令和1年8月13日(火)
「日本国憲法」は、
昭和二十一年二月のたった九日間に、
GHQ民政局の二十五人の職員によって起草され、
同年十一月三日に公布され、
翌二十二年五月三日に施行されたが、
これだけが、
ポツンと独立してある文書ではない。
日本国憲法は、
まずポツダム宣言と、
それに続いて、
日本を占領統治していた連合国軍最高司令官総司令部
General Headquarter(GHQ)
又はthe Supreme Commander for the Allied
Pawers(SCAP)と、
連合国軍の実質的代表者であるアメリカ参謀本部の
次の一連の措置と指令と不可分な文書として位置づけられねばならない。
(1)昭和二十年七月二十六日、ポツダム宣言第6項
・「日本国民を欺瞞して之をして世界征服の挙に出ずるの過誤を犯させしめたる者の
権力及び勢力は永久に除去せざるべからず」
(2)検閲開始・・・日本国憲法施行以降も実施される
・昭和二十年九月十日、「言論及び新聞の自由に関する覚書」
同九月二十一日、「日本新聞遵則に関する覚書」、プレスコード30項目
同十月九日、朝日、毎日、読売、東京産業新聞への事前検閲開始
(3)プロパガンダ開始
・同九月二十二日、参謀本部からマッカーサーへの指令、
「日本国民に苦境を招来したのは陸海軍指導者及び協力者であることを徹底的に知らせること」
・同十月二日、一般指令、
「日本国民に戦争に対する罪、苦難に対する責任は、軍国主義者にありと徹底的に知らしめること」
・同十二月八日、GHQの「太平洋戦争史・・・奉天からミズーリ号降伏調印まで」、
全国の新聞に連載開始以後十回続く。
プレスコードにより反論、批判、検証など一切許されず。
・同十二月十五日、神道指令、
「国家神道、神社神道に対する
政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止に関する件」、
併せて「大東亜戦争」や「八紘一宇」の用語の使用禁止。
以上の、
GHQによる我が国内の言論の検閲と
「太平洋戦争史」掲載(プロパガンダ)の目的は、
まず、戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付け(WGIP)、
この度の戦争の図式を、
対アメリカではなく、日本の軍国主義者と日本国民の間の戦いにすり替え、
日本人の憎悪のエネルギーを自国の軍国主義者と旧秩序の打倒と破壊に向けさせ、
戦争の惨害、無差別爆撃や原爆投下は、総て軍国主義者が悪かったからとすることにある。
昭和二十年九月から、
我が国の全マスコミと全国民の親書、電信、電話が、
このGHQのプロパガンダに反する言論を禁止するという検閲を受けていた。
続いて同年十月からは、
朝日、毎日、読売、東京新聞などの日刊紙は事前検閲が開始されたのだ。
事前検閲で、
WGIP(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付ける)はさらに強制され、
被検閲者であるマスコミは、日を重ねるにつれて、WGIPの網に絡め取られて、
自らタブーを受け入れ、
自分の「信念」に基づいて自国民の心にWGIPの罪悪感を植え付けるようになり、
そのタブーを自己増殖させていくようになった。
この自己増殖は、現在も依然として続いているのだ。
これが、朝日新聞が長年にわたって従軍慰安婦強制連行を書き続けた根底にある病理である。つまり、我が国の言語空間は、未だ、GHQの検閲下にある。
従って、未だ検閲下にある者は、
これから記す、日本国憲法無効という事実に腰を抜かす。
マスコミ人は、
自分の腰がどうなっているかを点検して、
自分が検閲下にあるかどうか、判断して頂きたい。
さて、
先ず第一に、日本国憲法が無効だということは、
GHQ自身が「先行自白」している。
GHQのプレスコードは、1から30項目まであるが、
冒頭の1から4までは次の通りだ。
1、SCAPに対する批判
2、極東国際軍事裁判に関する批判
3、GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
4、検閲制度への批判
日本人なら、
この検閲項目の3と4を見て憤懣の情が上がってくるのが普通だ。
これが、小学校で日本国憲法として教えられているのかと思うと腹が立つではないか。
私自身もそうだった。
小学校の時、日本国憲法は日本人が書いたものと思い込んだ。
それが、今も続けられていると思うと、無念ではないか。
憲法という国家の重要事項に関して、
ウソを子供に教え続ける国に未来はないぞ。
次に、日本国憲法がGHQによるWGIPの為の文書であることを指摘する。
まず、前文の
「日本国民は・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し・・・」とは何だ。
これは、先の邪悪な戦争を起こしたのは日本政府を占拠した軍国主義者である
というWGIPのプロパガンダ論理の前提そのものの表明ではないか。
さらに前文の
「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」とは、これまた何だ。
先の一文と併せて読めば、
国の主権者である日本国民のつくる日本の政府は、
国民がマッカーサーが言うように少々低能であるから国民に戦争の惨禍を与えるので、
我々は自分の政府よりも平和を愛する諸国民を信頼して安全に生きていきます、
と言うとるのだ。
こんなことを憲法に書く馬鹿が何処にいる。
アメリカ人が書いたから、こんな作文が書けるのだ。
次に、九条。
「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」
「国の交戦権は、これを認めない」
これこそ、前文と併せて
日本の「国家としての存在」を否定した屈辱的条項である。
この九条に「自衛隊を加える」という改正をするだと。
休み休み言え。
自衛隊員は、この炎天下でも訓練を続けている。
何のための訓練か?
言わずと知れた、緊急事態に敵と交戦して祖国を守るためである。
ところが、
「交戦権はこれを認めない」という条項の次に、自衛隊を明記されれば、
自衛官は交戦して敵に打ち勝つ為の訓練ができなくなるではないか。
結局、これは
この九条を起案した元GHQ民政局のチャールズ・ケーディスが
晩年に産経新聞の古森義久記者に正直に言ったように、
日本を永久に武装解除したままに止めおくために書かれた条項である。
大学の学部で学ぶ憲法の教科書においては、
日本国憲法の特色は、
この九条の平和主義と共に人権保障にあると書かれている。
しかし、検閲によって日本国民の中核的人権である言論の自由を抑圧している者が書いた人権規定など無条件で受け入れてはいけない。
人権規定には、
九条以上の毒がしのばせてあるのだ。
それは、日本人を、
歴史と伝統と家族から遊離させて砂つぶのようにバラバラにする毒である。
アメリカ人は、砂つぶのような存在が人権が保障された状態だと思っているのか。
そうではないだろう。
祖国との絆、家族との絆、友との絆を自覚する存在であらねばならない。
アメリカ人は学校で星条旗に忠誠を誓う式を行う。
しかし、
我が国では人権規定のお陰で、日章旗に忠誠を誓う式を学校で行えない。
我が国は、親が死ねば、相続問題で兄弟喧嘩しろという人権規定をもっている。
きりが無いのでこれ以上書かないが、
我が国を占領統治していたGHQが
プレスコード3と4に隠れて密室で書いた日本国憲法は、
我が国の憲法としては無効であると、再度、強調しておく。
日本国民が北朝鮮に拉致され、領土が韓国に占拠され、
その国民を救出できず、その領土を奪還できず、打ち過ぎてきたが、
これら総ての課題に対して、
我が国が無為にして不作為を続けている元凶は、
無効な日本国憲法に依存しているからである。
令和の御代に遭遇する国際情勢の激変のなかで襲ってくる国難においては、
我々の目の黒いうちに、
この憲法を守って国を滅ぼすのか、
この憲法を破棄して国を守るのか、
この二者択一を迫られる。
その時、憲法を破棄して国を守るために、
憲法無効論が救国の戦略論としてあることを心に刻んで頂きたい。
八月十五日の靖国神社の英霊は、
日本国憲法などご存じない。
もし英霊が、
日本国憲法の素性、書いた者と書いた動機を知り、
戦後、現在に至るまで
我々がこの日本国憲法を日本の憲法であると思い込んでいる情況を知れば、
何と情けない奴らなんだと思われるだろう。
戦地から生きて帰れた兵士が、内地の土を踏んで、
進駐軍の兵士に寄り添って歩く日本人女性を見て愕然としたように、
英霊が、アメリカ人が書いた日本国憲法を、憲法と思い込んでいる我らを見れば、
英霊から、あいつらパンパンと同じだと思われても仕方が無い。
八月十五日、
靖国神社の英霊の前で、
日本国憲法は無効だと宣言しよう。