欧州の情勢は「複雑怪奇」
無念なるかな!
強い日本は存在せず!
安倍晋三前総理がウラジーミルと呼んでいた男、
ロシアの大統領プーチンが今やっていることは
ロシア(その時はソビエト)のスターリンが、
八十年前にやったことだ。
ロシアの西はバルト海に面し、東は太平洋に面している。
従って、スターリンは
東で軍事行動を起こすときは西の平穏を確保し、
西で軍事行動を起こすときは東の平穏を確保した。
日ソの国境紛争から始まった全面衝突であるノモンハン事件は、
一九三九年五月に勃発し九月に終結する。
日本軍の兵力は、新設の第23師団二万人
ソ連軍の兵力は、
ジューコフ将軍が率いる二十三万人の機械化部隊
日本では未だにノモンハン事件では
日本軍がソ連軍に一蹴され全滅したように言われているが、
内実は、その反対で
二万の日本軍が二十三万のソ連機械化部隊を壊滅させたのだ。
破壊された戦車・・・日本軍29台、ソ連軍800台
撃墜された戦闘機・・・日本軍179機、ソ連軍1673機
指揮官のジューコフ将軍は、戦後、西側の記者に、
最も苦しかった戦闘は何か?
と質問され、
それは、日本軍と戦ったノモンハンでの戦闘だ、と答えた。
東のノモンハンでの虎の子の機械化部隊の大損害に驚いたスターリンは、
西の平穏を確保するために、
ノモンハンで戦闘中の八月二十三日、
ドイツと不可侵条約(モロトフ・リッペントロップ協定)を締結する。
日本では、驚いて、
「欧州の情勢は複雑怪奇」との声明を発して平沼内閣が総辞職するが、
実は、スターリンを独ソ不可侵条約に向かわせたのは、
ノモンハンで勇戦奮闘してほとんど戦死した二万の日本軍兵士であった。
さらに言うならば、
彼ら昭和十四年にノモンハンの草原で戦没した将兵は、
スターリンの神経に、日本軍の精強さを強烈に刻みつけ、
六年後の昭和二十年八月まで、スターリンに日本軍への攻撃を控えさせ、
結果として、北海道を守ったのだ。
さて、西で独ソ不可侵条約を締結して
東のノモンハンに加えて
西での戦争という東西両面戦争を回避したスターリンは、
ノモンハン停戦の翌年一九四一年四月、
日本との間で日ソ中立条約を締結する。
この日ソ中立条約によって、
東での戦争を回避したスターリンは、
二ヶ月後の六月二十二日に始まる独ソ開戦に備える。
戦後、この独ソ開戦を回顧して、
イギリスのチャーチルは、次のように言った。
「この時、東から日本がソ連に攻め込んでいれば、
第二次世界大戦において、
日本が勝者になる唯一にして最大の好機だった。」
そこで、
チャーチルに加えてもう一人、ユーラシアの西側で
欧州の戦闘に東の日本の参加を視野に入れた指導者がいることを指摘したい。
その人物は、フィンランドの英雄グスタフ・マンネルハイム将軍だ。
彼はロシア軍の騎兵将校として日露戦争の奉天会戦に参加し、
小国でも団結すれば大国に勝てると確信を持って祖国フィンランドに帰り、
ロシアからの独立闘争を始める。
そこにロシア革命が勃発した時、
マンネルハイムは、
ボルシェビキの本質は「暴力と無秩序」と見抜き、
実現はしなかったが、
西のフィンランドと東の日本で
ユーラシアにおいてボルシェビキを挟撃しようとした。
さて、話を現在に戻したい。
東方を向いたプーチンの視野には、
スターリンが見ていたような「強力な日本」はない。
従って、プーチンは、日本は眼中になく、
北京の冬期オリンピックを好機としてその開会式に出席し、
中共の習近平に、
「中国は一つ」
「台湾は中国の一部」
「台湾独立反対」
という最大限のオベンジャラを言って東方の平穏を確保し、
現在、西のウクライナ国境に十万のロシア軍を展開させている。
これ、スターリンの行動パターンと同じだ。
従って、プーチンは、「やる気」である。
但し、「何処までやるか」は、分からない。
ロシアは欧州のガス輸入の四十%を供給している(ドイツは六十%)ので、
欧州とロシアは相互依然関係にある。
しかし、現在の日本は、
今、ユーラシアの西で起こっている事態が、
東でも起こると覚悟を決めねばならない。
則ち、
今、プーチンがウクライナ国境でやっているのと同じことを
近い将来、習近平が台湾と尖閣・沖縄周辺でやり始める。
その時、
バイデン大統領のアメリカは、
去年のアフガニスタン、
現在のウクライナのように
早々にアメリカ軍を沖縄から撤退させるだろう。
我が国を取り巻く国際情勢の流れは
「強い日本」
の出現を要求している!
ウクライナを見ていて、
このことを強烈に感ずる日々だ。
西村 真悟FBより