令和2年2月19日(水)
令和の御代最初の新年も、はや二月下旬に入り、
中共発の新型ノロウイルスの蔓延と相乗して、
「一月行く、二月逃げる、三月去る」と昔の人の言いし如く甚だ慌ただしい。
しかしながら、この慌ただしい中で、
我が国の命運に関する忘れ去ってはならぬことをここで指摘しておきたい。
それは、
先帝の御譲位と新帝の践祚及び剣璽承継から大嘗祭に至る
皇位継承の宮中行事のなかに顕現していた
我が国の「遠つ御祖の不文憲法」(井上 毅)である。
皇位の継承は、
我が国の実に最重要の国家行事であるところ、
これを律したものは、「日本国憲法」(世俗法)に記載された法ではなく、
それとは別次元にある我が国の「不文憲法」(國體法)であった。
そこで、
わが国の最重要の国家行事を律した法が、
昭和二十二年五月三日に施行された「日本国憲法」ではなかったとは、
何を意味するのであろうか。
それは、まさに「日本国憲法」は、
わが国の憲法ではないということの証左であり、
大嘗祭において明確に顕れた「遠つ御祖の不文憲法」こそ、
我が国の言葉の真の意味の憲法であるということだ。
これを社会現象という観点から言うならば、
この度の御代替わりにおいて、
「戦後体制からの脱却」を唱える安倍総理と内閣は、
その言を裏切って「戦後体制」の中に閉じ籠もり、
「戦後体制」から脱却したのは
先帝と新帝であられたということになる。
さらに、天皇が「戦後体制」から脱却されたということは、
天皇は、我が国の統治者で、
神聖にして侵すべからざる存在に戻られたということであり、
我が日本が「戦後体制」から脱却したということに他ならない。
なお、言うまでもないが、「戦後体制」とは「日本国憲法体制」のことである。
我ら日本国民は、この令和の御代替わりに実現した
この「歴史的転換」の意義を忘れてはならない。
何故なら、
これからの東アジアは、断末魔のあがきともいうべきユーラシアへの覇権拡大を狙う
軍事超大国中国共産党独裁体制の崩壊期に入り、
これは我が国にとって国難とも言える動乱であり、
この国難は、この度の「歴史的転換」がなければ克服することができないからだ。
とは言え、このことは、
実は、既に、東日本大震災の被災地において確認されていたことである。
あの東日本大震災の一千年に一度の巨大津波に襲われた被災地において、
被災地の日本国民が、
世界が驚嘆した逞しい回復への意欲と助け合いの姿を示し、
略奪や暴動の一切ない秩序を維持し得たのは、
被災地に度々行幸啓された天皇皇后両陛下がおられたからだ。
特に、
十万七〇〇〇の空前の規模となった自衛隊統合任務部隊の指揮官である
東北方面総監君塚栄治陸将は、
自衛隊松島基地に被災地激励の為に到着された天皇陛下に、
鉄兜と野戦服姿で正対して敬礼し、
陛下はその敬礼を受けられた。
この時、
自衛隊十万七〇〇〇の統合任務部隊は、
天皇陛下に忠誠を誓う「天皇の自衛隊」となって、
昼夜と寝食を忘れて救出活動に突入し、
一万九千二百八十六人の被災者を救出した。
この救出者数は、警察や消防の救出者を含む全救出者の七割近くであり、
自衛隊は圧倒的な役割を果たした。
この時、
東京の東電本社と官邸で喚いていただけの総理大臣の菅直人は、
被災地を歩くことは出来ず、
我が国の統治者ではなかったのだ。
まさに、我が国は、国の肇から、「天皇のしらす国」であり
天皇を戴くことによって危機を克服する国である。
従って、この度の御譲位による御代替わりは
来たるべき東アジアの動乱のなかで我が国を亡国から救う前提を示す
先帝と新帝による救国の尊い一手であった。
そして、
次の一手は、我ら国民に委ねられたのだ。
それは、現在の如き「戦後体制の内閣」即ち「日本国憲法の内閣」ではなく、
「日本国憲法」の無効を宣言する内閣を樹立することである。
これは、徳川幕藩体制打倒が幕藩体制内勢力では出来なかったように、
現国会議員諸侯では出来ないのだから、
よって、心ある国民は、強く奮起しなければならない。
以上の如く論じてくれば、
安倍内閣や内閣法制局と同様に驚かれる諸兄姉もおられると思うので記しておく。
我が論じてきたことは、紙に書かれた実定法が、現実に合わない時に、
国民が日々生活で実践してきているとこなのだ、と。
例えば、利息制限法の条文では、
債務者が制限利率超過部分の利息を債権者に支払ったならば、
債権者はこれを債務者に返還しなくてもよいと定めているが、
現実には返還させているではないか。
また、制限速度時速40㎞の道路を走行する車の平均速度は時速60㎞であり、
仮に制限速度40㎞で全車を走行させれば大渋滞が起こる、
というような道路は全国至るところにある。
では、この道路の適切な真実の制限速度は時速40㎞以上の何キロであろうか。
これも実定法(40㎞)が現状に合わないときに慣例法が実定法に優越する例である。
以上は、現在の我々の日常で起こっている例であるが、
国史上最大の例は、
鎌倉幕府執権北条泰時による関東御成敗式目の制定である。
執権北条泰時は、
弟の京都六波羅探題の北条重時に
その制定の経緯を手紙で次のように示している(現代文)。
「京都には律令という法があるらしいが、
難しくて、我らの中に読める者はいないから知らない。
それ故、我らが、そのような律令で裁かれれば、
山に入って猟師の仕掛けた穴に嵌まるようなことになる。
従って、我らは京の律令ではなく、
昔からの頼朝殿が為された裁定(慣例法)に従って生きてゆくことにする。」
そして、泰時は、
聖徳太子の十七条憲法を基礎にして、
その三倍の五十一条からなる関東御成敗式目を制定した(一二三二年)。
これが、実に日本的改革というものだ。
よって、現在の我らも、
「昭和二十二年五月三日に、
GHQのアメリカの二十五人の職員がマッカーサー総司令官の命令により書いた
『日本国憲法』が施行されたが、
国家の危機において、こんなもので我が国が運用されれば国が滅びる。
よって、我らは、アメリカ人が勝手に書いたこんなものではなく、
明治の御代に、
明治天皇の定められた定めによって国家に迫った危機を克服してゆく」
と思い決しなければならない。
次に、大日本帝国憲法起草者である井上 毅の言葉を記しておく。
井上 毅は、
天保十四年(一八四四年)に熊本藩士として生まれ、
幕末にフランス語を習得し、明治五年から約一年間、欧州に渡って
ローレンツ・シュタインやルドルフ・グナイストらにフランス法やドイツ法を学び、
帰国して、我が国の古事記、日本書紀そして万葉集をはじめとする古典研究に没頭して
大日本帝国憲法を起草した卓越した人物である。
「法を議するもの、まさに務めて國俗習慣を考え、慎重してもって参酌すべし、
にわかに他国に仮り、固有の旧制を紛更すべからざるなり」(「治罪法備考」)
「我が国の憲法は欧羅巴(ヨーロッパ)の憲法の写しにあらずして、
すなわち遠つ御祖の不文憲法の今日に発達したるものなり」(「言霊」)
この井上 毅の言葉を読んだ上で諸兄姉に聞きたい。
現在の「日本国憲法」は、
我が国の歴史と伝統とは無縁の欧露巴の憲法の写しにあらずして、
何であろうか?
それは「写し」どころか、
はじめからアメリカ人に書いてもらったものにあらずや!、と。
最後に、昭和五十四年三月に、
「大日本帝国憲法制定史」(明治神宮 編)が刊行されるにあたり
大日本憲法制定史調査委員長
大石義雄京都大学名誉教授が記された「跋文」の要所を紹介する。
「大日本帝国憲法は、
明治天皇が皇祖皇宗の遺訓を体して欽定されたものであるから、
大日本帝国憲法の精神的基礎を成す日本思想を理解することなくしては、
大日本帝国憲法の制定史を語ることはできないのである。
・・・
大日本帝国憲法は、現憲法から見れば旧憲法である。
しかし、社会は刻々として変わる。
占領目的達成の手段として作られた現憲法も、
いつまでもつづくというわけにはゆかないのであり、
いつかは変わらなければならないだろう。
その時は、
大日本帝国憲法の根本精神が
新憲法の名においてよみがえって来るだろう。
この意味において、
大日本帝国憲法は、
これからの日本の進路を示す光として今も生きているのである。」
以上の、大石義雄京都大学名誉教授の「跋文」を読んで、
上記の、井上 毅以来の思想が厳然と維持されていることを感じる。
しかるに、我が学生時代を振り返れば、
京都大学においても、
宮沢義俊東京大学教授の書いた「憲法」を教科書の如く扱っていた。
というよりも、
国家公務員上級試験や司法試験の受験生においては、
合格するには宮沢義俊の「憲法」を学ぶことが常識となっていた。
つまり、出題は、宮沢義俊の「憲法」つまり東京大学から出るからだ。
しかし、この宮沢義俊は、
戦前は
「大日本帝国憲法」を権威あるものとして学生に教えて
東京帝国大学教授となり、
戦後は、
東京大学教授として「昭和二十年八月十五日クーデター説」を唱えて、
GHQの書いた「日本国憲法」を権威あるものとして教えて
GHQのWGIP(ウォー ギルト インフォメーション プログラム)を流布し、
憲法学会の重鎮となり、生物的な安楽と勢力拡張に励んだ曲学阿世の象徴である。
その結果、戦後は、この曲学阿世の東京大学教授に盲信した連中が、
我が国の官僚機構の中枢を占めることになった。
従って、
現在の政界と官界のエリート層は、
今もGHQに迎合することにおいて頑迷固陋と見なすべきだ。
その上で、我々は、
先にノーベル生理学・医学賞を受賞した本庶 佑京都大学名誉教授が、
研究の基本姿勢として
「教科書には嘘が書いてあると思え」
と発言したことに大いに共感しなければならない。
理科系にして斯くの如くならば、
文化系、特に法学部の教科書などは、
全編、これ嘘で満ちあふれていると思え。
よって、
来たるべきアジアの動乱を迎えるにあたり、
従来の戦後教科書を奉るのではなく、
戦後は「嘘で固められた時代」と見抜き、
ただひたすら、
戦後、ことさらに軽視された我が国の歴史と伝統を尊重し、
今こそ「遠つ御祖の不文憲法」の力を確信し、
天皇を戴く、天皇のしらす国である我が国家を
富岳の安きに置く為の努力を尽くし、
以て、
国民としての使命を果たさねばならない時が来ている。