おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

関心領域

2024-08-16 07:35:25 | 映画
一区切りつきましたので、これからは順不同で思いつくままに未紹介作品を掲載していきます。

「関心領域」 2023年 アメリカ / イギリス / ポーランド


監督 ジョナサン・グレイザー
出演 クリスティアン・フリーデル ザンドラ・ヒュラー
   ラルフ・ハーフォース

ストーリー
青い空の下、皆が笑顔を浮かべ、子どもたちは楽しそうな声を上げるなど、アウシュビッツ強制収容所の所長を務めるルドルフ・ヘスとその妻、ヘドウィグら家族は穏やかな日々を送っている。
そして、窓から見える壁の向こうでは、大きな建物が黒い煙を上げている。
1945年、一家が幸せに暮らしていたのは、強制収容所とは壁一枚で隔たれた屋敷だった。


寸評
特別何も起こらない平和な生活が淡々と綴られていくだけで、ドラマらしいドラマなどはない。
それがこの映画の恐ろしいところである。
平和で裕福な家庭生活に見えるが、壁の向こうはアウシュビッツ強制収容所である。
ヘス一家はユダヤ人たちの衣類や隠し持っていたものを搾取しているが、それを悪いことだとは思っていない。
妻のヘドウィグは今の暮らしに大満足である。
だから夫が他の地域に転属になることには不満である。
しかたなく夫のルドルフは単身赴任することになる。
そしてアウシュビッツで臨まれる処置を続行できるのはルドルフしかいないと言うことで、強制収容所の所長に戻る言ことになり嬉々とする。
妻との話題は新たなユダヤ人の処刑方法を考え中とのことで、虐殺行為に麻痺してしまっている。
妻のヘドウィグはヘドを吐きそうになるくらい嫌悪すべき存在である。
しかし、彼女の姿勢は我々と大して変わらないのではないかと思わせるのだ。
紛争は世界各地で起きている。
日本は島国だし紛争地域から遠いこともあって、紛争そのものに反対の声を上げても、どこか他人事であったりする。
その関心の薄さが問題なのだ。
僕がヘドウィグと同じ立場に置かれたら、やはり同じような感覚になってしまうのではないかと思うと、人間の浅ましさを感じてしまう。
自分さえよければ他人はどうでも良いという、きわめて利己主義的な行動である。
そのような個人主義的傾向がとみに高まっている世界的な風潮に警告を発している映画だ。
アウシュビッツ強制収容所で起きたことを我々は知っている、
したがって、あえてアウシュビッツ強制収容所の中を描くことをしていない。
時折聞こえる銃声と犬の鳴き声で、それを感じさせている。
アウシュビッツ強制収容所内が描写されたのは現在のアウシュビッツ強制収容所である。
そこにはおびただしい靴が展示されている。
虐殺を何のためらいもなく実行してきた人々、恩恵を受けてきた人々を初めて糾弾している。
その事が一番恐ろしいことなのだと訴えていたように思う。

RONIN

2024-08-15 07:08:23 | 映画
「RONIN」 1998年 アメリカ
監督 ジョン・フランケンハイマー
出演 ロバート・デ・ニーロ ジャン・レノ ナターシャ・マケルホーン
   ステラン・スカルスガルド ショーン・ビーン スキップ・サダス
   ジョナサン・プライス ミシェル・ロンズデール

ストーリー
パリ。各国の諜報機関をリストラされた5人の元諜報員たちが、謎の雇い主によって、中身も不明なあるブリーフケースを盗み出すという任務のために集められた。
チームの顔触れは、戦略に通じたアメリカ人サム、フランス人コーディネーターのヴァンサン、東欧圏の電子工学の専門家グレゴー、アメリカ人の腕利きドライバーのラリー、武器の専門家スペンス。
謎めいた女ディエドラの指示の元、作戦は着々と進められたが、挑発的な態度をとっていたスペンスは経験の浅さをサムに見破られて追い放たれた。
風光明媚なニースで、標的の一団を白昼の町中で待ち受けて大胆なやり口で見事ケースの強奪に成功したチームだが、なんとここで裏切りが出てケースが持ち去られた。
ディエドラはひそかにシーマスという謎の男と接触を持った。
古いコロシアムで持ち去った男をサムたちはキャッチしたが、男は逃亡した。
そして現れたシーマスがラリーを射殺して、ディエドラと共に姿を消した。
ヴァンサンは腹を撃たれたサムをジャン=ピエールという情報屋の老人の邸宅にかくまった。
サムはヴァンサンに自ら指示を与えながら体内から弾丸を抜かせた。
老人はサムに日本のローニンの話を聞かせた。
傷が癒えたサムとヴァンサンはケースの行方を追って行動を再開。
ふたりはどうやらケースはナターシャ・キリロヴァというスケートの女王のパトロンのロシアマフィアの元に運ばれるとかぎつけた。
男はマフィアによって殺され、引き換えにスケートの女王もリンク上であえなく殺害され、ケースを手にしたマフィアは警備員に化けていたシーマスの手で倒された。
サムは出くわしたディエドラに自分は諜報員でずっとシーマスを追っていたと告げ、シーマスを追い詰める。
さしものシーマスも、サムとヴァンサンの手でついに果てた。


寸評
本作の見どころは間違いなくカーチェイスの激しさだろう。
作中には息もつかせぬカーチェイスシーンが、かなりのボリュームで盛り込まれている。
前半の襲撃シーンではニースの入り組んだ細い道を猛スピードで走り去るのだが、それはまるでカーレースを見ているようだ。
襲撃シーンではロバート・デ・ニーロの演じるサムがバズーカ砲までぶっ放して車を大破させてしまう。
さらに市街地での銃撃戦にも気合が入っていて、アクションシーンへの強いこだわりを感じる。
市民迄巻き込む銃撃戦だが、一般市民にまで死傷者が出ているのに警察の捜査網がそんなでないのは、カーアクションの相手を警察のパトカーにしていないからだろう。
この映画においては警察の出番があまりない。
後半のカーチェイスの迫力は倍加する。
道路を逆走する2台の車が数々の車をクラッシュさせながら、ひた走る。
このカーチェイスで一体何台の車がぶつかりあって大破したことだろう。
手に汗握るという表現ではおぼつかない迫力あるシーンとなっていて、ジョン・フランケンハイマーらしい。
特撮による不自然な動きを嫌い、全てのカーチェイスシーンは実写によるものというからスゴイ。

彼らが追いかけるのは銀のケースなのだが中身はわからない。
しかし、この中に入っているものはかなり重要なもので、すごい金になるシロモノらしい。
一体この中身は何なのか、どの時点で明らかになるのか興味が湧いてくるのだが、作品はそんなことはどうでもいいのだとばかりにアクションを重ねていく。
指示役のディエドラが彼らに何も説明しないので、登場人物の背景がよくわからない。
謎解きの面白さを内在することが出来たと思うが、よく分からないことでその面白さは喪失している。
その代表がケースの中身だったと思う。
登場人物の中では当然ながらロバート・デ・ニーロとジャン・レノの男臭い二人がたまらなく渋くてカッコいい。
この二人が目立ちすぎて、他の人物が色あせて見える。
ヒロインと言うべきディエドラのナターシャ・マケルホーンですらかすんで見えた。
最後に政治色が出てくるが、何かしら肩透かしをくった感覚も残る作品だ。
サムはディエドラを逃がすが、それはサムはディエドラを愛し始めていたという事なのだろう。
しかし、愛し合いながらも別れなければならない宿命といったものを感じさせはしなかった。

さてタイトルの「RONIN」だが、これは最初に示されるとおり日本の浪人からきている。
サムがかくまわれた老人から赤穂浪士の話を聞かされるのだが、タイトルとその話がこの物語にどう絡んでいるのかよく分からないでいる。
老人は侍のミニチュアを作って楽しんでいるが、単に日本文化を愛していただけなのだろうか。
あのジオラマは討ち入り場面を再現していたのかなと思ったけれど、最後に作られたのは鎧を着ていたから、やはり日本趣味のシロモノに過ぎなかったのだろう。
武士道を感じさせるエピソードもなかったし、日本とはまったく関係のないアクション映画だったと思う。

レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い

2024-08-14 06:45:41 | 映画
「レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い」 1994年 アメリカ


監督 エドワード・ズウィック
出演 ブラッド・ピット アンソニー・ホプキンス
   エイダン・クイン ジュリア・オーモンド
   ヘンリー・トーマス カリーナ・ロンバード
   ゴードン・トゥートゥーシス クリスティナ・ピックルズ

ストーリー
20世紀初め、モンタナの牧場では、元騎兵隊大佐のウィリアム・ラドロー(アンソニー・ホプキンス)は、戦いの記憶から逃れるため、この地に定住して3人の息子たちの成長を見守っていた。
中でも狩りを好む野性児の次男トリスタン(ブラッド・ピット)に、ことのほか愛情を注いだ。
ウィリアムの妻イザベルは、過酷な自然環境に耐えられず彼と別居して街に住んでいた。
時は流れ、ハーバード大で学んでいた末っ子サミュエル(ヘンリー・トーマス)が、婚約者スザンナ(ジュリア・オーモンド)を連れて帰郷した。
やがて第一次大戦が勃発し、3兄弟はヨーロッパ戦線に出征するが、サミュエルは戦闘中に死亡する。
帰国したトリスタンは、悲しみに暮れるスザンナを慰める。
その夜、2人は結ばれ、同じく彼女を愛していた長男のアルフレッド(アイダン・クイン)は、もう兄弟ではないと告げて街へ去った。
アルフレッドは街で事業に乗り出して成功するが、弟を救えなかった罪の意識に憔悴しきったトリスタンは、「永遠に待つわ」と言うスザンナを残して世界各地へ放浪の旅に出た。
数年後、モンタナに帰ってきたトリスタンを迎えたのは、半身付随になった父ウィリアムだった。
今は議員となったアルフレッドとスザンナは結婚し、新生活を始めていた。
トリスタンは、ネイティヴ・アメリカンとの混血で、使用人の娘であるイザベル(カリーナ・ロンバード)と結婚し、息子と娘が生まれた。
その頃、トリスタンは禁酒法に逆らうように酒の販売の商売を行っていたが、ある日、警察の待ち伏せに遇い、威嚇射撃の流れ弾でイザベルが命を落としてしまった。


寸評
モンタナを舞台にした作品では雄大な自然の光景が印象に残る。
この映画も例外でなくジョン・トールのカメラが美しい。
ジェームス・ホーナーの音楽が重なるだけで俄然雰囲気が出てくる。
映画は主人公のトリスタンが生まれて死ぬまでの物語だから、アンソニー・ホプキンスが率いるラドロー一家に起きた63年の出来事を描いていることになる。
長い時間軸をまとめるために手紙が効果的に使われ、ドラマチックな出来事を情緒的に撮りあげている。
母親はモンタナの厳しい季節を避けて別居している設定がなされていて、父親のウィリアムと母親のイザベルのやりとり、息子たちが両親に送る手紙が物語の進展を紡いでいくという手法は作品にマッチしたものとなっている。
三兄弟は仲良く育っているのだが、描かれているのはその三人が一人の女性を愛したことで、一人の女性が三人を愛したことで起きた悲劇だ。

末っ子のサミュエルがハーバード大学で学んでスザンナという婚約者を連れて帰ってくる。
サミュエルは名門大学を出たことで世界情勢にも関心が高く純真さを失っていない青年だ。
父親が別居中の妻に家庭に女性がいるのはいいと伝えているが、長男のアルフレッドも次男のトリスタンもスザンナに一目ぼれしてしまっている。
しかしスザンナはサミュエルの婚約者なので、彼らには自らの気持ちを抑える理性がある。
スザンナがアルフレッドとテニスに興じる姿は楽しそうだし、馬を乗り回す姿はトリスタンに一番似合そうだ。
その雰囲気が後半への大きな伏線となっているだろうことを感じさせる。
三人が第一次世界大戦のヨーロッパ戦線に出征していきサミュエルが戦死することで、残された兄弟に亀裂が生じ始めるのだが、亀裂の原因はスザンナの存在である。
スザンナは出征前からサミュエルよりもトリスタンに気持ちがいっていたのだろう。
トリスタンがスザンナと関係を持ったことで、兄弟の関係は崩れてしまう。
秘かに思いを寄せていた末弟の婚約者を、あっさりと一番身近な弟にさらわれたのだから、アルフレッドの居たたまれない気持ちは理解できるものがある。
アルフレッドでなくても、その家を出たくなるのは当然の気持ちだろう。

父親からサミュエルを守れと言われていたのに守れなかった後悔の念がトリスタンにあるのだが、アルフレッドはトリスタンがスザンナを得るためにサミュエルを見捨てたのではないかとの疑念を生じさせている。
もしかしたらという描き方をしてもよかったとも思うが、心底恋い焦がれるとそんな疑念を生じさせてしまうのは分からぬでもない。
30日間の禁固刑を受けているトリスタンの面会に来たスザンナに「サミュエルの死を望んでいた。あの子たちの母が私である夢を見、イザベルの死を願った」というスゴイ言葉を言わせている。
それに対応するのはアルフレッドがトリスタンに言う「私は神と人間のルールに従ってきた。お前は何事にも従わなかったが、皆はお前を愛した」という言葉であろう。
野性的なトリスタンを愛してしまったスザンナを不憫に思う。
最後は鬱積していたものを一気に吹き飛ばす展開で、物語の締めくくりとして納得させられた。

ルート・アイリッシュ

2024-08-13 06:53:59 | 映画
「ルート・アイリッシュ」 2010年 イギリス / フランス / ベルギー / イタリア / スペイン


監督 ケン・ローチ                                    
出演 マーク・ウォーマック アンドレア・ロウ ジョン・ビショップ
   トレヴァー・ウィリアムズ ジェフ・ベル タリブ・ラスール
   クレイグ・ランドバーグ ジャック・フォーチュン
                    
ストーリー            
2007年、リバプールの教会。
イラクで戦死した兵士フランキーの葬儀が行われていた。
参列したファーガスは、戦死した当日、電話に“大事な話がある”という親友フランキーからのメッセージを受けながら、それに答えることができなかった。
彼らを雇っていた会社側の説明は、世界一危険な道路として知られる“ルート・アイリッシュ”で運悪く敵の襲撃に遭い死亡したというものだった。
しかし、その説明に納得できないファーガスとともに、残されたフランキーの妻、レイチェルも衝撃を受けていた。
葬儀の場で、知人のマリソルから、フランキーの残した手紙と携帯電話を受け取ったファーガスは、携帯電話に保存されていた画像の言語の翻訳を、イラク出身のミュージシャン、ハリムに依頼。
そこに映っていたのは、罪のない2人の少年が銃殺される様子で、撃ったのはイラクにいる兵士ネルソン。
そして、その場にいたフランキーは激怒していた。
それを見たファーガスはフランキーの死に対して不信を強めていく。
フランキーをイラク戦争に誘ったのは彼だったが、身分は国家の軍隊が派遣した兵士ではなく、戦争をビジネスにする企業が大金と引き換えに派遣したコントラクター(民間兵)だった。
しかし、タフなファーガスとは違い、性格の優しいフランキーは、戦場で精神を崩壊させていったのだった。
協力して事件の真相を追ううちに、次第に惹かれ合うようになるファーガスとレイチェルだったが、しかしファーガスは彼女との関係には背を向け、ひたすらに事件の真相を追い続ける。
そして軍事企業の秘密が見えてきた頃、事件の証拠となる携帯電話を狙ってレイチェルの家に何者かが押し入り、ハリムは暴行を受ける。
やがて、フランキーの死の真相が明らかになってゆく…。


寸評
イラク戦争を素材にした社会派的作品であると同時に戦争サスペンスとしての側面も持ち合わせている。
僕は謎解きのサスペンスと同時に描かれる、イラクでの軍人や民間兵たちによる非道な行いにむしろ衝撃を受けた。
戦争をビジネスにする民間警備会社と、そこに雇われた民間兵たちの所業をドキュメンタリータッチの映像なども交えて非道性を告発しているかのようでもあった。
後半に進むにつれて緊迫感が高まり、そこでファーガスがかつて彼らがイラクで行ったのと同じ行為を行うが、この構図によって戦争の狂気がくっきりと浮かび上がってきた。
主人公のファーガスは狂人のごとく事件を追うが、その背景としてファーガスとフランキーが兄弟同様に育ったこと、冒頭で電話に出られなかったことにたいする後悔と、自分がフランキーをイラクに誘った張本人であるという自責の念などが背景にあることが、その狂人性を説明補佐していたと思う。
戦争をとりまいている悪夢の一面を強烈に描いているけれど、戦争の恐怖を置いてきぼりにしている僕は、この事件を傍観者的に眺めていたことを気づいて少し怖かった。
最後にハリウッド映画的なシーンを登場させるが、このシーンは違和感があったなあ。
全体の雰囲気を引き継いだ違った描き方が有ったのではないかと感じた次第。

離愁

2024-08-12 07:19:52 | 映画
「離愁」 1973年 フランス / イタリア


監督 ピエール・グラニエ=ドフェール
出演 ジャン=ルイ・トランティニャン ロミー・シュナイダー
   モーリス・ビロー アンヌ・ヴィアゼムスキー
   ニケ・アリギ ポール・ル・ペルソン

ストーリー
1940年、ドイツ軍はノルウェー、デンマークに侵入し、五月にはフランスにも侵入してきた。
ジュリアン(J・L・トランティニャン)は北部フランスのある村でラジオの修理屋を営んでいたが、事態が切迫するにつれ、いよいよ住みなれた故郷を去らねばならぬ時が来たことを知った。
この村に住んで40年以上、きわめて単調で退屈な日々といってよかったが、ふと自分が住みなれた村を去るとき自分の人生に一大転機がおとずれるのではないかと思った。
やがて村人たちが列車で村を立ち退く日がきた。
幼い娘と妊娠中の妻モニーク(ニケ・アリギ)を客車に乗せ、自分は家畜車に乗らなければならなかった。
その日は、フランスでも50年に一度という絶好の春日和で、列車は美しいフランスの田園を走る。
駅に停まると待ち構えていた避難民が押しかけてきたのでたちまちすし詰めとなり、その間ドイツ軍の攻撃は日増しに激しさを加え、避難民の不安は日毎に募っていった。
名も知れぬ駅に列車が停車したとき、ジュリアンは妻と娘を確認しに行き、戻ってくると若い女アンナ(R・シュナイダー)が家畜車に乗り込んでいた。
彼女はドイツ生まれのユダヤ人だった。
二人は自由に身動きできない貨車の中で、互いに寄り添うようにしながら旅を続け殆んど口をきかなかったのだが、二人の心は次第にたかまり求めあった。
ジュリアンは、それが不倫の恋と知りつつ、愛情は深まるばかりだった。
アンナも、ドイツ軍に追われ続けた辛い過去を、ジュリアンを知ることでしばし忘れることが出来た。
その頃、ジュリアンの妻子が乗っていた客軍は切り離され、行方が知れなくなってしまった。


寸評
ラストシーンから逆算して撮られたような作品に思えるが、そう思わせるほどラストシーンが素晴らしい。
1943年の冬のある日、家族と細々と暮らしていたジュリアンはナチの秘密警察から呼び出しを受ける。
アンナがレジスタンスの一員として捕まっていて、ジュリアンの妻として作った証明書を持っていたのだ。
ジュリアンは係官にアンナを知っているか、もし知っているならどんな関係か尋問される。
知らぬとシラを切れば自分の身の安全は守られる。
ジュリアンは命がかかっているし、自分だけではなく家族のこともあるから、知らぬ存ぜぬの態度を見せる。
部屋を出て行こうとしたときに、所長がジュリアンを引き止め彼女と対面させる。
ジュリアンが待っているところに、アンナが入ってくる。
椅子に座り、お互い顔を見合わせるが、アンアはこんな男は見たことがないという表情を見せる。
ジュリアンもトラブルに巻き込まれたくないと目をそらし、知らないのならお引き取りをと言う言葉に押されて部屋を出ようとしノブに手をかけた瞬間、抑えきれない感情でアンアを振り返る。
アンナは戸惑った表情を浮かべるが、ジュリアンは彼女のところへ行き、ほほに手を差し伸べる。
アンアから抑えていた彼への愛情が吹きこぼれる。
所長は「やっぱり知っていたんだね、これでわかった。君もレジスタンスの一員だったんだ」と呟く。
署長が誤解してレジスタンスの一員だと断定するが、ジュリアンは一言も言い訳もせずアンナだけを見つめ優しく微笑むのだが、その間二人は一言も発しない。
そしてアンナが泣き崩れるところでストップモーションとなる。
これから彼らはどうなるのかとか、残された家族はどうなるのかの疑問を挟ませないラストシーンとなっている。

途中で走行する汽車がドイツ戦闘機の銃撃を受けて、同乗していた乗客が銃弾を浴びて死ぬ場面もあるが、総じて特段のドラマがあるわけでもなく、避難の為に貨車に乗り込んでいる人々も至ってのんきでピクニック気分だ。
停車時に貨車から降りて川辺でくつろぐ場面もあるし、貨車内では宴会騒ぎの様な事もやっている。
同乗者の中に水商売風な女性がいるが、アンナとの対比の為の存在であろう。
彼女は同乗者が寝ている間に男と関係を持つ。
それに刺激されたのか、アンナもジュリアンを求め、女はアンタもやるわねとばかりにウィンクをする。
ジュリアンとアンアがそういう関係になる経緯をもう少し丁寧に描いておいても良かったのではないかと思うが、ロミー・シュナイダーのようないい女が居れば、男の方は心ときめくと言うのは分かる。
彼女を巡っての争いが簡単に決着を見て、それ以後にそれらしき様子がないのは不思議だが、それも水商売風の女性によってかき消されていたのだろう。

カトリーヌ・ドヌーブとロミー・シュナイダーは1970年代のフランス映画界における美人女優だったが、演技力ではロミー・シュナイダーが勝っていたと思う。
僕はその二人よりも断然ジャンヌ・モローが良かった。
人生と言う観点から見れば、カトリーヌ・ドヌーブに比べればロミー・シュナイダーは恵まれた人生とは言い難いような一生を送ったと思う。
アラン・ドロンと結婚していたらどうなっていたのだろう。

リクルート

2024-08-11 07:20:36 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2020/2/11は「緋牡丹博徒 お竜参上」で、以下「ヒミズ」「ヒメアノ~ル」「百円の恋」「ヒューゴの不思議な発明」「昼顔」「ビルマの竪琴」「ピンポン」「ファーゴ」「ファンタジア」と続きました。

「リクルート」 2004年 アメリカ


監督 ロジャー・ドナルドソン        
出演 アル・パチーノ コリン・ファレル ブリジット・モイナハン ガブリエル・マクト

ストーリー
名門工科大の学生、ジェームズ(コリン・ファレル)は、CIAの首席教官であるバーク(アル・パチーノ)にリクルートされる。
彼はマサチューセッツ工科大学の中でも優秀な学生であり、卒業後はコンピュータ業界での成功を約束されていた。
何もかもが順調に見えるジェームズだったが、ただ一つ、1990年にペルーの墜落事故で消息を絶った父親の事を気に掛けていた。
父はシェル石油の社員として世界中を飛び回っていたが、その事故には余りにも不審な点が多く疑問を持っていたのだった。
ジェームズは、父の死の謎がCIAにあることを知り、この申し出を受けた。
特別施設に集められたジェームズたちは、過酷な現場訓練と心理操作を叩き込まれていく。
やがて彼は、訓練生のレイラ(ブリジット・モイナハン)と心を通わせるが、バークの仕組んだ拷問に屈したため訓練から外された。
これは、ジェームズを秘密工作員に仕立てる偽装。
そして最初の任務は、二重スパイの容疑がかかるレイラの監視だった。


寸評
「何も信じるな」と教えたバークの言葉はCIAのルールでもある。
このルールによるストリー展開にもう少しキレがあるともっと面白い作品になったのではないか。
特に前半部分のCIAの裏側などは面白い構成なのだから、エピソードの積み重ねにもう少しスピード感がほしかった。
ラストに向けて一気に持っていくあたりは流石の盛り上げ方だったけれど、ある程度予測がついてしまうのは少し物足りない。
CIAの工作員をリクルーティングしてくる着想は面白いのだから、2週間で公開が終るような作品にはならなかったと思う。
それでも追いつめられたジェームズがパソコンを駆使してCIAのサーバに乗り入れる(?)展開などは中々のアイディアでちょっとしたドンデン返しになっていて面白かった。
この種類の映画においては常にアベレージ以上の作品を作りつづけるアメリカ映画界の裾野の広さに、いつもながら感心させられてしまう。
付け加えると、冒頭の言葉を否定するような言葉と、父親の消息への決着のつけ方などはアメリカ映画に良く見られるエンディングで、パーフェクトなハッピーエンドで終りたがる傾向が出ていて、僕はどちらかと言うともう少し余韻を持たせたエンディングの方が好きだ。
このことは同時期に封切られて大ヒットで続映中の「ラスト・サムライ」でも感じた事で、アメリカ映画らしいと言えばアメリカ映画らしいと感じる。

利休にたずねよ

2024-08-10 08:25:47 | 映画
「利休にたずねよ」 2013年 日本                                                            

監督 田中光敏                                         
出演 市川海老蔵 中谷美紀 大森南朋 伊勢谷友介 福士誠治 成海璃子 クララ 川野直輝 袴田吉彦黒谷友香 市川團十郎 檀れい 大谷直子 柄本明 伊武雅刀 中村嘉葎雄

ストーリー                                                
1591年(天正19年)、天下人・豊臣秀吉(大森南朋)によって切腹を命じられた茶人・千利休(市川海老蔵)。
かつては織田信長(伊勢谷友介)に茶頭として仕え、その研ぎ澄まされた美意識で名を馳せると、信長落命後は秀吉の庇護のもと、“天下一の宗匠”として不動の名声を獲得した。
しかし彼の名声が高まるにつれ秀吉は心を乱していき、利休を窮地に追い詰め、ついには切腹を命じる。
3千もの兵が利休の屋敷を取り囲み、自刃のときが迫っていた。
妻・宗恩(中谷美紀)の、ずっと想い人がいたのではないかとの問いかけに、利休は胸に秘めていた遠い記憶を蘇らせる。
青年時代、放蕩を重ねていた利休は、高麗からさらわれてきた女と出会う。
後に師匠となる茶人・武野紹鴎(市川團十郎)の言いつけにより彼女の世話をすることになった利休は、次第に女と心を通わせていく。
彼女は高麗からさらわれてきた、一国の王への貢ぎ物だった。
いくら彼女と気持ちを通わせても、恋が叶うはずもなかった。
別れの時が近づき、利休はやむにやまれぬ思いである事件を起こす…。


寸評
原作である山本兼一の直木賞受賞作では切腹から順次時代をさかのぼっていく構成だったが、本作では過去の回想は高麗の女との出来ごと以外は時代に沿って進められている。
観客にとってはその方が理解しやすいからだと想像するが、そのこととは関係なく本作は少し力強さに欠ける。
利休物と言えば1989年に相次いで公開された勅使河原宏の「利休」と、熊井啓の「千利休 本覺坊遺文」を思い出すが、それらのに作品に比べると貧弱さが否めない。
僕は断然、前二作品の方が面白かったと思う。

利休には想いを寄せた人がいて、ずっとその人のことを忘れられないでいるという原作の設定はユニークで話に広がりを持たせるはずだったのだがなあ・・・。
宗恩はよくできた妻で、利休も自分の妻は宗恩以外にないと言っているのだが、実は心の奥底に忘れられない女を慕い続けているというのは僕はよくわかる。
自分が心を寄せながらも別れた女性のことは、思いが思いを呼び姿が大きくなり、それが何年も何年も続くと、二度と逢えない寂しさと口に出せないもどかしさと、更なる思いの深さに対する葛藤が生じてくる。
生涯でただ一人であった思い人とは厄介なものだ。

映画は死に行く利休に、妻である宗恩がそのような人がいたのではないかと問いかけるところから始まり、切腹の後はその怒りを爆発させそうになるが、そこに至るまでの宗恩の心の変化は描かれておらず分からずじまいだ。
秀吉の緑の壺に対する執着もあるようには見えなかった。
利休がその権威(権力)を強めていくことへの不安感もイマイチだったと思う。
何においても中途半端で、「何が描きたかったの?」と問いかけてしまった。
北朝鮮ではNo2の実力者と言われた張成沢(チャン・ソンテク)が粛清された。
権力闘争に敗れたのかどうかは知らないが、結局は金正恩にとってうっとしい存在になった為なのだろう。
その粛清のやり方を漏れ伝え聞くと、現実とはこんなものなのだと思い知らされて、この映画で行われる利休の切腹など絵空事に見えてしまう。
もともと映画と言う絵空事の世界なんだけれど、もう少し息をするのも忘れる緊迫感が欲しかった。

LAMB/ラム

2024-08-09 08:25:34 | 映画
4巡目のラストスパートです。
       
「LAMB/ラム」 2021年 アイスランド / スウェーデン / ポーランド


監督 ヴァルディマル・ヨハンソン
出演 ノオミ・ラパス ヒルミル・スナイル・グドゥナソン ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン イングヴァール・E・シーグルソン

ストーリー
牧羊を営んでいるマリアとイングヴァルの夫婦は、娘を亡くしてから二人きりで静かに暮らしている。
ある日、二人は一頭の羊の出産に立ち会ったが、産まれてきた子羊は頭部から右半身が羊、左半身から下半身が人間という獣人であった。
戸惑う二人だったが、その愛くるしい容貌から、死んだ娘と同じくアダと名付け、大切に育てていく。
ある日、イングヴァルの弟であるペートゥルが帰って来た。
夫婦はアダと三人で暮らすことに幸福を見出しているにもかかわらずペートゥルはアダを嫌悪し、夫婦が寝ている隙にアダを連れ出して殺そうとする。
しかし、思いとどまったペートゥルはアダとともに帰宅し、それ以来ペートゥルは愛をもってアダと接した。
アダを産んだ母羊はアダに対する母性が捨てられず、家の周りから離れずに鳴き声を出してアダをしきりに呼ぶので、アダを溺愛するマリアは母羊が疎ましくなり、ついには銃で殺してしまう。
三人がダンスに興じて羽目を外していた時、外に出ていたアダは、何かが牧羊犬を殺して銃を盗んでいく様子を目撃した。
一方、疲れたイングヴァルは眠ってしまうが、その隙を狙ってペートゥルはマリアを誘惑した。
ペートゥルは拒否するマリアに母羊を殺すところを見ていたと告げ、そのことをアダに話すと脅し関係を迫ったが、マリアは屈すると見せかけて、ペートゥルを物置部屋に閉じ込めた。
翌朝、マリアは家を出ることにしたペートゥルをバス停まで送っていき、当面の金をペートゥルに渡した。
その間に目覚めたイングヴァルは、故障して置き去りにしたトラクターを修理しにアダを連れて出かけた。
その帰り道、イングヴァルは盗まれた銃で首を撃たれて死んだ。
彼を殺したのは、アダの本当の父であり、頭部が羊で体が人間という獣人であった。
獣人は、イングヴァルの死に涙を流すアダの手を引き、山へ消えていった。


寸評
種明かしを後からされているような描き方をしていることもあって、何かとらえどころのない、言い換えれば僕にはよく分からない作品だった。
冒頭で霧に包まれた山間で群れをなす野生の馬たちが映し出される。
僕が気付くのが遅すぎたのかもしれないが、見終ってからあの馬たちは何かが近づいてくる気配に動揺していたのだと、そしてその後の家畜小屋のシーンでも中にいる羊たちは怯えていたのだと理解した。
ストーリーをあらかじめ理解していることが前提での生まれた羊の姿が明らかになるタイミングとなっている。
獣人はアダと名付けられているのだが、それは亡くなった娘の名前だと分かるのも随分とたってからだ。
夫の名前がイングヴァルであることは分かっているが、妻の名前がマリアであることが判明するのは随分あとのほうである。
これが意図したものであろうから、僕はこの映画に宗教的なものを感じてしまった。
マリアと言えば単純な僕は聖母マリアを想像してしまう。
アダは羊の頭をもつ怪物と言えるかもしれないが、その姿は愛らしく神の使いのように見えてしまう。
それはこの映画に宗教性を感じていたからだろう。
キリスト教では羊はイエス・キリストの象徴となっているらしいから尚更である。

マリアはアダの母親を射殺しているのだから、彼女は聖母マリアではない。
これがキリスト教の世界が下敷きになっているとすれば、僕の解釈はアダはキリストで、従って殺された母羊が聖母マリアで、父羊はイエスを遣わせた神だったのではないかというものである。
そうだとすれば、神によって殺されたイングヴァルの罪とは何だったのだろう。
もう一人の登場人物がイングヴァルの弟のペートゥルなのだが、彼はアダを殺そうとしたのだが思いとどまり翌朝アダを抱いて寝ている。
それどころか以後はアダを非情に可愛がっているから、彼は反感を持っていたキリストに従う信者のような存在に思える。

そのペートゥルだが、彼は以前にマリアと関係があったと思われる。
弟の彼女を兄が奪ったのか、それとも二人は不倫関係だったのか。
そうだとすれば、娘のアダが亡くなって自暴自棄になったマリアが間違いを犯したのかもしれない。
娘のアダの墓の横にもう一つ墓があったが、あれは一体誰の墓だったのだろう。
マリアはアダがいなくなって母羊の気持ちが分かったのだろうか。
呆然としたマリアの姿からはそれを感じるが、アダはマリアのもとに帰ってくると思う。
一つは生みの親より愛情を注いでくれた母親を慕うであろうということ。
いま一つは、アダはイングヴァルから家への帰り方を教えてもらっていたことで、僕はその事がアダの帰還を暗示していたのではないかと思っている。
しかし、この映画、一体何を描きたかったのだろう。
僕は未だに答えを見いだせないでいる。

欲望のバージニア

2024-08-08 07:10:07 | 映画
「欲望のバージニア」 2012年 アメリカ                                                 
 
監督 ジョン・ヒルコート                                                   
出演 ジェイソン・クラーク トム・ハーディ シャイア・ラブーフ    ガイ・ピアース    ジェシカ・チャステイン ミア・ワシコウスカ           ゲイリー・オールドマン    デイン・デハーン クリス・マクギャリー    ノア・テイラー

ストーリー
1931年、バージニア州フランクリン。
そこは、禁酒法時代にあって、酒の密造がもっとも盛んな街のひとつ。
そんな無法の街で密造酒ビジネスを手がけるのが、長男ハワード、次男フォレスト、三男ジャックのボンデュラント兄弟。
末っ子のジャックは牧師の娘バーサにご執心で、自分も早く大きな商売をしたいと野心を燃やしていた。
一方、都会から流れてきた謎めいた女マギーが街に現われ、兄弟が経営する酒場で働き始める。
そんな中、新たな取締官レイクスがフランクリンに赴任。
すると彼は着任早々、密造酒業者に対して高額な賄賂を要求し、従わない者には容赦のない制裁を行っていく。
同じようにボンデュラント兄弟にも賄賂を要求するフランクリンに対し、決然とこれ拒否をするフォレストだった。
拒否した兄弟はレイクスの残忍な仕打ちを受けることになり…。


寸評
三兄弟のキャラクターはきっちりと描き分けられている。
長男は酒浸りの毎日だが腕っ節だけは強そう。
次男はこの兄弟の束ね役で、ビジネスに邁進するものの武骨者で女性に対してはまったく消極的。
三男は末っ子のこともあって少しか弱いが、それだけに早く一人前になりたいと焦っている。
そんな三人に二人の女性を絡ませながら、新任の取締官と対決していくというのが大筋。
どうもこの街は密造が半ば公認といったところがあって、街の保安官もボンデュラント兄弟を認めているところがある。
したがって、彼等は法を犯している悪人ではあるが正義の悪人で、悪人の悪人である取締官との対決といった構図だ。
この構図設定は、街の人達を巻き込むことで違和感のないものになっていた。
禁酒法時代の密造酒作りを描いていながら、悪人同士の内輪もめと言う単純なギャング映画でないところがいい。
エリオット・ネスを描いた「アンタッチャブル」とは全く趣が異なった映画だ。

全体としては見ごたえもあるのだが、もう少し描き込んでも良かったのではないかと思わせる人物もいた。
例えば、ゲイリー・オールドマン演じるフロイド・バナーは一体どのような立場と権力を得ているのか?
レイクスの上司も賄賂を要求している一員なのだが、その姿は全く見えなかった。
レイクスを演じるはガイ・ピアースは粘着質で、ブチ切れると手が付けられない特別取締官を好演していたが、もっと凄味のあるキャラクターであった方が緊迫感が漂ったと思う。
ボンデュラント兄弟が結構対等に渡り合っていて、見ていて負ける気がしないのだ。

不死身の三兄弟であることが冒頭で語られるが、本当に不死身であれでよく生きていられるものだと思う。
最後は少し拍子抜けしたりするが、人生のはかなさと先行きの不透明感を語って余韻あるエンディングになっていた。
よくある手ではあるけれど・・・。

善き人

2024-08-07 07:31:07 | 映画
「善き人」 2008年 イギリス / ドイツ

                                     
監督 ヴィセンテ・アモリン
出演 ヴィゴ・モーテンセン ジェイソン・アイザックス ジョディ・ウィッテカー スティーヴン・マッキントッシュ マーク・ストロング

ストーリー            
1930年代、ナチス台頭のドイツ。
ベルリンの大学で教鞭をとる文学教授ジョン・ハルダーは、家族思いの善良で平凡な男。
介護が必要な母と妻のヘレン、そして2人の子供たちの生活を背負っていて、失職覚悟で党に抵抗する余裕はなかった。
1937年4月、総統官邸から呼び出し状が届き、ジョンは党の検閲委員長ボウラーから意外な申し出を受ける。
数年前にジョンが書いた不治の病に侵された妻を夫が安楽死させる内容の小説をヒトラーが気に入り、同様の「人道的な死」をテーマにした論文を書いてほしいという。
断るすべもなく仕事を引き受けるジョン。
さらに彼は、親衛隊少佐フレディから、執拗に入党の誘いを受け、ジョンは入党を決意、混乱した私生活にも区切りをつけようと思い立つ。
母親をブランデンブルクの実家に帰し、ヘレンとも別居して、数年前から愛人として交際していた元教え子のアンと共に暮らし始める。
やがてジョンは学部長に昇進。
親友のユダヤ人精神分析医モーリスは喜んでくれたが、ジョンの入党を知ると軽蔑の視線を投げつけて去っていく。
1938年10月、アンと再婚し、新たな人生を歩み始めたジョンは親衛隊大尉の肩書きを持つまでに出世を遂げていた。
そんな中、ジョンの母が孤独な闘病生活に絶望して自殺未遂、そのまま帰らぬ人となった。
ある日、パリ駐在のドイツ人書記官がユダヤ人に暗殺される事件が起こり、ベルリンで反ユダヤの暴動が発生。
ユダヤ人の家や商店が襲撃され、ユダヤ人たちは警察に連行される。
この騒動にモーリスが巻き込まれることを案じたジョンは、駅へ出向き、パリ行きの切符を購入。
「今晩自宅へ来てくれ」と、モーリスのアパートに伝言を残す。
その直後、党本部への出頭を命じられたジョンは、留守を預かるアンにモーリスへの切符を託すが、結局彼は現れず、消息は途絶えてしまう。
1942年4月、親衛隊の幹部としてユダヤ人強制収容所の情報収集を命じられたジョンは、党の誇る最新鋭の設備を使い、モーリスの消息を追う。
そのとき初めて、4年前のあの夜に何が起きたかを知るジョン。
さらに収容所の視察に赴いた彼は、自分が無意識のうちにどれだけ深い罪を犯していたかに気づき、愕然とする…。


寸評
邦題は「善き人」となっているが、「善き死」としても良いような内容だった。
ジョン・ハルダーは安楽死を描いた自身の小説がアドルフ・ヒトラーの目にとまり召喚されるのだが、その小説は認知症の母親を世話していたことをヒントに書いたものだと言うことは容易に想像がつく。
そしてそれは安楽死にかこつけて後々のホロコーストを正当化しようというものだということも。
映画の中でジョン・ハルダーは新しい論文を要求され「恩寵の死」を書くが、それは正にナチスの論理となり現実のものとなっていく。
ラストでジョン・ハルダーはユダヤ人収容所でモーリスの幻影を見る。
そして収容所員のオーケストラ演奏を聞くのだが、しかしこれとても幻影で、この幻聴の源は虐殺されたユダヤ人の嘆き悲しみ怒りだったと思う。
ここに至ってジョン・ハルダーはモーリスの受けたであろう過酷な事態を理解し涙するが、むしろ僕は時代の雰囲気に流されて権力に同調し、時代に順応してしまう庶民の愚かさと悲しさを感じた。
ジョン・ハルダーの不倫相手のアンはもともと「論理より情熱」という女性だが、その彼女も自分達が置かれた優越した幸福な世界を守るために行動してしまう。
狂気の世界は絶対的な正義などが入り込めないような世界を作りだすのだと言っているようで、空恐ろしいものを感じさせられた。
全く派手さはなく、地味で淡々とした展開となっているが、普通の人が陥る世界を描いているだけに、見終わるとその抑揚のなさがかえってジョン・ハルダーとモーリスの命に対する危機感の差を出していたのだと感じた次第。
戦後に生まれた僕は戦中の世の中を知らないが、あの頃の日本も同じような状況下にあったのではないかと想像する。
新聞各社も煽っていたのだし、世の中の雰囲気とは恐ろしい側面を持っているものなのだろう。
僕たちは昨今の何となく流れる雰囲気政治に心しなくてはいけないと思う。

夢千代日記

2024-08-06 06:57:46 | 映画
「夢千代日記」 1985年 日本


監督 浦山桐郎
出演 吉永小百合 北大路欣也 樹木希林 名取裕子 田中好子           

ストーリー
山陰の雪深い温泉町、湯村にある“はる家”の夢千代(吉永小百合)こと永井左千子は広島で被爆していた。
“はる家”は夢千代が母から受け継いだ芸者の置家で、夢千代の面倒を子供の頃から見てくれている渡辺タマエ(風見章子)、気のいい菊奴(樹木希林)、スキー指導員・名村(渡辺裕之)に恋し自殺未遂を起こす紅(田中好子)、好きな木浦(前田吟)のため、彼の妻の替わりに子を宿す兎(名取裕子)、癌で三ヵ月の命だという老画伯・東窓(浜村純)に、束の間の命の灯をともす小夢(斉藤絵里)たちがいる。
神戸の大学病院で「あと半年の命」と知らされた夢千代は、帰りの汽車の窓から祈るように両手を合わせて谷底へ落ちて行く女性を見た。
同乗していた女剣劇の旅役者の一人、宗方勝(北大路欣也)もそれを見ていたが、彼の姿は消えてしまう。
捜査の結果、その女性の駆け落ちの相手、石田が逮捕された。
彼の子を身篭った女が邪魔になったのだろうという事だったが、夢千代には自殺としか思えなかった。
翌日、旅芝居好きの菊奴の案内で春川一座を尋ねた夢千代は、宗方に本当のことを教えてほしいと嘆願するが、宗方は「見ていません」と冷く答えるのだった。
夢千代はタマエから、死んで行くしかない特攻隊員との愛のかたみに母が女手一つで自分を産み落としたことを聞かされ、一度だけ出来た子供を堕したことを悔いた。
ある夜、夢千代は春川桃之介(小川真由美)一座へ出かけ、熱を出して倒れてしまい、宗方に背おわれて“はる家”に戻ってきた。
春川一座のチビ玉三郎(白龍光洋)は、母である座長や菊奴の前で宗方の夢千代に対する気持を言いあてる。
その時、宗方は菊奴から夢千代の命が長くないことを知らされた。
証人として宗方の身元を調べていた藤森刑事(加藤武)は、彼の名がでたらめであることを知る。


寸評
「夢千代日記」は1981年から1984年にかけ3部作としてNHKで放映されたテレビドラマとして人気を博し、舞台となった湯村温泉が人気スポットとなり温泉街の中心部に吉永小百合をモデルにした「夢千代の像」が建てられるまでになった。
早坂暁の脚本で深町幸男が演出を担当したが、上質のテレビドラマとなっていた。
映画版の脚本はテレビ版と同じ早坂暁が担当しているが、監督は浦山桐郎に代わっている。
テレビを引き継ぐようなストーリー担っているが完全な失敗作だ。
湯里の置屋「はる家」の芸者たちのエピソードが次々と描かれているが、どれもこれも煮え切らないものとなっていて、中途半端で終わっている。
紅ちゃんは妻子がいるスキー場の指導員を好きになり、母親の位牌を持って失踪する。
指導員の名村を連れまわし、高級ホテルの宿泊代も自分が出すという破滅的な行動をとっているのだが、スキー場での計画事故だけでは紅ちゃんの気持ちが推し計れない。
兎ちゃんは木浦の子供を宿しているが、妻のいる木浦とは結婚でできずお腹を貸しているだけで、生まれた子供は木浦の後継ぎとして取られてしまうことになっている。
子供が産めない木浦の妻(左時枝)と対面するが、左時枝が兎の名取裕子に「私は子供を産むことができないので、よろしくお願いします」と伝える場面は、ドキリとする切ないシーンとなっているのだがエピソードに対する余韻はまったくない。
小夢ちゃんは足が悪く、弟を学校にやるためのお金を得るために有名な画伯のヌードモデルとなり、老画伯の東窓に腹上死される。
夫である東窓画伯の行為を隣の部屋で感じている妻の荒木道子の気持ちなどもまったく描かれていない。
お詫びとしてのお金と残された絵の一枚を小夢ちゃんに渡す事で一件落着となっている。

メインストーリーは夢千代と宗像の間に生まれる恋愛感情の進展である。
夢千代も宗像も生きたいと願っている二人なのだが、二人の生きたいと言う思いが上手く伝わってこない。
夢千代は被爆者で余命いくばくもない。
宗像は父親殺しの罪で捕まれば死刑か無期懲役の為に逃亡を続けている男である。
死を常に意識している二人が魅かれ合っていくのだが、その共通する恐れも上手く描けているとは言い難い。
夢千代は誰からも愛され慕われている模範的な女性である。
元気な時はお座敷も見事に務める気丈な面も持ち合わせているのだが、遺書を書きながらも「死ぬのが怖い」とうろたえる一面もある。
浦山桐郎監督としては原爆への憎しみを描き込みたかったのだろうが、それも斬り込み不足となっている。
テレビから映画へと続いた物語は夢千代さんの死で終焉を迎えたが、浦山桐郎監督にとってもこれが遺作となってしまった。
端折ったような脚本が悪いのか、監督にとって遺作となる頃になるとサエがなくなってしまっているのか、「夢千代日記」というネームバリューの割には凡作となってしまっている。
テレビのイメージを壊したくない吉永小百合さんの思いが浦山監督には通じなかったのだろう。

油断大敵

2024-08-05 06:58:38 | 映画
「油断大敵」 2003年 日本


監督 成島出
出演 役所広司 柄本明 夏川結衣 菅野莉央 前田綾花 水橋研二 津川雅彦 奥田瑛二 淡路恵子

ストーリー
主人公の関川仁は刑事で、妻に先発たれた後、男手一つで娘の美咲を育てていた。
ある日、娘と自転車に乗る練習をしていると、自転車を壊してしまった。
困っているところを中年の男が道具箱を持って自転車を直してくれた。
仁がその男の道具箱を見ると、伝説の大泥棒、通称ネコが持っている7つ道具にそっくりなものが入っていた。
仁は大泥棒ネコを捕まえることができて同僚から祝福され、生き生きと彼を取り調べた。
しかしネコの方が何枚も上手で、いつしか自分の方が取り調べを受ける情けない状態になってしまう。
実況検分もすることになったが、ネコが泥棒を働いた場所は多岐に渡っており、大仕事となってしまう。
仁が仕事で忙しい時に、教会の放課後教室で娘の面倒を見てくれる美しい牧子先生がいた。
仁は密かに牧子先生に惹かれていたが、牧子先生も仁のことが好きだった。
ある日、娘の美咲が放課後教室で熱を出し、牧子先生が家まで娘を送ってくれた。
仁は牧子先生を家に招き、夜通し話しをするうちに良い仲になってしまう。
しかし娘の美咲は、父親と牧子先生に何かあったことをすぐに感づいて、その日から牧子先生を拒絶しだした。
母親を忘れられない美咲は牧子先生を受け入れられなかった。
仁は美咲のために牧子先生と別れることにした。
ネコが仁に捕まったのは、彼が国のお金で痔の治療をしたかったからということが分かり、仁はがっかりした。
また輸送中にネコに逃げられそうになったが、ネコは仁に笑って「油断大敵」と言って諭しただけだった。
ネコは俺がシャバに戻ってくるまで立派な刑事になっていたら、また相手をしてやると言い放ち刑務所に入った。
仁はその後新天地で、娘を育てながら、泥棒担当刑事として成長していく。
娘の美咲は成長し、看護士の道へ進んでいた。
そんなおり、ネコがシャバに出てきてまた盗みを働いているという噂を聞いた。


寸評
コミカルな作品で、メインは刑事の役所広司と泥棒の柄本明の掛け合いである。
柄本明が演じる大泥棒のネコはプロ中のプロで警察も手を焼いているのだが、彼は決して人を傷つけないことをモットーとする優しい一面を持っている。
役所広司が演じる刑事の仁は新米で正義感だけが取り柄の、犯人でもあるネコに自転車を直してもらった御礼を言う律義さを持ち合わせている男だ。
もちろんネコが金を盗んだために蒸発せざるを得なかった被害者の事を思えばネコを許すわけにはいかない。
ベテラン刑事が自供に手を焼く中で、ネコは仁の律義さに打たれて自供を始める。
その間の二人芝居とも言える絶妙な掛け合いが何とも言えない雰囲気を醸し出していく。
刑事と泥棒という相対する関係でありながら、二人の間に友情めいたものを感じさせるのだ。
正に名優二人と言う感じだ。

一方でシングル・ファーザーとしての仁の大変さが同時進行で描かれていく。
娘の美咲との関係は良好だが、やはり父親が子供を育てるのは大変だ。
子育てはやはり夫婦二人で行うものなのだと思わせる。
そんな中に夏川結衣の牧子先生のような自分に好意を抱いてくれている女性が現れたら、その気になってしまうのはよく分かる。
自分も好意を持っているし、娘もなついてくれていそうだからと再婚を決意するが、年頃の子供は難しい。
子連れの再婚は大変なのだろうなと思わせる。
牧子先生の潔い態度は、彼女が宗教界に身を置いていたからだろうか。
普通は男と女の間に一悶着が起きそうな状況だと思うのだがなあ・・・。
幼かった美咲が18歳になった時には看護師としてカンボジアに行こうとするまでになっている。
自立して父親の元から旅立とうとしているのだが、娘が父親を心配して離れられない親子を描いた小津作品とは真逆の関係である。
美咲を旅立たせる覚悟を決めたことをネコに語るシーンが僕には一番心に響いた。
手塩にかけた娘と別れる辛さが分かるし、牧子先生との一件が伏線となっていて流石にジーンときた。
ネコは何も言わず仁の語り掛けを聞いているが、僕はカメラをパンなどせずに長回しを続けて二人をとらえ続けた方が良かったのではないかと思っている。

ネコは公費で痔の手術をしたのだが、そのことも伏線となっていて、ネコを襲っている第二の病も上手く処理されている。
美咲は自らの学力と熱意と使命感で親からの自立を獲得したのだが、ネコは他人の金を盗むことで父親からの解放を獲得している。
親からの自立を果たしたと言う事では同じかもしれないが、やはりそれでもネコの行為は許されるものではない。
しかし自立し続けるためにはネコはそれを獲得した手段でしか生きていけなかったのだろう。
これが実話に基づいているだけにそう思う。
刑事と犯人が心を通わせる話は珍しくはないが、日本映画らしい終わり方で喜劇を締めくくっている。

夕陽に赤い俺の顔

2024-08-04 07:13:18 | 映画
「や」行です。

「夕陽に赤い俺の顔」 1961年 日本


監督 篠田正浩
出演 川津祐介 岩下志麻 炎加世子 渡辺文雄 小坂一也

ストーリー
詐欺と不正を働く水田建設の水田専務(菅井一郎)は殺人業マネージャー大上(神山繁)の紹介で殺し屋を雇うことになった。
殺し屋のメンバーは、猟師の娘でいつも山羊を連れ人を殺すが獣を殺すのはいやというナギサ(炎加世子)。
ガダルカナル戦当時より小銃を使い実戦で鍛えた腕を誇る伍長(内田良平)。
殺し屋という仕事を合理化して株式組織にしようとしている大学生のビッコの殺し屋フットボール(渡辺文雄)。
殺し屋と医者を使いわけるドクター(水島弘)に、香港帰りのレディ・キラー香港(諸角啓二郎)。
ドスに腹巻きスタイルでナイフを使う戦前派、越後一家(三井弘次)。
今まで殺した九十九人の写真をアルバムに貼り眺めて泣いているセンチ(平尾昌晃)。
文学青年で詩を愛している殺し屋詩人(小坂一也)、の八人。
腕の優劣を決めるためとった方法が、競馬場で一着に入ってくる馬の騎手の帽子を射ち落すといった方法がとられた。
殺し屋が手を出せないでいるうちに、ガンマニアである石田春彦(川津祐介)がいたずらに射ち落してしまった。
大上は早速、春彦を水田のところに連れていった。
水田の頼みは建築業界誌の記者有坂茉那(岩下志麻)を殺すことであった。
茉那は水田の悪質な手口にかかって自殺に追いやられた父の遺児で、復讐のため水田建設及び水田の不正を裏づける資料を集めていた。
それを横取りして水田に売りつけようとする左井(西村晃)は情婦でストリッパーしかも殺し屋を兼ねているユミ(柏木優子)に茉那を狙わせていた。
プロの面目にかけても素人の春彦に仕事は任せられないと殺し屋は春彦殺害を企むが、ナギサが春彦に惚れ、春彦が茉那に恋したことから事件はもつれはじめた。
殺し屋達は大上を春彦と誤って殺し、春彦は茉那を助けて水田を敵に廻すことになった。


寸評
寺山修司の脚本で篠田正浩がメガホンを取ればもう少し面白い作品になっているかと思ったが、コメディでもなくミュージカルでもなく見どころの少ない作品となっている。
逆に言えば、寺山もこの様な脚本を書いていたんだ、篠田もこんな作品を撮っていたんだということで物珍しい作品となっている。
平尾昌晃に小坂一也、おまけにデユークエイセスまで出演しているのだが、音楽のリズム感に脚本と演出がついていけていない感じである。
殺し屋グループにやたら人数がいるのだが、果たして8人も必要だったのか。
その為にそれぞれのキャラクターが全く描かれていなくて、かろうじて赤いセーターを来ている炎加代子の女殺し屋だけが存在感を示していた。
際立ったコスチュームも生かされていたとは思えないが、色彩感覚が取り柄となっているこの映画の一翼を担っていたのだろう。
ギャグとしては医者が殺し屋を兼ねていて理屈をいう所だけは面白かった。

ポップな主題歌から始まり、タイトルも役者の写真をうまくはめこんだ凝ったものになっている。
一人の少年が頭にリンゴを乗せていて、そのリンゴに向かって次々と妙な出で立ちの殺し屋らしい人物がピストルやらナイフでリンゴを撃っていく。
最後に子供が倒れ、死んだと思わせるがにやっと笑ったところでタイトル。
この時点では期待させるものがあったのだが、本筋が始まると途端にだらけてしまっている。
ただし、はみ出したような色彩感覚に加えてシャープなカメラアングルだけは最後まで健在であった。
真っ赤な夕陽や黄色や赤の原色の服を着た人物たち、俯瞰の階段や斜めの人物カットなど、点で見れば楽しくなる部分を有している。

岩下志麻は水田建設の為に自殺に追いやられた父の復讐の為に、不正の証拠を得ようと業界紙の会社で西村晃の秘書として働いているのだが、証拠集めの苦労も証拠の品も示されていないのでスリル感がなくヒロインとしての存在感が薄い。
この頃、日活の無国籍アクションがもてはやされていたから、それを茶化すようなコメディアクションをお遊びで撮ったような所があるから、本格的サスペンスの雰囲気は排除したのだろう。
団地の中を覆面をしたコスチュームの子供たちが走り回っていたりしているのもお遊びである。
日活なら宍戸錠を主演にして鈴木清順が撮っていそうな作品であるが、そうならそちらの方が断然いい出来栄えだったように思う。
水田の還暦祝いのパーティーの会場でコーラスグループのデユークエイセスが歌っているシーンは楽しい。
この頃のコーラスグループと言えばデユークエイセスとダークダックスだった。
音楽はクレジットされているから山本直純なのだろうが、作詞は誰だったのだろう。
たぶん寺山修司その人だったのではないかと想像する。
最後に川津祐介の正体が分かり、岩下志麻との恋愛物語で終わるのも安易だなあと思ってしまう。
篠田正浩と寺山修司が意気投合して撮った作品なのだろうけれど、完全な失敗作だ。

南から来た用心棒

2024-08-03 08:19:42 | 映画
「南から来た用心棒」 1966年 イタリア / フランス / スペイン


監督 ミケーレ・ルーポ
出演 ジュリアーノ・ジェンマ コリンヌ・マルシャン フェルナンド・サンチョ ロベルト・カマルディエル ロザルバ・ネリ ネロ・パッツァフィーニ
アンドレア・ボシック ピエトロ・トルディ ミルコ・エリス

ストーリー
“皆殺し団”の首領で、残虐きわまりない殺人盗賊ゴードンは、最近あいついで敢行した掠奪戦の際失った部下を補充しようと、国境に近い牢獄を襲撃し、囚人たちを連れ出した。
その囚人の中にはコルトさばきの滅法うまい男アリゾナ・コルトがいた。
南部生れの彼は一風変った性格の持主で、金のためならどんな危険な仕事でも平気でするという用心棒が稼業であった。
彼はゴードンの部下になることを拒否すると悠々と一人で去った。
そしてブラックストン・ヒルの町にやって来た。
町ではゴードンが右腕と頼むケイが銀行襲撃にそなえての偵察に余念がなかった。
だが彼は自分の素姓をサロンの老人の娘ドロレスに見破られてしまい、彼女を惨殺して姿をくらました。
ドロレス殺しの犯人がケイであると判明したのはゴードン一味の銀行襲撃のあった直後で、アリゾナはケイ殺しの役を買って出た。
謝礼金はわずかなものだったから、彼はドロレスの妹ジェーンを一夜の慰みに提供してくれるなら謝礼は数ドルでもかまわないと宣言し、彼女に承諾させると“皆殺し団”探しにとりかかった。
そして数々の危機を脱した末、遂にケイを倒したが重傷を負ってしまった。
ところが彼はゴードンの手下だが人の好い老人ダブル・ウィスキーの好意で町はずれの荒れた教会に隠れ治療することになった。
間もなく老人はゴードンが銀行から掠奪した金を横取りして来てアリゾナの前に出し、ゴードンの首と交換しようと言った。
アリゾナにとっては申し分のない金額であった。


寸評
イタリア製西部劇、通称マカロニ・ウエスタンの1本であるが、量産されたイタリア製西部劇の最大公約数的な作品である。
中には見るべき作品もあったが、ほとんどは本作のような内容なのでブームは5年くらいで終わった。
1964年に「荒野の用心棒」が大ヒットしてブームになったのだが、1969年に本家アメリカから「勇気ある追跡」、
「ワイルド・バンチ」、「明日に向かって撃て!」などが封切られたので、さすがにそれらの作品と比べると内容的に劣るマカロニ・ウエスタンは見放されたのだと思う。

「南から来た用心棒」の人公はマカロニ・ウエスタンにおける大スターであるジュリアーノ・ジェンマで、それなりの見どころを持った作品となっている。
西部劇の持つ風情や旅情といったものはなく、ひたすらアクションを追及しているのが、いかにもマカロニ・ウエスタンといった感じで、特徴がよく出ていてマカロニ・ウエスタンを語るのには適した作品だ。
始まってすぐに盗賊の集団が刑務所を襲い囚人たちを助け出す。
ダイナマイトによる爆破あり、派手な銃撃戦ありで、最初からエンジン全開と言う滑り出しだ。
ジュリアーノ・ジェンマが演じる主人公のアリゾナ・コルトは銃弾が近くに飛んできているのに平然としている不死身の男だ。
主人公は超スーパー・ヒーローなのだと教えるための登場シーンである。
彼は盗賊の一味でウィスキーとあだ名のある飲んだくれの男に助けられボスの所に行くのだが、ウィスキーはこのジャンルの映画によく登場するキャラクターである。
ボスの片腕となっているのがケイという男なのだが、とてもアリゾナの敵になることができないことも早々と描かれている。
そしてアリゾナが銀行襲撃の下見に現れたケイを見逃がしてやることで、ゴードン一味が銀行を襲い町で暴れまくることになる。
このあたりの描き方は大雑把なもので疑問が湧いてくる演出となっている。
ゴードン一味が暴れまくる様子はカメラワークなど気にしない物量作戦で描かれているのもマカロニ・ウエスタンらしいと言える。
ボスのゴードンもマカロニ・ウエスタンでは定番的なキャラクターで新鮮味はない。
マンネリともいえるが、マンネリこそがB級作品のB級作品たるゆえんでもある。

ゴードンはひどい男で、聞いていないのに返答したと言ってはその男を殺す。
酔っ払いで捕まっていただけなのにと愚痴をこぼした老人も射殺する。
頭に一発撃ち込んで止めを刺すというもので、残酷描写はマカロニ・ウエスタンの特徴でもある。
それを観客に楽しませるかのように必要以上の殺人がゴードンによってもたらされる。
銃撃戦も含めそれしかないような作品だが、それがマカロニ・ウエスタンなのだから、正にこれは雨後の筍の如く撮られた作品のお手本のような内容だ。
アリゾナは一味が奪った金は持ち主に返すと言っていたが、ゴードンにかけられた賞金25,000ドルを初め、仲間の賞金は一体どうなったのだろう。
アリゾナが取得したという雰囲気でもなかったしなあ・・・

ミスター・ミセス・ミス・ロンリー

2024-08-01 07:12:38 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2020/2/1は「ピアノレッスン」で、以下「ヒア アフター」「ビートルズがやって来る/ヤァ!ヤァ!ヤァ!」「彼岸花」「羊たちの沈黙」「瞳の奥の秘密」「ひとり狼」「陽のあたる場所」「日の名残り」「火火(ひび)」と続きました。

「ミスター・ミセス・ミス・ロンリー」 1980年 日本


監督 神代辰巳
出演 原田美枝子 宇崎竜童 原田芳雄 名古屋章 草野大悟 天本英世 三国連太郎

ストーリー
花森(名古屋章)という男に店をまかされている市雄(宇崎竜童)は、深夜帰宅途中、電柱に手錠でくくられた女をひろった。
女は千里(原田美枝子)と名乗り、そして二人の奇妙な暮らしが始まった。
ある日、二人は新聞で「北川商産カズノコ倒産、北川社長は十五億円抱え失踪」の記事を読んで、お互いに同じ企みを持っていることを感じた。
出版社に勤める三崎(原田芳雄)も下村(天本英世)と北川について話していた。
「北川は無事ヨーロッパに着きました」と言う下村に、うなずく三崎。
市雄はミスを犯し、国籍がないため店を閉めなければならなくなった。
市雄のために花森と言い争う千里。
市雄はその帰り、出会ったときと同じように、千里を手錠で電柱にくくって、捨ててきた。
その千里を、今度は三崎が拾った。
三崎が彼女を連れ帰ったとき、市雄が現われ、こうして三人は出会った。
数日後、三崎のところへ下村がやってきた。
「三崎さん、あんたがやった十五億円、全部札の番号、控えてあるそうだ。私はこの仕事から手を引く。餞別にいいネタをあげます。市雄って奴は、宗形っていう、べら棒に金を持っている男を知ってます」と話すと去っていった。
職のなくなった市雄と千里に、三崎は十五億円を使える金に換える手伝いをしないかと持ちかける。
三人は宗形(三国連太郎)を探しはじめた。
そして、千里はうまく宗形のところへ入り込んだ。
三人の罠に宗形はジワジワと落ちていく。


寸評
当時21歳の原田美枝子が原案、制作、脚本、主演まで行っているのだが、彼女をそこまで動かしたものは何だったのだろうか。
彼女の意気込みの様なものは作品からは感じ取れなかった。
話は荒唐無稽なものなのに中途半端な内容で、原田美枝子の小悪魔的な可愛さだけが残る作品だ。
主人公の心情を手書きの文字で伝える演出に驚くが、それが映画のテンポを削いでしまっている。
原田美枝子が演じる千里はいろんな男の元を転々としていて、暴力を振るわれていたのか小犬のように怯える時があるかと思えば、過去の男たちの家の合鍵を作っていて盗みに入っているというしたたかさもある女性である。
いつも鼻をすすっているなど神経質そうな面も見せ、見た目も可愛いし細身なのに巨乳というキャラクターを上手くいかせていなかったように思う。
天使のような可愛さと小悪魔のような意地悪さをもった人物、あるいは善人の一面を持ちながら悪人としての裏の顔を持つ人物。
もしかすると、原田美枝子はそのような二面性のある女を演じて見たかっただけなのかもしれない。
映画の内容よりも、どのようにしてこの映画を製作することになったのかの事情の方に興味が残った。

千里が手錠で電柱にくくられているというインパクトのあるシーンから始まるのだが、その後の展開は何が何やらわからない。
本編の大半は原田美枝子、原田芳雄、宇崎竜童の変なやりとりをダラダラと見せつけられているような印象。
彼らに絡む脇役も名古屋章がゲイの男を演じるなど個性派俳優が怪演を披露していく。
天本英世は驚くような役柄ではないが、心筋梗塞を起こしそうになると酒を飲んで治すと言う変な老人として登場するなど、物語を追っていると「もういいや」という気分になってくる。
宇崎竜童が「オカマ・・・」と言われ、「言わないで・・・」と返すシーンには笑ってしまうし、三国連太郎が立ち上がった時にオナラをして、それを原田美枝子に嗅がせて「クサイ、クサイ」と笑い転げるなど滑稽なシーンもあってコメディの要素もあるのだが、それらのシーンは全体の中で浮いてしまっている。
2時間以上も費やして描く必要があったのかの不満が残る。

本筋は強奪された15億円を巡るやり取りで、それが今迄のダラダラは何だったのかと言いたくなるほど急展開で結末に持っていかれる。
ある種のドンデン返しで、なあ~んだ、そうだったのかで終わるけれど、その醍醐味もなかった。
天本英世とあの男たちはどのような関係だったのだろう。
面白かったのは市雄を演じた宇崎竜童で、店を任されているマスターなのだが、実は彼はオカマだったということが判明した後の演技が笑わせていい味を出している。
ダウンタウン・ブギウギバンドというグループのリーダーで、ヒット曲も数多く作曲しているが、役者としてもいい雰囲気を持っている。
原田芳雄は僕の好きな俳優で、相変わらずカッコいいなと思わせた。