令和1年8月28日(水)八月二十日の産経新聞朝刊の「正論」の末尾に、京都大学名誉教授の佐伯啓思氏が、カネをばらまいて株価を上げ、訪日外国人がいくらカネをおとしてくれたと喜び、日米関係の強化で平和を守ればよいという『現実』をそのまま擁護も賛美もするわけにはいかないのが『保守』であろう。令和元年は戦後74年である。この時代は、ほんとうに『保守』が問われる時代となろう。と書かれている。そこで、この八月二 . . . 本文を読む
令和1年8月16日(金)八月十五日の正午の時報とともに、靖國神社の一の鳥居と二の鳥居の中間点で直立して英霊に黙祷し、午後三時半に、参集殿前に集まった百七十名の仲間、同志とともに昇殿参拝をさせて頂いた。昇殿参拝前の参集殿での待ち時間に、田母神俊雄元航空幕僚長とともに、同志に訴えることができた。田母神俊雄閣下は、次の通り述べた。令和の御代の初めて迎える八月十五日に、安倍内閣総理大臣は、靖國神社に参拝す . . . 本文を読む
令和1年8月13日(火)「日本国憲法」は、昭和二十一年二月のたった九日間に、GHQ民政局の二十五人の職員によって起草され、同年十一月三日に公布され、翌二十二年五月三日に施行されたが、これだけが、ポツンと独立してある文書ではない。日本国憲法は、まずポツダム宣言と、それに続いて、日本を占領統治していた連合国軍最高司令官総司令部General Headquarter(GHQ)又はthe Supreme . . . 本文を読む
令和1年8月6日(火)草地貞吾先生は、陸軍士官学校三十九期、明治三十七年五月に生まれ平成十三年十一月に九十七歳で亡くなられた。先生は、昭和二十年八月十五日、関東軍作戦参謀、帝国陸軍大佐として、満州で作戦行動停止の大陸令を受け、同年九月六日、満州からソビエトに連行抑留され、十一年後の同三十一年十二月二十六日に船で舞鶴に帰還された。その時、舞鶴の祖国日本の土を踏んだ先生は、声を張り上げて「天皇の國に帰 . . . 本文を読む
令和1年8月2日(金)政府は、本日(2日)、閣議で、輸出優遇措置が適用される「ホワイト国」から韓国を除外する決定を下した。この決定を間髪を入れずにしていたら、韓国が騒ぐ暇が無くもっと速く終わったのにと思うが、まあ、これでよし。さすが、担当の通産省(今は経産省)だ。外務省でなくてよかった。実は、今まで、韓国が騒ぎ、我が国がその韓国の国民感情に配慮して一歩後退というのが習い性になていたので一抹の不安が . . . 本文を読む