子は愛人として一雄の子供を身ごもる。
一雄は産みたければ産めばいいし、その時は責任を取って認知すると言うのだが、恵子は舞台でいい役がもらえる大事な時だからと堕胎を選択する。
一方の一雄は原稿の締め切りが迫っていると病院に付き添うこともしないのだが、肉体だけの関係ではなくお互いに愛し合っているようでもある不思議な関係である。
しかし一雄は母親がとったように家庭を捨て去るようなことはしないし、太宰の様に情死することもない。
一雄も恵子も自分の気持ちのままに都合よく生きているように見え、普通の人には出来ない生き方である。
妻のヨリ子は「あなたのすることは何でも分かっています」と言い、一雄の行動を黙認している。
一雄は太宰治の記念碑の除幕式に恵子を連れていくが、妻のヨリ子はその事を察知しながら止めない。
一雄を子供たちの父親として迎えるが、夫としては迎えないと言う関係で一緒に暮らすという不思議な精神を持った女性なのだが、最後に見せる笑顔に僕は彼女の心の奥底を見いだせなかった。
偶然出会った葉子とも関係を結ぶが、彼女との放浪の旅の映像は美しい日本の景色を切り取ったものだ。
童心に帰ったような二人の姿は実に楽しそうだ。
この美しさの中で、一雄は自分の生き方にあらがうことも出来ず、ただ思いのままに快楽を求め続ける。
羨ましい限りの生き方だが、そんな生き方は誰もが出来るわけではないし、背徳の生き方だ。
それを貫いた檀一雄に感心してしまう。

家族はつらいよ

2020-12-15 08:38:58 | 映画
「家族はつらいよ」 2016年 日本


監督 山田洋次
出演 橋爪功 吉行和子 西村雅彦 夏川結衣
   中嶋朋子 林家正蔵 妻夫木聡 蒼井優
   小林稔侍 風吹ジュン 中村鷹之資
   丸山歩夢 笹野高史 笑福亭鶴瓶

ストーリー
東京の郊外に暮らす三世代同居の平田一家。
当主の周造(橋爪功)は、モーレツサラリーマンだった時期を終えて今は隠居生活を謳歌する日々。
妻の富子(吉行和子)の気持ちなど考えもしない。
長男・幸之助(西村雅彦)は仕事一筋で、家庭のもめ事は妻の史枝(夏川結衣)にまかせっきり。
家を出て税理士としてバリバリ働く気の強い長女・成子(中嶋朋子)は、夫・泰蔵(林家正蔵)との喧嘩が絶えない。
一方、独身でいまだ実家暮らしの次男・庄太(妻夫木聡)は、看護師の恋人・憲子(蒼井優)との結婚をついに決断しようとしていた。
今日も周造は仲間とゴルフを楽しんだ後、美人女将・かよ(風吹ジュン)がいる小料理屋で散々女房の悪口を言って盛り上がり上機嫌で帰宅。
史枝は酔っぱらっている周造に気を遣いながらも義父の苦言に笑顔で付き合う。
富子もまたそんな夫を優しく迎え、寝室で脱ぎ捨てる服を拾い歩きながら着替えを手伝うのだった。
周造はいつものように靴下を脱ぎ捨てながら、飾られたバラの花瓶を見て「その花どうした」と尋ねる。
誕生日に花をプレゼントする事は仲間の決まりで、今日は私の誕生日なのだと富子は言う。
すっかり忘れていた周造だったが、たまには妻に誕生日プレゼントでもしてやろうかと欲しいものを聞いてみると、富子が机から持ち出してきたのはまさかの離婚届で、突然の宣告を受け唖然と凍りつく周造。
こうして、平田家の“離婚騒動”は幕を開けた……。
秋晴れの日曜日、周造と富子、幸之助と史枝、長女・成子と夫・泰蔵が集まっている。
離婚問題について議論しようとしたとき、今日が家族会議だと聞かされていなかった次男の庄太が恋人を紹介するため憲子を連れてくる・・・。


寸評
話はありがちなもので目新しくはないが、それを芸達者たちが絶妙のアンサンブルで笑いを生み出している。
それもわかりやすい笑いばかりなので、老若男女誰でも笑える映画になっているのはさすがに職人・山田洋次ならではと思わせる。
特にびっくりするような演出はないけれど、かといってケチをつけたくなる演出もない。
実に手堅い演出で、80代半ばにしてこれだけの作品を撮れるのは助監督を経験した年期によるものだろう。
当事者たちは自分勝手でわがままなのだが、それを他人が見れば滑稽に見えて笑うしかないという家庭での出来事を見事に活写している。

一方で、サービス精神は非情に旺盛である。
大して意味のない小林稔侍扮する探偵のコスプレ写真集を見せるシーンがあったりする。
林家正蔵が父親の先代・三平のギャグとして有名な「どうもすいません」を見せる。
「落語家みたいな医者」だったと言わせた後で笑福亭鶴瓶の医者を登場させている。
山田監督といえば、「男はつらいよ」が先ず思い浮かぶが、その主題歌も登場している。
「東京家族」のポスターなどもあって山田ワールド全開である。
小林稔侍を知る人、先代の林家三平を知る人、「ディア・ドクター」を見た人、「男はつらいよ」を見ていた人、「東京家族」を見た人達にはオマケとなっているシーンだったと思う。

平田一家が住む家はごく普通の一般住宅のようだが、そこに祖父夫婦、自分たち夫婦に二人の子供たち、さらに弟まで同居しているのだから随分と手狭な家だと思うのだが、その雰囲気はない。
息が詰まるような環境で生活している割には随分とあけっぴろげだ。
その手狭さを感じさせるのがラスト近くの寝室での周造と富子の会話シーンである。
登場人物の首から上をフレームの外にだす構図で手狭さを表現し、その人物の心情を観客に想像させている。
本当にうまいショットだ。

山田監督らしいと感じさせたのは、病人が運ばれた直後、呆然とする家族の一人に一本の電話がかかってくる場面である。
家族の中にあっては悪いことも起きるけれど、いいことだってあるんだと言っているようだし、老人と若い世代をつないでいるのも家族なのだとも言っているようだった。
この様なシーンが挿入されることで、観客はすごく救われた気持ちになるものだ。
山田監督はどのような場面でも、人を信じ、明日を信じる描き方をする監督だ。

ラストはやや拍子抜けの気がしないでもないが、「東京家族」でオマージュを捧げた小津安二郎監督の「東京物語」をそのまま使って終わりとする粋さもあって、小津の「東京物語」を知る者にとってはくすぐったい終わり方だ。
山田監督は本当に小津さんを尊敬していて、「東京物語」が好きなんだなあと思わせた。
タイトルもそうなのだが、「男はつらいよ」シリーズ同様の、ドタバタ喜劇ではない人情喜劇で、久しぶりに山田洋次の喜劇を見た気分にさせてくれた。

華氏451

2020-12-14 08:29:15 | 映画
「華氏451」 1966年 イギリス / フランス


監督 フランソワ・トリュフォー
出演 オスカー・ウェルナー
   ジュリー・クリスティ
   シリル・キューザック
   アントン・ディフリング
   ジェレミー・スペンサー
   アレックス・スコット

ストーリー
これは未来の国の物語である。
すべてが機械化されたこの時代は、あらゆる知識や情報はすべてテレビによって伝達され、人々はそのとおりに考え、行動していれば平和な生活ができるのである。
そこでは読書は禁止されており、反社会的という理由で、本は見つけ次第、消防士たちによって焼かれた。
モンターグ(O・ヴェルナー)はその消防士の一人でる。
ある日彼は妻のリンダ(J・クリスティ)にうりふたつの若い女クラリス(J・クリスティ・二役)と知り合う。
無気力なリンダとの生活にひきかえ、クラリスは本に熱意を持っていて、モンターグにはとても刺激的だった。
そこでモンターグは生まれてはじめて本を読み、その魅力にとりつかれてしまった。
それを知ったリンダは、夫が読書をしていることを手紙にかいて密告した。
モンターグは消防士を辞職する旨を消防隊の隊長に申し出たが、とにかく今日だけは、ということで出動した。
ところがなんと行く先は意外にも彼自身の家だったのである。
庭につまれた自分の本を焼きすてるように命じられたモンターグは、本ばかりか家そのものまで焼こうとした。
そんな彼を制止し、逮捕しようとした隊長にモンターグは火焔放射器を向け、殺してしまった。
殺人犯としておわれたモンターグは逃走し、淋しい空地にたどりついた。
そこはいつか、クラリスが話してくれたことのある「本の人々」が住む国だった。


寸評
華氏451度は摂氏だとおおよそ233度になり、紙が燃え出す温度である。
映画は人々が文字を読むことを政府から禁止されている世界を描いている。
そのため、映画の冒頭に通常表示されるタイトルやクレジットは一切表示されず、タイトルや配役はナレーションによって説明されている。
このオープニングは、観客にこの映画はちょっと違った趣向なのだと感じさせる趣向となっている。
政府によって本の所持が禁止されているのだが、本だけではなく文字そのものを禁止されているようで、モンターグが読む新聞も絵ばかりであった。
そのような世界なので消防士は火を消すのではなく、本を燃やすことを第一目的としている。
クラリスが消防士のモンターグに「かつては火を消していたこともあるのでしょ」と語り掛けたり、消防車を見つけた少年が「消防車だ、火をつけに行くよ」と叫んだりしている。
本作はSFの部類に入ると思われるが、未来社会にしてはその描き方は画一的な家だったり、モノレールだったり、空飛ぶ警察官だったりするだけで、SF嫌いのトリュフォーらしい。

燃やされる本は「ダリ画集」だったり、雑誌「カイエ・デュ・シネマ」だったり、「チャップリン自伝」だったりで、その書物に特別な意味合いはなさそうだが、燃えるシーンは美しく悲しい。
僕は蔵書を処分したことがあるのだが、読んでいた頃が思い出され手放すときは少し淋しくなった。
本を燃やしたこともあったが、ページがめくられる様に燃えていく様は胸に来るものがあったことを思い出す。
劇中で紹介される本は、スタンダールの「アンリ・ブリュラールの生涯」、レイ・ブラッドベリの「火星年代記」、ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」、マキャベリの「君主論」、プラトンの「国家」、サルトルの「ユダヤ人」などで、燃やされた本よりは馴染があるものだった。

文字のない世界の話は面白かったのだが、ジュリー・クリスティが演じた二人の女性とモンターグの間に起きる変化の描き方は希薄で物足りなさを感じた。
モンターグと妻のリンダは破綻をきたしていくが、その過程に視点は行っていない。
同様にモンターグがクラリスの影響を受けていく過程も深く描かれていない。
愛情問題は横に置いておいたような描き方で、この作品を軽いものにしてしまっているような気がする。

モンターグが消防士の隊長を焼き殺して”本人”が住む場所に向かってからがこの映画一番の見どころだ。
そこではそれぞれが本を丸暗記していて、暗記された本は処分されている。
記憶された本は親から子や孫へと語り継がれていく。
文字を持たなかった民族が伝承によって物語を語り継いでいたのと似ている。
老人が孫らしき子供に語り継いで亡くなっていくシーンは荘厳だ。
雪の降る中、書物を暗記することに集中しながら人々が行きかうラストシーンは印象的である。
このシーンの為に映画は長い長い序章を描いてきたような気がした。
フランソワ・トリュフォーは好きな監督の一人で、それが理由でこの作品も僕の記憶の中にある。

カサブランカ

2020-12-13 08:27:58 | 映画
「カサブランカ」 1942年 アメリカ


監督 マイケル・カーティス
出演 ハンフリー・ボガート
   イングリッド・バーグマン
   ポール・ヘンリード
   クロード・レインズ
   ピーター・ローレ
   コンラート・ファイト

ストーリー
まだ独軍に占領されない仏領モロッコの都カサブランカは、暴虐なナチスの手を脱れて、リスボンを経由し、アメリカへ行くために、1度は通過しなければならぬ寄港地である。
この町でアメリカ人のリックが経営しているナイト・クラブは、それら亡命者たちの溜り場だった。
独軍の将校シュトラッサアは、ドイツ側の飛脚を殺して旅券を奪った犯人を追って到着する。
旅券を盗んだウガルテという男は、リックに旅券の保管を頼む。
リックと奇妙な友情関係にあるフランス側の警察署長ルノオは、シュトラッサの命をうけてウガルテを逮捕した。
そのあとへ、反ナチ運動の首領ヴィクトル・ラズロと妻のイルザ・ラントが現れる。
二人はウガルテの旅券を当てにしているのだが、イルザは、この店の経営者がリックであると知って驚く。
独軍侵入直前のパリで、彼はイルザと熱烈な恋に身を焦していたが、独軍が侵入して来たとき彼女は約束の時間に姿を現さず、そのまま消息を断ってしまっていたのだった。
ラズロは問題の旅券はリックが持っているらしいと聞き、彼を訪れて懇請するが、リックは承諾しない。
イルザはパリでの事情を語り、二人の愛情は甦った。
翌日、リックは署長ルノオを訪れ、ラズロに旅券を渡すからそのとき彼を捕えろと語り、手はずを整えさせた。
その夜、店へラズロとイルザが現れ、ルノオがこれを逮捕しようとしたとき、突然リックはルノオに拳銃をつきつけ、ラズロ夫妻の旅客機を手配するため、飛行場へ電話をかけるように命じた。
ルノオは、電話をシュトラッサアへつなぎ、暗に二人が出発しようとしていることを知らせた。
飛行場へ赴いたリックはラズロとイルザをリスボン行の旅客機に乗せてやる。
一足違いで駆けつけたシュトラッサアは、これを阻止しようとして却ってリックに射殺された。


寸評
今見るとよくできたメロドラマといった内容で、アメリカ人がこの映画を常に上位にあげる理由がよくわからない。
すべての要素が要領よく散りばめられた、まるで寄せ鍋の様な作品だが、食材はそこそこのものを使って見栄えを良くしていると感じだ。
第二次世界大戦の激動パリで愛し合っていた二人の様子が描かれるが悲恋で終わる。
待ち合わせの時間になぜ現れなかったのかがイルザの口から語られ、二人の間に愛がよみがえる。
情熱的な恋が戦争によって引き裂かれ、やがて再会して二人の恋が再び燃え上がるという展開だが、その盛り上がりは独りよがりで、僕にはイルザがとてもいい加減な女に思えた。
ラズロに対する尊敬が愛と思ったと語らせているが、結果的にイルザは単なる二股女ではないか。
結局彼女は男の間を行ったり来たりで、どうも恋愛映画としては浅いものがある。

反ナチ運動のリーダであるラズロは脱出の為の旅券を必要としているのだが、その旅券はリックが保管している。
ドイツ軍も奪われたその旅券を探しているのだが、旅券を発見されるというスリル感は描かれていない。
そしてレジスタンスとしてドイツ軍に睨まれているラズロが自由に振舞っていて、捕らわれてしまう、あるいは殺されるかもしれないと言う緊迫感はない。
ドイツの少佐の「ラズロは自由にしても捕らえても危険だ」の一言で、捕縛もされず自由に動き回っているのだ。
集会で襲われたりもしているが、レジスタンス映画に見る緊迫感はない。
ドイツに対する抵抗を感じるのは、ドイツ将校達がピアノを占有して歌っている所で、居合わせた客たちがフランス国家を歌って対抗することぐらいである。
憎っくきナチス・ドイツという印象は全くと言っていいぐらい受けないのだ。

いろんな要素が散りばめられているのだが、それらを掘り下げて眺めてみるとどれもが深みのあるものではない。
しかし全体としてはウットリさせるようなエピソードを散りばめていて、その雰囲気に酔わされてしまう。
アメリカ行きを望んでいる若い新妻に、パリでのイルザの気持ちを代弁させるようなことを言わせ、リックがその夫婦を自分の経営するカジノのいかさまで救ってやるというヒロイズム。
ド―リー・ウィルソン演じるピアニストのサムに思い出の曲「時のすぎゆくままに」を弾かせ聞かせる音楽効果。
リックに好意を寄せるイボンヌへの返答では「昨夜はどこに?」「もう忘れた」、「今夜は会える?」「先のことはわからん」などという小粋な会話。
極め付けが「君の瞳に乾杯」だ。
監督のマイケル・カーティズはよほどこのセリフが気に入ったのか、ハンフリー・ボガードに4度も言わせている。
最初は熱愛時代のパリで、2度目は陥落前のパリの酒場で、3度目は二人が和解して愛を確認したリックの部屋で、最後が空港での別れ際と言った具合だ。
少佐の死によって独軍及びヴイシイ政府の呪縛から逸した警察署長のルノオが、リックとの掛け金を旅費として相携へてこのカサブランカを脱出し反独戦線に加わることを誓い霧のかなたへ消えていくというくすぐったい結末。
何にもまして、イングリッド・バーグマンを美しく撮ろうと言う意識があり、ファッションと共に彼女のアップが観客を魅了する。
ゆったりとした気分で、それらの雰囲気を味わえることがこの作品の人気の秘密の様な気がする。

陽炎座

2020-12-12 10:30:52 | 映画
「陽炎座」 1981年 日本


監督 鈴木清順
出演 松田優作 大楠道代 中村嘉葎雄
   楠田枝里子 加賀まりこ 大友柳太朗
   麿赤兒 東恵美子 沖山秀子
   佐野浅夫 佐藤B作 原田芳雄

ストーリー
大正末年で昭和元年の東京、新派の劇作家の松崎春狐(松田優作)は偶然に、美しい謎の女、品子(大楠道代)と出会う。
三度重なった寄妙な出会いを、松崎はパトロンである玉脇(中村嘉葎雄)に打ち明けた。
ところが、広大な玉脇の邸宅の一室は、松碕が品子と会った部屋とソックリ。
品子は玉協の妻では……松崎は恐怖に震えた。
数日後、松崎は品子とソックリの振袖姿のイネ(楠田枝里子)と出会う。
イネは「玉脇の家内です」と言う。
しかし、驚いたことに、イネは、松崎と出会う直前に息を引きとったという。
松崎の下宿の女主人みお(加賀まりこ)は、玉脇の過去について語った。
玉脇はドイツ留学中、イレーネと結ばれ、彼女は日本に来てイネになりきろうとしたことなど。
そして、イネは病気で入院、玉脇は品子を後添いにした。
そこへ、品子から松崎へ手紙が来た。
「金沢、夕月楼にてお待ち申し候。三度びお会いして、四度目の逢瀬は恋死なねばなりません……」金沢に向う松崎は列車の中で玉脇に出会った。
彼は金沢へ亭主持ちの女と若い愛人の心中を見に行くと言う。
金沢では不思議なことが相次ぎ、品子と死んだはずのイネが舟に乗っていたかと思うと、やっとめぐり会えた品子は、手紙を出した覚えはないと語る。


寸評
映像的には絢爛豪華で見所満載だが、正直何が何だかわからず辟易した。
演技は前衛劇の様でもあり、それぞれのシーンは絵画的であったり芸術写真的であったりする。
シュールな映像と演技が続き、一体それが何のためなのかがよくわからない。
芝居小屋で松崎が子供たちのやっている歌舞伎を見て、女に「この芝居の筋はどうなっているのか」と聞くと、女は「あってないようなもの」と答えるのだが、まさにこの映画はそのような感じだ。
従って一つ一つのシーンに限ってみれば映画的だし、その映像を楽しめるのだが、物語として追っかけると頭の中が混乱をきたす。
あらすじは、松崎という劇作家が大富豪の妻や外国人妻と不思議な関係に陥っての道行となるが、最後に不可解なドンデン返しで終わるというものだが、それがどうしたといった内容は語ったところであまり意味がない。

イネはあちらの世界の人なんだろうな。
大富豪の玉脇が心中を見物に出かけるなどと言っているので、現世とあの世の境界をさまよっているようにも感じるのだが、それがはっきりと表れるのが最後の陽炎座の舞台が崩壊していく過程をゆっくりとしかし絢爛たる仕掛けを尽くして描写するシーンだった。
現実としての陽炎座がゆっくりと崩壊してゆくと、冥界と思われっる世界が浮かび上がり、こちら側とあちら側とが逆転してしまう。
このシーンが現世と彼岸の境目となって、玉脇や品子たちは彼岸へと旅立つ。
玉脇が言っていた心中とは松崎と品子の心中ではなく、玉脇自身の心中だったのだ。
品子と心中したと思われた松崎松崎は身体としては生き残ったものの、魂がすでに死んでおり、この世とあの世との区別もつかぬまま、精神はすでにこの世の人ではなくなっているというこのなのだろう。
生と死が同居しているので摩訶不思議な感覚はぬぐい切れない。

品子を巡る松崎と玉脇の三角関係があったかと思うと、松崎を巡る品子とイネの三角関係もある。
品子は松崎と関係を持ったイネに嫉妬するが、それは死人に嫉妬したと言うことなのだろうか。
しかし、恋文を送ったのはイネだから品子の恋にイネは嫉妬して山崎に迫ったと言うことかもしれない。
幽霊と交わった松崎はあの世に近づいて行ったということなのだろうか。
よくわからない。
よく分からなかったのはそれだけではない。
男女関係の魑魅魍魎が人形を使って表現されているが、それを語る大友柳太郎の老人や、松田優作にからんでくる原田芳雄の和田の存在など、僕には理解不能な役回りでよくわからなかった。

前作「ツィゴイネルワイゼン」の二番煎じ的な感じがして、前作ほどの感銘と衝撃を受けなかった。
「ツィゴイネルワイゼン」では生と死が分離されていて、こちらに比べれば複雑でなかったことが、頭の回転の鈍い僕には受けたのかもしれない。
僕はこの作品を評価しないけどなあ・・・。

影の軍隊

2020-12-11 08:07:37 | 映画
「影の軍隊」 1969年 フランス


監督 ジャン=ピエール・メルヴィル
出演 リノ・ヴァンチュラ
   シモーヌ・シニョレ
   ジャン=ピエール・カッセル
   ポール・ムーリス

ストーリー
フィリップ・ジェルビエは、ある日、独軍に逮捕され、キャンプに入れられてしまった。
そして数ヵ月後、突然、ゲシュタポ本部へ連行されることになった。
だが、一瞬のすきをみて、そこを脱出した彼は、その後、抵抗運動に身を投じることとなった。
そうしたある日、彼はマルセイユに行き、フェリックス、ル・ビゾン、ルマスク等と一緒に裏切り者の同志ドゥナの処刑に立ちあった。
その後に、彼は、ジャン・フランソワに会った。
ジャンの仕事は、名高いパリの女闘士マチルドに、通信機をとどけることだった。
彼はそのついでに、学者である兄のリュック・ジャルディを訪ねたが、芸術家肌の兄を心よくは思わなかった。
一方、新任務のためリヨンに潜入したジェルビエのところへやって来たのは、意外にもジャンの兄のジャルディだった。
やがて無事、その任務を果したジェルビエのところへフェリックス逮捕さる、の報が伝えられた。
さっそく、救出作戦を展開したが、ジャンの犠牲も空しく、失敗に終ってしまった。
ジェルビエが再び逮捕されたのは、それから間もなくであった。
独軍の残虐な処刑に、もはや最後と思っていた彼を救ったのは、知略にすぐれたマチルドであった。
それからしばらくたった頃、隠れ家で休養をとっていたジェルビエを、ジャルディが訪ねて来た。
彼の来訪の目的はマチルドが逮捕されたことを告げるためと、口を割りそうな彼女を射殺するということだった。
現在、仮出所中の彼女も、それを望んでいる、と彼は伝えた。
ある日、エトワール広場を一人歩く彼女に、弾丸をあびせたのは、彼女を尊敬するジャルディ、ジェルビエ、ル・ビゾン、ルマスク等仲間たちだった。
しかし、遅かれ早かれ、彼等の上にも、同じような運命が待ち受けているのだった。


寸評
レジスタンスを描いた作品だが、登場人物たちが独軍を混乱に陥れるとか、設備の破壊活動を行うとかするという彼等の活躍シーンがあるわけではない。
かろうじて描かれているのはドーバー海峡を行き来する人々の手助けをしているシーンぐらいである。
この映画で描かれているのはレジスタンス達がコソコソ逃げ回る姿であり、捕まって拷問を受ける姿である。
たまに脱獄を手伝って成功させるシーンがあるものの暗い気分になる映画で、その重い気持ちはレジスタンス内における鉄の規律と、組織内の裏切り者を粛清していく様子によってもたらされている。
その感情を増幅させるのが暗いトーンの映像である。
映画にできるだけ自然採光を持ち込もうとしてるせいでもあるのだが、かれらの置かれた立場を示す色調だ。
ナチス・ドイツを相手とするレジスタンス映画では、ナチス・ドイツは悪でレジスタンス側は善という決まり切った構図が通常の描き方だ。
しかしここではレジスタンス側にも悪の部分があったのではないかと思わせるし、悪の部分を生み出してしまうのが戦争なのだと思わせる。

彼等の粛清は、近藤・土方が率いた新選組が、敵を殺した人数よりも、厳しい規律で隊士を粛正によって殺した人数の方が多かったということを思い浮かばせた。
ジェルビエは裏切り者のドゥナという若者の処刑に立ち合う。
隠れ家に連行されるドゥナは暴れるでもなく、行きかう人に助けを求めることもしない。
処刑場所となった隠れ家の隣の家の人に気付かれてもいけないので音を立てることもできないのだが、そこでもドゥナは諦めているのか抵抗するわけでもなく大声を出すこともしない。
銃が使えないのでナイフを探すが、ナイフどころか包丁もない。
しかたなく台所のふきんを使って絞殺するのだが、彼等の非常さを示す残酷なシーンとなっている。
ドゥナは仲間を裏切ったのだろうが、そうせざるを得なかった事情は描かれていない。
彼の無抵抗は、やむを得ず裏切った彼の覚悟でもあったと思うのだが、ここでのドゥナの描き方は最後のマルチドの描き方に引き継がれていて、当人の苦悩を想像させるものとなっている。
連合軍によってパリが解放される直前の話だと思うが、マルチドに続き、闇の部分を持ったボスのシャルディやジェルビエ達が夢見たパリ解放を知らずに散っていったことが示される。
彼等の戦いとは何だったのだろう。

フランスを離れるべきだと忠告するマルチドにジェルビエは「色んなレジスタンス組織をまとめるのが自分の役目で、離れるわけにはいかない」と告げる。
マルチドは「あなたがいなくなれば誰かがやる」と言って立ち去るのだが、それは僕の社会人時代に目の当たりにしたことでもある。
これは自分にしかできないと思っているのは自分だけで、必要なことならその仕事は誰かが立派に引き継いでいたし、必要でなかった仕事は誰もやらなくなっていたのだ。
彼等の仕事は必要なことだったのだろうが、善とされる勝者の側にも表に出ない悪があったのだと言っているようであり、レジスタンスの活躍ばかりを見せられてきた僕には新鮮に映る作品となっている。

影なき男

2020-12-10 08:36:17 | 映画
「影なき男」 1987年 アメリカ


監督 ロジャー・スポティスウッド
出演 シドニー・ポワチエ
   トム・ベレンジャー
   カースティ・アレイ
   クランシー・ブラウン
   リチャード・メイサー
   アンドリュー・ロビンソン

ストーリー
サンフランシスコのとある宝石店でダイヤが盗まれた。
早速FBIのヴェテラン捜査官スタンティンが現場に駆けつけるが捕まった犯人は何と店の主人。
店主を問いつめてみると、実は店主の自宅にある男が侵入し、夫人を拉致して立てこもっていた。
男は夫人の命と引き換えに宝石をよこせと要求していたのだった。
スタンティンらは店主宅を包囲し男を捕まえようとするが人質の生命の安全を図るため思うように動けず、男の巧妙な手口によってまんまと宝石を奪われ、しかも人質の夫人は左目を撃ち抜かれ殺されてしまう。
スタンティンは責任を強く感じこの凶悪犯追跡に執念を燃やす。
犯人は、カナダの国境に近い北大西部の大山岳地帯に釣り客のふりをして逃げ込む。
何も知らない他の釣り客やガイド役のサラの命が危なかった。
スタンティンは犯人を追うため山に詳しいガイドのジョナサン・ノックスに案内を頼むが、サラの恋人であり人嫌いなノックスは、自分1人で探すと言い張る。
最初からウマの合わない2人だったが凶悪犯追求のためにとりあえずコンビを組み、2日遅れで山に登る。
その間に凶悪犯スティーヴは正体を現わし他の釣り客4人を次々と岩壁から突き落とし、サラを脅して国境を越えようとする。
岩壁から落ちそうになったり大雪で凍死しそうになりながらも、スタンティンとノックスは力を合わせて山を越えスティーヴを追うが、すんでのところで取り逃がし国境を越えられてしまう。
だがスティーヴが取り引きをしようとしていた宝石ブローカーを問いつめ連絡場所を聞き出しスティーヴを待ち伏せたところ、公園でのカー・チェイスの後スティーヴはサラを人質に連れたままフェリーに逃げ込んだ。


寸評
今では主演を務める黒人俳優は大勢いるが、僕が洋画に親しみ始めたころの黒人俳優と言えば「野のゆり」で黒人初のアカデミー主演男優賞を受賞したシドニー・ポワチエしかいなかったように思う。
ポワチエの演じる黒人像は白人が望む「素直でおとなしく、礼儀正しい黒人」で、端正なルックスが後押しした。
「夜の大捜査線」や「招かれざる客」で人種差別問題を真正面から提起する重い題材に挑んでいるが、最後には白人と理解し合うと言う役柄である。
この作品でも山岳ガイドのノックスがポワチエ演じるFBIの捜査官スタンティンを拒否するところから始まり、最後には打ち解け合うと言う同じような結末を迎えている。
人種差別問題を扱った作品はそのように描くことが多かったが、その後は黒人差別が解決されないままで終わることによって人種差別の非道さを訴えるというひねった作品も登場してきている。

さて本作だが、宝石店の店主が自分の店に強盗に入るところから始まっているが、どうして自分の店に強盗に入らねばならなかったかが描かれていない。
妻を救うためというのは分かるが、それなら店からダイヤを持ち出せばよいと思うし、どうして強盗として逮捕されることになったのかも分からない。
僕に疑問を持たせて映画はスタートしたが、その後の追跡劇はなかなか見ごたえのあるものとなっている。
人質の夫人が殺されてしまうのもストーリー的に納得のものだが、宝石店主から責められる場面があってもよかったかもしれない。
その方がスタンティンの犯人逮捕にみせる執念がもっと浮かび上がったと思う。

ノックスが車でカナダへ逃亡を図るが、交通事故処理のパトカーを自分の捜査をしているものと思い込んで山越えに至るという描き方は説明が効いていて無理がない。
釣り客に紛れ込んだ犯人は一体誰なのかと興味を持たせ、なかなか明かさないのも観客を引き付ける要因の一つとなっている。
ただ、犯人が明らかになる釣り客一人目の殺害はちょっとおかしい描き方と感じる。
なぜ一度助け上げる必要があったのか?
犯人の殺人を楽しむ異常性を示すような描き方ではなかったので、おそらく演出として彼は犯人ではないともう一度観客に思わせたかったのだろう。
一人一人というサスペンス性はなく、一気に全員を殺害しているのは逃亡劇と追跡劇のの第2幕へ入るための時間的余裕のなさだろう。
逃げる側より、追う側に次々と困難な状況が襲ってくるのだが、山の厳しさが伝わるもので見所の一つだ。
道路の出たところで犯人はサラを殺してもよかったと思うが、それでは映画にならない。

強盗に入られたと訴え出ている婦人の登場あたりからの描き方はもう少しシャープに描けたと思う。
それが犯人だと気づき、現場検証で確信を得、仲買人が判明するまでの一連の流れは盛り上がりに欠ける。
冒頭の一件と言い、もう少し詰めていれば大傑作になっただろう。
スタンティンの最後の決め台詞は決まっている。

駆込み女と駆出し男

2020-12-09 12:56:19 | 映画
「駆込み女と駆出し男」 2015年 日本


監督 原田眞人
出演 大泉洋 戸田恵梨香 満島ひかり 内山理名
   陽月華 神野三鈴 宮本裕子 円地晶子
   武田真治 螢雪次朗 キムラ緑子 高畑淳子
   中村嘉葎雄 樹木希林 堤真一 山崎努

ストーリー
時は天保十二年(1841年)、質素倹約令が発令され、庶民の暮らしに暗い影が差し始めた江戸時代後期。
この時代、夫が妻と離縁することは容易だったが、妻のほうから離縁することはほぼ不可能だった。
鎌倉の尼寺、東慶寺は、そんな妻たちの離縁を可能にする幕府公認の縁切寺。
寺に駆け込み、2年を過ごせば離婚が成立した。
駆け込み女たちはまず御用宿に預けられ、そこで身元の調査が行われる。
戯作者に憧れる見習い医師の信次郎は、江戸を追われ、そんな御用宿のひとつ、柏屋に居候することに。
そして、叔母である柏屋の主人、三代目源兵衛の離縁調停を手伝い始める。
そんなある日、顔に火ぶくれを持つじょごと、足を怪我したお吟が、東慶寺に駆け込んでくる。
じょごの顔に火ぶくれの痕を見た信次郎は、治療を買って出る。
道場の娘でありながら、ならず者に夫を殺され無理矢理祝言をあげさせられたゆうも駆込んできた。
信次郎は治療を通じ、じょごに惹かれていき、世間では曲亭馬琴の『八犬伝』完結を待ちわびていた。
じょご、お吟、ゆうは、東慶寺で修行を始めるが、修行の2年間は男性と接触する機会は皆無である。
ある時お吟が喀血し、信次郎は労咳と診断して月に2回の診察を行う。
堀切屋は自分の裏稼業を知ったお吟が保身と金目当てで寺に駆け込んだのではないかと思い、信次郎を拉致して拷問を加えたのだが、その時信次郎はお吟の真意を語る。
寺ではおゆきが妊娠する騒動が勃発して信次郎が嫌疑をかけられるが、それは想像妊娠だった。
完結した八犬伝を信次郎に朗読してもらいながら、お吟は亡くなってしまう。
2年が経過しじょごは縁切り状をもらうことが出来た。
ゆうと祝言をあげたならず者の侍が寺に強引に押し入ってくるが、じょごたちは総出でゆうを侍から守る。
信次郎に長崎へ行こうと誘われたじょごは、江戸で医者をしながら戯作を書くなら一緒になると答えた。


寸評
駆け込み寺が舞台だけに色んな女が登場する。
鉄練りのじょご(戸田恵梨香)は腕は旦那(武田真治)以上だが、製鉄のための火で顔に水膨れを作ってしまいその醜さを嫌われ公然と愛人を家に引き入れられている。
お吟(満島ひかり)は実は盗賊の親分である堀切屋三郎衛門(堤真一)のめかけで、堀切屋に惚れこんでいるが余命が幾ばくも無い。
ゆう(内山理名)はならず者に夫を殺され、無理やりその男と祝言をあげさせられたので敵討ちを願っている。
その他にも、好いた男と別れさせられ想像妊娠をしてしまう女や、幕府の密偵として寺に偽りの逃げ込みを図った女はキリシタンだったりというふうだ。
彼女たちを取りまとめて話を紡いでいく狂言回し役であり、主人公の一人であるのが信次郎(大泉洋)である。
さらに、三代目柏屋源兵衛と名乗っているが実は新次郎の伯母で、女たちの再生の手助けを陰ながら行っているというのが、物語の設定として変化をつけていた。

老中水野による質素倹約の政策と、それを忠実に実行する奉行所役人の鳥居耀蔵が登場して、幕府の娯楽に対する締め付けが厳しくなる世相を浮かび上がらせる。
さらに鳥居耀蔵による東慶寺の取り壊しが画策されるなど話はてんこ盛りだ。
もう少しシンプルに描いても良かったのではないかと思わせるくらいだ。
だから一体あの鳥居耀蔵の画策はどうなったのだと言いたくなるくらいに話が置き忘れられてしまっている。

じょごと信次郎のピュアな心の通い合いに対するように、堀切屋とお吟の愛情物語も描かれるのだが中途半端な感じがした。
曲亭馬琴の「八犬伝」に関するエピソードも二、三描かれるのだが「八犬伝」への興味以上のものではない。
そう言えば、幕府が密偵を寺に送り込むサスペンスも盛り込まれていた。
さらに、男子禁制で男に飢えている女たちの様子も面白おかしく描かれていたなあ…。
堀切屋一味が取り囲んだ役人に切り込みをかける場面や、荒れ狂ったならず者が寺に殴り込みをかけてくるなどのチャンバラシーンもあって、とにかく描かれている内容は多種に渡っている。
その分、話の一つ一つは希薄になってしまっているように思うが、それを補って全編にユーモアが散りばめられているので十分に楽しめる。
特に信次郎の行動はコントみたいで、こんな役をやらせると大泉洋はハマリ役である。
男子禁制なので信次郎が女たちの顔を見ないで診察するシーンがあるのだが、それは吉本の新喜劇をみているようだし、お尻の穴から薬を入れる場面などは包括絶倒ものである。

最後に重蔵が心を入れ替えてじょごへの離縁状を持ってくるが、じょごは心を動かされない。
驚くような行動で自分の気持ちを表現するのだが、ラスト近くがバタバタと「駆け込み」「駆け出し」ならぬ「駆け足」となってしまっているのは残念だ。
原田眞人監督にとっては初の時代劇だが、原田監督はどんな素材でもそれなりの水準に仕上げる監督だということを示した作品でもある。
最後のエンドロールでロケ地の協力先として鴻池新田会所を発見した時に訳もなく感激したのは郷土愛か?

2020-12-08 09:01:38 | 映画
「鍵」 1959年 日本


監督 市川崑
出演 中村鴈治郎 京マチ子 仲代達矢 叶順子
   北林谷栄 菅井一郎 倉田マユミ 潮万太郎
   浜村純 山茶花究 星ひかる 中条静夫

ストーリー
古美術鑑定家の剣持(中村鴈治郎)は近頃精力が衰え、妻の郁子(京マチ子)に内緒で京都市内の大学病院に通い、ある注射をしている。
同病院のインターンの木村(仲代達矢)を娘の敏子(叶順子)の婿にしたいと考えている。
妻の郁子は、夫を嫌っていた。
ある夜、木村が剣持の家を訪問し、大いに飲んで楽しんだ。
酔って浴室で眠ってしまった裸体の郁子を、木村に手伝わせて寝室に運ぶ剣持。
妻の診療を頼む、と言って剣持は姿を消す。
そんなことが繰り返されるなか、敏子は現場を目撃し、母と木村が関係を持っていること、それを父も知っていることを知ることになるが、敏子もすでに木村と関係を持っていたのであった。
敏子は家を出て、下宿することにした。
剣持は、木村と敏子を呼び出し、婚約の段取りを整えようとする。
深夜、剣持は倒れた。
郁子は木村を呼び出して女中部屋で抱き合い、郁子は木村に、敏子と結婚して、ここで開業すればいいと言う。
間もなく剣持は死んだ。
剣持の葬儀が終わり、預かっていただけの骨董品の数々は古美術商のものとなり、木村は家もすでに抵当に入っていたことを知る。
敏子は郁子の殺害を図り、農薬を郁子の紅茶に入れたが効かない。
お手伝いのはな(北林谷栄)が色盲のため、中身を入れ替えてしまっていたのだった。
はなは主人に不実な母子および木村を毒殺するべくサラダへ農薬をかけ、三人はバタバタと死んでいった。
事後、はなは自首するが、刑事たちは老人ボケと思い込んで彼女の自白に取り合わなかった。


寸評
市川崑の特異な演出が目に付く。
冒頭では剣持一家が帰宅する様子がストップモーションになる。
何の意図があってのことか分からないが、この作品の変わった雰囲気を冒頭で示すことには成功している。
続いて目に留まるのが京マチ子のメイクで、必要以上に細く吊り上がった眉がインパクトのあるものとして目に飛び込んでくる。
それに反するように娘の叶順子の眉は太くて野暮ったいものである。
母娘の眉の違いがとても印象的で、その後の二人を際立させていく。
一度娘の敏子が真っ赤な口紅で登場する場面があるが、母への挑戦を決意したことを物語っていたのだろうか。
仲代達也の話し方も芝居じみていて違和感のあるものだが、見ていくうちに内容と非常にマッチしたものであることを理解させられる。
この様な設定は才気をあからさまに表す市川崑らしい。

ただ生きているだけになっても、男は異性に対して興味を持ち続けると言うのは原作者谷崎潤一郎のモチーフなのだろうが、それを抑制的に描いていて面白い作品だ。
木村と郁子が関係を持っていることを暗示するが、それを直接的には描かず想像に任せている。
二人が抱き合うのは剣持が倒れた後の一度だけで、それも立ったままで抱擁するだけのシーンになっていて、消灯することでその後を物語る演出だ。
木村は郁子と敏子の間を渡り歩いているが、二人の関係においても木村のベッドシーンはない。
若い木村の性欲などはどうでもいいのだろう。
反面、京マチ子の妖艶な裸体を見せながら中村鴈治郎の異常な行動を描いている(さすがに京マチ子の裸体を示すものではなく、体の一部を写して想像させるものとなっている)。
郁子は度々意識を失うが、剣持はその時の郁子の裸体をカメラに収めて喜んでいる倒錯ぶりを見せる。
彼は精力的には衰えているが性欲は盛んで、自分の若さと活力の維持を嫉妬に求めている。
木村と郁子が関係を持つことへの嫉妬である。
剣持、郁子、敏子はそれぞれの行動を分かっていながら知らない振りをし続ける。
何でもないような振りをして郁子と別れた剣持が、郁子の後姿を盗み見する。
郁子は手鏡でのぞき見している剣持の姿を確認する。
竹藪、汽車の連結などのショットを含め、この様なシャープなシーンが随所にある。
敏子が分かっているような態度を取りながらも郁子に嫉妬する場面などでは、激しい怒りを表すものではなくちょっとした行動でそれを表現していく。
そうすることで、この家族の心の奥底に潜む見苦しいものを描き出していた。

看護婦とはなの会話で木村を含めたこの家族への嫌悪感を示し、はなの行動とはなの「私が殺しました」という自白を後押しするが、はなは罰せられることはない。
剣持家の中でまともだったのはお手伝いの婆さんだけだったということなのだろう。
中村鴈治郎、京マチ子が際立った映画だった。

海軍特別年少兵

2020-12-07 12:44:17 | 映画
「海軍特別年少兵」 1972年 日本


監督 今井正
出演 地井武男 佐々木勝彦 三國連太郎 小川真由美
   山岡久乃 奈良岡朋子 加藤武 内藤武敏 加藤嘉
   大滝秀治 佐々木すみ江 沢村いき雄

ストーリー
太平洋戦争末期の昭和20年2月、米軍は硫黄島に怒濤の如く押し寄せた。
戦闘は壮絶を極め、日本軍守備隊の23000余のほとんどが壊滅した。
その中に3800名にのぼる少年達が含まれていたのだが、彼等は、「海軍特別年少兵」と呼ばれた。
日本全土が戦意昂揚にわき上る昭和18年6月、年令わずか14歳の彼等少年達は武山海兵団に入団した。
海兵団での生活には想像を絶する厳しい訓練が待ち受けていた。
その中にあって教官の吉永中尉は、ただ一人「愛の教育」を説いており、対照的に「力の教育」を信じて疑うことのなかった工藤上曹とは常に対立していた。
入団以来二ヵ月ぶりに少年達に肉親との面会が許された。
しかし面会をせず、工藤を相手に激しい銃剣術にうちこむ二人の少年、橋本治と宮本平太がいた。
人前で肉親に会うことに抵抗とためらいを感じそれに耐えていたのである。
治の姉ぎんは娼婦でいわば日陰者、平太の父吾市も非国民のそしりを受ける社会主義者であった。
昭和19年彼等年少兵は野外演習を行ない、期待に応えて成果をあげた。
ところが最終日に林拓二が天皇から授かっているとされている帯剣を紛失してしまった。
工藤の努力で帯剣を見つけた時には既に遅く、責任を感じ絶望した拓二は自殺してしまった。
工藤はたった一本の帯剣が少年の命を奪ってしまうような軍隊に絶望し自ら志願して前戦へと転属していった。
そのころ脱走兵と駈け落ちしたぎんが逮捕された。
今まで社会の底辺で生きて来た者同志がはじめて心から触れ合い、新しい生活を目ざそうとしたのであった。
昭和19年9月30日年少兵達に出動の命が下った。
硫黄島守備隊として赴いた彼等に米軍は容赦ない砲弾をあびせた。


寸評
戦争映画ではあるが、戦闘シーンは最初と最後の硫黄島での玉砕シーンだけで、米軍との死闘は描かれていないに等しい。
冒頭でアメリカ兵が死んだ兵隊を見て、「何だ子供じゃないか、なんてひどいことをする奴らなんだ」とつぶやくシーンがあり、半死の少年が「子供じゃない、海軍特別年少兵だ」と叫んで射殺され、タイトルがでる。
ラストシーンが冒頭で描かれているのだから、なぜにこうなったのかを描いている映画ということだ。
映画の大半は14歳で志願した年少兵を受け持つ地井武男の教官と彼らとのやりとりであり、彼らの家庭の悲惨な状況を描くと言うものである。

林は村一番の貧乏な家庭で育ち、給金をもらえることも有り、学校の先生に勧められて年少兵に志願する。
同じ村に住む江波も志願するが教員でもある父親は反対する。
江波は林に勧めておいて、なぜ自分の志願に反対するのかと詰め寄るが、人の子には厳しいが自分の子には甘い大人の身勝手である。
ましてや父親にはそれが死と隣り合わせであることが分かっている。
随分とひどい教師がいたものであるが、それが当時の風潮だったのかもしれない。
結局父親はその矛盾にいたたまれなくなって教員をやめるのだが、この描き方は甘い。
宮本は早くに母をなくし父親の手で育てられたが、父親は自分たちに手を差し伸べてくれなかった国に反感を持っており、アカの烙印を押されて警察で拷問を受けている。
宮本はそんな父親を恥じて、父に反発するように入隊している。
橋本は姉との二人姉弟で仲が良いが姉は娼婦をしている。
自分が志願兵になれば姉も肩身の狭い思いをしなくて良いだろうと思う姉想いの少年である。
姉は初めて自分を愛してくれた脱走兵と駆け落ちするが捕まってしまう。
橋本はその事実を知らず、結婚して満州へ行くと思い込んでいる。
少年ながら誰もが辛い思いを背負って入隊しているのである。

工藤上曹は力で持って彼らを鍛え上げる。
教育は愛だと言う吉永中尉の意見にもひるむことがない信念を持っている。
そうしなければ彼らは戦場で無駄死にすることを知っているからだ。
単なる戦力として鍛え上げているだけではない、彼なりの愛情だったのだと思う。
林は3円50銭と言う給金以上の5円という送金を行っているのだが、たぶん1円50戦は工藤上曹が内緒で足していたのだろう。
それにしても教育とは恐ろしいほどの力を持っている。
玉砕しかない中で、子供たちをそうさせるのは耐え難いという吉永中尉に工藤上曹は「彼らは軍人だ。だから彼らも自ら玉砕を選ぶはずだ。そうしたのは私であり貴方だ」と言う。
彼らは工藤上曹の言ったとおりに何のためらいもなく死を選ぼうとする。
教育は洗脳的な要素もあり、導き方によっては理不尽を理不尽と思わなくなってしまう怖さを感じる。
東宝の8.15シリーズの中ではよくできた作品である。

海外特派員

2020-12-06 10:12:47 | 映画
「お」は2019年 2月10日からの第1弾に続き、
2020年11月20日からの第2弾が終了しました。
今日からは「か」の段に入ります。
「か」の第1弾は2019年3月1日より始めましたが、
今回はその時漏れていた作品を紹介していきます。


「海外特派員」 1940年 アメリカ


監督 アルフレッド・ヒッチコック
出演 ジョエル・マクリー
   ラレイン・デイ
   ジョージ・サンダース
   ハーバート・マーシャル
   アルバート・バッサーマン

ストーリー
1938年のある日、ニューヨーク・モーニング・グローブ紙の社長は、不穏なヨーロッパ情勢を取材する特派員として、最も威勢のいい記者ジョン・ジョーンズを指名した。
ロンドンでの第一の仕事は、オランダの外交官ヴァン・メアからベルギーとの講和条約の詳細を聞き出し、ヨーロッパで起きていることを報告することだった。
幸い、滞在しているホテルから昼食会に行く途中でヴァン・メアに遭遇したため、ジョーンズは車の中でインタビューをしようとするが、ヴァン・メアは鳥の話ばかりしてジョーンズを煙に巻き、実のある内容を語らない。
昼食会では社長から紹介された平和団体の代表フィッシャー、そして初対面であるその娘のキャロルもいた。
ジョーンズはヴァン・メアの後を追ってオランダへと移動。
そして雨の中、市庁舎に入ろうとしたヴァン・メアに話しかけたところ、突然カメラマンのふりをした男がヴァン・メアを射殺した。
現場を目撃したジョーンズは暗殺者を追うために通りかかった車に乗せてもらったところ、その車は偶然フォリオットという記者が運転するキャロルのものだった。
ジョーンズ、フォリオット、キャロルの3人は銃撃を受けながらも必死に車を追跡したが見失ってしまった。
ジョーンズが風向きに逆らって回転する風車を発見し、怪しいとにらんだので二人に警察を呼びに向かわせた。
その小屋に入ってみると一味に捕えられたヴァン・メアがいた。
撃たれたのは暗殺者たちが用意した替え玉だったのだ。
その風車小屋から逃げ出したジョーンズは警察と共に戻ってくるが、もはやそこはもぬけの殻でヴァン・メアが生きているといっても信じてもらえない。
秘密を知ったジョーンズは暗殺者グループに命を狙われたが、キャロルの協力で何とか助かり、これをきっかけに2人は愛し合うようになる。


寸評
1940年と言う制作年度を思うと実にうまくまとまっている作品だと思う。
ジョーンズが大抜擢されてロンドンに赴くのだが、事件記者だったことが彼の行動を後押ししていて、事件にかかわっていくことを違和感なく見せる。
キャロルと最悪の出会い方を果たすとか、パーティーで面白いラトビア人と出会ったりと、サスペンス映画としてはユーモアが勝っている序盤となっている。
ところがオランダの会議会場入り口でヴァン・メアが暗殺されるところから一挙に面白くなってくる。
特にヴァン・メアの暗殺シーンは秀逸だ。
以前にヴァン・メアの車に同乗して顔見知りだったジョーンズが彼に挨拶をしても、ヴァン・メアは不審な顔をするだけで、何かあるなと思わせたところで「バーン!」と拳銃が発射され、あっという間にヴァン・メアが暗殺される。
犯人が逃げるシーンが素晴らしく、俯瞰的に群衆を捉えるのだが雨が降っているために全員が傘をさしている。
ロンドン名物ともいうべき黒いこうもり傘が画面を覆っていて、姿の見えない犯人がその中をかき分けるように逃げ、ジョーンズがそれを追う。
この場面の映像には惚れ惚れするものがある。
僕はこのシーンだけで映画に引き込まれてしまった。

ラストシーンにつながる飛行機の海上への不時着シーンはなかなか迫力がある。
ドイツ軍艦に攻撃されてイギリスの女性領事が死亡し、飛行機はコックピットから海面を映して突入していく。
不時着に成功したかと思えば海水が流入してくる。
溺れ死ぬ人も出て彼らは破損分離された翼へ乗り移る。
この場面における海のシーンは本物らしく見せる迫力が出ていた。
ただ後半に入ってくるとご都合主義の展開が随所にみられてハラハラドキドキ感が半減していくのが残念だ。
ジョーンズが暗殺者グループにホテルで命を狙われた時に起きる騒動がコミカルに描かれ、それをきっかけにジョーンズとキャロルが急接近するのは突然すぎると感じるし、ヴァン・メアから秘密情報を聞いだす場面などに僕は違和感を持った。

ラストシーンでは父親と違って純粋なイギリス人であるキャロルがイギリスのために戦うと宣言している。
そして空襲を受けるロンドンからジョーンズがアメリカ向けのラジオ放送でイギリスの苦境を送り続けている。
イギリスはこれほど苦しんでいるのにアメリカは傍観していていいのかと言う内容である。
そして最後にはあの勇ましい米国国歌が流れるのである。
アメリカが事実上の第二次世界大戦への参戦を果たしたのは1941年であるから、1940年と言えばアメリカ側から見れば戦前である。
これは完全に英国人であるアルフレッド・ヒッチコックによるアメリカ参戦を訴えるプロパガンダ映画だと思い至る。
まさかこの映画で参戦を決めたわけはあるまいが、ドイツとの戦いに苦戦するイギリスからすればアメリカの参戦は待ちわびていたに違いない。
ヒッチコックも一役買ったと言うことだ。

女が階段を上る時

2020-12-05 06:59:03 | 映画
「女が階段を上る時」 1960年 日本


監督 成瀬巳喜男
出演 高峰秀子 森雅之 団令子 仲代達矢
   加東大介 中村鴈治郎 小沢栄太郎
   淡路恵子 山茶花究 多々良純 藤木悠
   織田政雄 細川ちか子 沢村貞子

ストーリー
夫を亡くした圭子(高峰秀子)は外国人マスター(山茶花究)が経営する銀座のバーの雇われマダムである。
高級利権屋の美濃部(小沢栄太郎)が最近店に寄りつかなくなって売り上げが落ちていた。
圭子は、その美濃部が以前圭子の下で働いていたユリ(淡路恵子)に店を持たせていることを知っていた。
女手一つで生きていかなければならなくなった圭子が、マネジャーの小松(仲代達矢)の口ききでこの道に入ったのは五年前であった。
圭子は、バーの階段を上る時が一番悲しかったが、上ってしまえばその日その日の風が吹いた。
圭子は店を変え、小松と、女給の純子(団令子)がいっしょについて来た。
関西実業家の郷田(中村鴈治郎)が、店を持たせるからと圭子に迫った。
彼女は上客に奉賀帳を回して出資金を募って店を持つことを決心し、小松もいっしょに貸店を探して歩いた。
ユリが狂言自殺をするつもりが誤って本当に死んでしまい、葬儀の席では美濃部が貸金の返済を迫っていた。
圭子は酒と興奮のためか胃潰瘍で血を吐いて倒れた。
佃島の実家で、クリスマスと正月を過したが、七草が過ぎるともう寝てもいられなかった。
おかみのまつ子(細川ちか子)が集金の催促に現われ、兄(織田政雄)からは息子の小児マヒを手術する金を無心されたのだ。
プレス工場主の関根(加東大介)の誠意だけが身にしみた。
圭子はプレス工場のおかみさんになろうと関根に抱かれたが、関根は二度と現われなかった。
圭子は酒におぼれ、好きだった銀行支店長の藤崎(森雅之)と一夜を過してしまった。
藤崎は翌日大阪の支店へ転勤になると言いながら、十万円の株券を置いて去った。


寸評
作品自体に起伏にとんだストーリーがあるわけではない。
ある一人のバーの雇われマダムの生きざまを、彼女の周囲の人間たちと絡ませながら、淡々と描いている。
男たちはママの圭子に言い寄るが圭子は死んだ夫への義理立てか身を固くしている。
圭子は堅物ではなく、秘かに好いている男もいるのだが、それが大恋愛に発展することはない。
相手の男が家庭持ちであることもあるが、作品のスタイルが恋愛ものではないことによっている。
従って、親切にしてくれた男との一件も、圭子に起こった不運な出来事の一つ程度の描き方である。
母親と兄は圭子の稼ぎに頼っている所があり、圭子は家族の犠牲になっている女として描かれている。
そんないら立ちがあるのか、圭子は理不尽な者たちに食って掛かる。
贅沢をしていると責める母親に、自分の見栄を張った生活は銀座のバーで働く女の商売のためだと言い返す。
借金に来た兄には自分を食い物にしているとののしる。
自分を狙っている美濃部には、死んだユリからむしり取っておきながら、葬儀の場に借金の取り立てに現れ、30万の残金を母親に肩代わりさせようとしたことを非難する。
水商売に身を置いているが、圭子の高峰秀子は品がある。
相手に毒づいてもどこか色気のある強面なのだが、圭子はいら立ちがあるのかやたらと食って掛かる。

高峰を含む女優陣よりまわりの男優たちの適材適所ぶりが光っている。
嫌みな男の小沢栄太郎、常連客の関西の実業家中村鴈治郎、銀行の支店長森雅之に混じって、加東大介が場違いの客として誠実そうな男を好演している。
バーの女の子たちが圭子が誰と一緒になるか賭けをするシーンがあるが、後半になって単なる添え物的に登場していた男たちとジェットコースターが加速したような展開を見せるのは菊島隆三の脚本のなせる業か。
小沢栄太郎をやっつけてスカットさせたかと思ったら、中村鴈治郎の思わぬ変心、本命森雅之に見せる女の意地は同時に女の強さをも見せつけている。
特にラストはいい。
好きだった男と関係を持ちその男の見送りに行くが、その時男からもらった株券を預かったものと言い奥さんに返し、次に借りる時は奥さんから借りると告げる。
女は怖いし強いと思わせるシーンだ。
圭子はバーの入り口に続く階段を上がるときが一番嫌だと言っていた階段を再び上がりバーに出勤する。
プロの商売女に戻った圭子はすさまじいまでの笑顔を画面いっぱいに見せる。
それは「真冬を耐え忍び、春の芽をじっと育てる銀座の街路樹のよう」で、彼女の復活を思わせる姿だ。

成瀬巳喜男の映像構成力は素晴らしい。
当時の銀座の飲食街の賑わった風景を見せながら、佃島の寂れた雰囲気を挟み込み、加東大介の住んでいるという殺風景な場所を入れ込んでいる。
その風景の中で高峰秀子が光り輝いていた。
高峰秀子は日本映画史に残る名優だと感じさせた。

おみおくりの作法

2020-12-04 10:07:06 | 映画
「おみおくりの作法」 2013年 イギリス / イタリア


監督 ウベルト・パゾリーニ
出演 エディ・マーサン
   ジョアンヌ・フロガット
   カレン・ドルーリー
   キアラン・マッキンタイア
   アンドリュー・バカン
   ニール・ディスーザ

ストーリー
ロンドンの南部、ケニントン地区の公務員である44歳のジョン・メイ(エディ・マーサン)の仕事は、孤独死した人の身辺整理をして葬儀を執り行うことである。
几帳面な彼は死者の家族を見つける努力を怠らず、どんな時でも故人への敬意を忘れることなく、その人のために葬礼の音楽を選び、弔辞を書く。
規則正しい仕事と生活をしながら、ジョン・メイはいつもひとりだった。
ある日の朝、ビリー・ストークという年配のアルコール中毒患者の遺体が、ジョン・メイの真向いのアパートで発見される。
自分の住まいの近くで、その人を知らぬままに人が孤独死したという事実にショックを受けるジョン・メイ。
さらにその日の午後、彼はリストラの一環で仕事に時間をかけすぎるという理由により解雇を言い渡される。
最後の案件となったビリー・ストークのために、ジョン・メイはこれまで以上に情熱を傾ける。
ビリーの部屋にあった古いアルバムで満面の笑顔の少女の写真を見つけた彼は、ビリー・ストークを知る人々を訪ね歩いてイギリス中を回り、ビリーの人生のピースを組み立てていく。
旅の過程で出会った人々と触れ合ううち、ジョン・メイにも変化が訪れる。
自然と自分を縛ってきた決まりきった日常から解放されたジョン・メイは、いつもと違う食べ物や飲み物を試し、知り合ったばかりのビリーの娘ケリー(ジョアンヌ・フロガット)とカフェでお茶をする。
まもなくビリーの葬儀が行われることになっていたある日、ジョン・メイは人生で初めての行動に出る……。


寸評
地味な作品で、大きな変化もドラマチックな展開もなく、物語は淡々と静かに進んで行くが、”孤独死”を扱った本作は高齢化が進んで老人の孤独死が増加している日本人にとっても身近なテーマである。
ジョン・メイは勤続22年の公務員で、孤独死した人の身辺整理をして葬儀を執り行っているが、仕事柄なのか生気が感じられないものの几帳面な男である。
日常生活も役所仕事と同様、判で押したように同じ事の繰り返しで、家族もおらず、人とも交わらず、食事すらもほとんど毎日代わりばえせず、何を楽しみに生きているのかと思ってしまう。
食事シーンはそんな彼を端的に表している。
クリップ留めされたテーブルクロスは真っ白で、アイロンによってシワひとつない。
彼はお皿一枚と、ナイフとフォークをきちんと置き、料理は缶詰という代わり映えのしないものを皿に盛り、話し相手もいない淋しくわびしい食事を淡々とこなす。
故人の関係者を訪ねる旅も静かなもので、ドラマチックな出来事は起こらず、ジョン・メイの律儀な生き方が示されているだけで、人によっては退屈な映画と感じるだろう。

ジョン・メイは亡くなったビリーの娘ケリーと葬儀の後でお茶を飲む約束をする。
おそらくジョン・メイにとっては女性と二人切りでお茶を飲むと言う事は初めての経験だっただろう。
犬の絵のついたマグカップを2個買い求めて嬉々として表へ出る。
ここでジョン・メイは急いで道路を渡ろうとして悲惨な結末を迎えてしまう。
それまでは急ぐなどと言う行動をしたことがなく、信号を守るなど何事にもルールに忠実で几帳面すぎるくらいのジョン・メイが初めてとった急ぎ足だ。
それは初めて感じた喜びがもたらしたものだ。
横たわるジョン・メイは幸せそうに笑みを浮かべている。
前半のシーンで自分の為に買った墓地の上に寝転がっていた時の表情と対をなすシーンだ。
あの墓地には木が植えられていて、その木が大きくなって墓参に来た人に木陰を作り出すだろうと言われるが、ジョン・メイはそんな人がいないことを自覚していて特別な感情を見せていない。
それに対して事故の後の顔は満足げに思える。
自分にも幸せな時があったのだと言う満足感のようなものだったのかもしれない。

ビリーの墓地にはケリーを初め、当初は参列を渋っていたジョン・メイが呼びかけた人々が集まっている。
その場所はジョン・メイが譲った場所だ。
すぐそばで行われているジョン・メイの埋葬には誰も立ち会っていない。
孤独死をした人の世話をしてきたジョン・メイが孤独死をし、ひっそりと共同墓地に埋葬されると言う不条理だ。
ケリーはその死すら知らないで去っていくという、何とも救いようのない結末で、気分が暗くなってしまう。
孤独死とはこんなにも辛いものなのかと思わされる。
そこでそこに続くラストシーンにウベルト・パゾリーニはファンタジックな世界を用意している。
もしも、あちらの世界が存在するなら、ジョン・メイは尊敬と感謝を持って迎えられていることだろう。
僕は思わず涙を流してしまった。

お日柄もよく ご愁傷さま

2020-12-03 09:15:32 | 映画
「お日柄もよく ご愁傷さま」 1996年 日本


監督 和泉聖治
出演 橋爪功 吉行和子 布施博 伊藤かずえ
   新山千春 根岸季衣 野村祐人 古尾谷雅人
   松村達雄 西岡徳馬 岸本加世子 和田アキ子

ストーリー
初めての仲人を明日に控えた田中和夫は、一世一代の晴れ舞台に心に残るようなスピーチをしたいと、そのことで頭が一杯だった。
ところが、そんな彼の思いと裏腹に、次女の瞳は恋人の宮本とグアム旅行の計画をこっそり練っており、身重の長女・玲子は夫・貴行の浮気問題で家出してくるなど、家庭内には問題が多発していた。
さらに結婚式の当日の朝、和夫の父・源三郎が急死する。
旧友のたっての願いで引き受けた仲人を断れない和夫は、父の亡きがらを妹の和枝と娘たちに任せて式に出席する。
あたふたと結婚式を済ませて家に帰ってくると、玲子夫婦はまだ喧嘩を続けており、瞳は宮本からの電話で夜中に出て行ってしまって、和夫の気持ちはちっとも落ち着かなかった。
しかも、リストラで不利な転職を余儀なくされていることが妻の佳菜子にバレてしまう。
その夜遅く、和夫は死んだ父が家族に内緒で大雪山への登山を計画していたことを知った。
父の手紙には、母と初めて会った山小屋へもう一度行って、そこに母の写真を置いてきたいという願いが綴られていた。
和夫は父と母の知られざる過去に感動する。
翌日、告別式の途中で玲子が予定より早く産気づくなどハプニングはさらに続いたが、無事に源三郎の遺体は荼毘に付され、玲子も男児を出産して夫婦仲を取り戻し、瞳も宮本とヨリを戻してグアム旅行に行くことになった。
和夫は父の果たせなかった夢を代わりにかなえるため、大雪山へ出かけることを決心する。
父と母が出会った山小屋を訪ねた和夫は、そこでふたりが残した落書きを見つけた。
感極まった和夫と佳菜子は長く熱いキスを交わした。


寸評
和泉聖治はピンク映画時代も含め非常に多くの作品を撮った多作家であるが、その作品群の中ではこの「お日柄もよく ご愁傷さま」が一番ではないか。
橋爪功と吉行和子の夫婦役は、後年山田洋次の「家族はつらいよ」シリーズで完成形を見せるが、ここでの橋爪功は長編映画初主演作という時期で、ブレイクするのはもう少し時間を待たねばならない。
吉行和子は1959年の「にあんちゃん」で才女気質の演技をみせ注目を浴びていたが、二人の夫婦役は今見てもピタリとはまっている。
僕は、この作品が「家族はつらいよ」の原型であるような気がする。

田中夫婦は親しい人に頼まれて仲人を引き受け、結婚式における挨拶の稽古に余念がないのだが、あろうことか式の当日に父親が急死してしまう。
ドラマはそこからのドタバタを描いているのだが、シチュエーションといいタイトルといい、これはもう喜劇にしかなりえないのだが、コメディとして思わず笑みが漏れてしまう場面はあるものの、僕はむしろ人情物としてのエピソードや場面に涙した。
田中家の当主である和夫のまわりは切羽詰まった人々が取り巻いている。
当の本人はリストラにあって子会社に転職しているのに家族に言えないでいる。
妹和枝のダンナは最近やっと仕事が回ってきた脚本家で、台本の締め切り当日という状況である。
長女の玲子はダンナの浮気が原因で実家に転がり込んでいるが、出産まじかでいつ生まれても不思議でない。
次女の瞳は恋人の宮本と家族に内緒でグアムに行く当日だった。
この日でないとまずいということが家族全員にあり、その日に結婚式と葬式が同時に起きてしまうという喜劇だ。
結婚式とお葬式は人生における大イベントだが、さらに出産まで描かれている。
お葬式と出産が同時に描かれ、死者との別れを描いた上で出産が描かれると、それは明日への希望となるのは約束事のようなもので、ここでもそのような印象を抱かせる。

仲人の和夫は結婚式で挨拶の原稿を置き忘れ新郎の名前もあやふや、新婦側の挨拶に登場した先生は結婚式にふさわしくない歌を唄いひんしゅくを買うが、どちらもそれによる大混乱を描いていないのでドタバタ喜劇ファンには物足りなく、むしろ人情喜劇を感じさせる。
妻が夫の転職を知る場面とか、義弟が肉親には無責任と思える言葉を発したりするのは、現実にもありそうでニヤリとする小ネタで、映画の進行はそのような小さなエピソードを紡いでいく。
後半になればジーンとさせる場面が多くなってくる。
反対した娘の結婚だが、その相手のことをずっと気に掛けていた親心は、娘を持つ僕にも経験のあることで胸が詰まるエピソードだ。
知らなかった父の旅行だが、その行先のエピソードが泣かせる。
特に、事情を知った夫婦が大雪山に登りそこで見せる行動に僕は泣いてしまった。
この夫婦はいい夫婦だ。

女と男の名誉

2020-12-02 06:37:35 | 映画
「女と男の名誉」 1985年 アメリカ


監督 ジョン・ヒューストン
出演 ジャック・ニコルソン
   キャスリーン・ターナー
   アンジェリカ・ヒューストン
   ロバート・ロジア
   ウィリアム・ヒッキー
   ジョン・ランドルフ

ストーリー
ブルックリンを縄張りとするマフィアのプリッツィ家。
ドンは老コラード、長男はドミニク、次男はエドアルド、相談役は初老のパルテナ、パルテナの息子で殺し屋のチャーリーという面々で構成されている。
ある日、チャーリーはプリッツィ家の結婚式に出席し、そこで見かけた金髪の美女に目を奪われる。
チャーリーが美女を探し回っていると、そこにドンの孫娘のメイローズが現れた。
メイローズは過去に騒動を引き起こし、それが原因でドミニクから勘当をされていた。
それと同じ頃、プリッツィ家と敵対するマフィアが殺される事件が起きていた。
チャーリーは警察に疑いをかけられ連行されたがすぐに釈放され、チャーリーの父親でドンの右腕を務めるアンジェロからドミニクが外部のプロに依頼して殺させたことを聞く。
署から家に戻ると、すぐにあの美女から電話がかかってきた。
彼女の名前はアイリーンといい、カリフォルニアに住んでいると言うので、チャーリーはアイリーンとランチの約束をし、翌日すぐにカリフォルニアに飛んだ。
アイリーンは結婚していたが、4年前から夫が行方不明になていると告げ、チャーリーはドンの孫娘メイローズとつき合った過去があることを明かした。
そうしているうちに二人は恋に落ち、夜はベッドをともにした。
その翌日、チャーリーがニューヨークに戻ると、ファミリーからヘラーという男の殺害を指示された。
ヘラーは妻と共謀してファミリーの一員であるルイから72万ドルもの金を騙し取った末にルイを殺していた。
チャーリーはロサンゼルスにあるヘラーの家に向かいヘラーを殺害したが、奪われた金は見つからなかった。


寸評
イタリアマフィアの血の結束を描いているが一風変わった描き方になっている。
すごく面白い設定なのにどこか迫力不足を感じてしまう。
何故なんだろう?
ドンに「ゴッドファーザー」のマーロン・ブランドほどの威圧感がないことも原因の一つだろう。
権力と判断力があるのかもしれないが、口の中でむにゃむにゃ言っている爺様にしか見えないのだ。
女に金を返させようとするし、女を殺して警察に犯人として突き出せと命じたりしているのだが、痛めつけるのはその筋の男ではなく女なのかと思ってしまう。
金を失うくらいなら子供でも食ってしまうというイタリアマフィアの金への執着と冷酷さの表現が弱い。
ドンとしての迫力が描き切れていないことが迫力不足と感じさせたのかもしれない。

今ひとつは面白い存在であるはずの女たちが上手く描き切れていない点にある。
アイリーンはチャーリーと同じ殺し屋で、フリーランスの殺し屋であるアイリーンはどう見てもチャーリーより優秀な殺し屋ように思えるのだが、その優秀さが存分に描かれているとは言い難い。
ドンの孫でもありチャーリーと結婚寸前までいっていたメイローズには面白い性格設定がなされているのだが、演じたのが監督ジョン・ヒューストンの娘のアンジェリカ・ヒューストンで、彼女のお披露目的な存在にとどまっているのも惜しい気がする。
登場した時から怪しい雰囲気を出しているメイローズの心の奥底にしまっている屈折した感情がもっと描かれていても良かったような気がする。
僕は二人の女性の描き方に不満が残った。

イタリアマフィアは結束力が強い。
その中でドミニクは過去にあった娘のメイローズとチャーリーとの関係から、チャーリーを憎んでいるようなのだが、どの程度の憎しみだったのかは感じ取ることが出来ない。
そんな不満はあるものの、最終盤のサスペンス的盛り上がりにはジョン・ヒューストンの職人芸を感じる。
だらだらしていた前半に比べると、後半の展開はスピーディで一気に盛り上がる。
チャーリーとアイリーンは銀行の頭取を誘拐することになるのだが、計画にはない殺人を犯してしまう。
その相手が警官の妻だったことから話が急展開。
メイローズがチャーリーとアイリーンの仲を引き裂くために暗躍しだし、あらたな展開を引き起こす。
さらにアイリーンがルイを殺したことが判明したことで、ドンはアイリーンの殺害をチャーリーに命じる。
愛する人を取るか、自分が存在しうる世界である組織を取るか悩むチャーリー。
この展開は他のマフィアものにはないもので、ストーリー的にも面白い。
お互いに自分がとるべき行動を確信するチャーリーとアイリーン。
二人の間に起きる結末に向かってとる二人の行動がカットバックで描かれるのだが、ここにはシビレた。
反面、チャーリーが罪悪感も、感傷もなくなくメイローズに電話する割り切り方にはあっけにとられる。
チャーリーの愛情は本物だったのだろうか。
メイローズが微笑むラストシーンは女の怖さを表していた。