平成29年8月10日(木)
八月に入った一日から十五日の日本武道館における全国戦没者慰霊祭の間に、
我が国の言語空間に充満する「空気」を、
我が国を占領統治したGHQ(連合軍総司令部)が、
執拗に大規模に仕掛けた洗脳工作であるWGIP(日本が行った戦争は犯罪であり悪である)と無縁ではないと指摘した。
この指摘は、
スイス政府が全スイス国民に配布しているスイス政府編の冊子「民間防衛」による。
その冊子「民間防衛」(2009年5月27日新装版第23刷)の
「占領軍の洗脳工作」
という項目の冒頭部分は次のように書き始められている(288ページ)。
今や占領軍は我が国の全土を手に入れた。・・・
彼らはあるときは残忍なまでに厳しく住民を痛めつけ、
あるときは反抗する住民を手なずけようとして、約束や誓いを乱発する。
言うまでもなく、彼らに協力する者が、
どこでも我が国の行政組織の主要ポストを占めていて、
すべてのわれわれの制度を改革してしまおうと占領軍に協力している。
裏切り者にまかせられた宣伝省は、あらゆる手段を用いて、
われわれに対し、われわれが間違っていたことを呑み込ませようと試みる。・・・
歴史の教科書の改作の作業も進められる。・・・
教科書は、勝利を得たイデオロギーに適応するようにつくられる。・・・
新聞やラジオ、テレビなどが、直ちに宣伝の道具として用いられる。・・・
この箇所を最初に読んだとき、スイス政府は、
ドイツが占領統治した欧州諸国で何をしたか、以上に、
アメリカが占領統治した日本で何をしたかを詳細に研究したと直感した。
つまり、スイス政府は、ドイツの失敗例ではなく、
「絶好の成功例」である「アメリカ軍の日本占領」を研究して、
このアメリカ流の巧妙な洗脳工作から
スイス国民を守るために「民間防衛」を書いたのである。
さて、本日は、七十二年前の八月十日午前二時二十分、
大東亜戦争の停戦つまり御前会議でのポツダム宣言受諾の決定、
即ち、御聖断がなされた日であり、区切りの日なので、
現在の「空気」が何に由来するか指摘しておきたい。
私の判断は、
この現在の「空気」は、明らかに、
GHQの洗脳工作WGIPに由来しその枠内のものであるということだ。
洗脳工作は、未だ生きて機能している。
八月六日の広島への原子爆弾投下の日、
NHKは原爆投下時刻の午前八時十五分まえから
広島の爆心地の人々の動きや慰霊式典の様子を実況中継していた。
そのNHKは同日の夕刻時に、
連合国が我が国を裁いた「東京裁判」のNHK制作のドキュメンタリー映画を放映していたのである。
私は、八月六日の朝の八時十五分、黙祷し、
夕方帰宅してNHKの「東京裁判」を途中から観た。
そのドキュメンタリー映画の視点は、
徹底して裁く側、即ち連合国のものであり、
我が国の東条英機以下のいわゆるA級戦犯は
あくまで裁かれる側、即ち悪をなした被告人として構成されていた。
この日は、
アメリカ軍が人類史上最初の原子爆弾を広島に投下して
無辜を大量に殺傷した日である。
朝、この無辜の犠牲者に黙祷したこの同じ日の夕刻に、
アメリカによる原爆投下や東京大空襲という非戦闘員の大殺戮には一切触れず、
ただ、日本側の指導者を罪人として裁く裁判劇をNHKが放映するとは何事か。
アメリカが作成した映画ではなく、
日本国民からの受信料で成り立つNHKが、
原爆投下の日に、原爆投下を封印した裁判劇を制作し放映するとは何事か。
また、原爆によって苦しみ亡くなっていった無辜の犠牲者が、
最後に何を言ったのであろうか。
その被爆直後に被爆地に入った人々が描いたむごたらしい原爆の絵は報道された。
しかし、亡くなっていく人々が、
最後に何を言いのこしたのか、
我々に何を訴えたかったのか、
その生の声はかき消されているのではないか。
三代目の江戸屋猫八(大正十年生)さんは、
昭和十七年に陸軍に招集されてラバウルや北千島を転戦し、
昭和二十年八月六日、広島の宇品で兵長として軍務中に被爆した。
その晩年の猫八さんが、救援のために被爆直後に爆心地に入った時に、
道ばたに横たわり亡くなってゆく人々から異口同音に言われたことを語っていた。
それは、
「兵隊さん、兵隊さん、仇をとってください」
という言葉だった。
私は、猫八さんがこの体験談を語ったとき、
その「兵隊さん、仇をとってください」
という言葉を自分自身が直接聞いたような思いがして忘れられない。
また、違う角度から感じる違和感を申したい。
この時期に我が国のマスコミと、
それによって醸成される空気は、
広島と長崎の原爆のすさまじさを伝え続けるのであるが、
七十二年前ではなく、
まさに今!
それを、断じて繰り返させないという具体的方策は何か、
今の空気は、この痛切な問題を封印して、見つめることを回避しているのではないか。
今現在、我が国のすぐ隣の朝鮮半島北部にある北朝鮮は、
前に東京を火の海にすると言い、
さらに今はワシントンをも火の海にすると恫喝しながら、
核弾頭ミサイルを開発中の独裁国家である。
七十二年前に核を落とされた日に、
断じて三度目の核を我が国に落とさせないとの決意を表明し、
如何にしてそれを実行するか、
国民に問いかけるのかマスコミの使命であり、
その具体的方策を国民に提示するのが政治の使命ではないか。
しかも、我が国が、この方策を鮮明に打ち出すことは、
昭和天皇が、終戦の詔書で明確にされた
「人類の文明を破却から守る」
ことである。
七十二年前の原子爆弾投下の直後に、
これを「人類の文明を破却するもの」
と見抜かれた国家元首は、
世界の中で昭和天皇だけだ。
ここに、落とした側の大統領トルーマンとは天地の違いがある。
従って、我が国は、
+昭和天皇の御明察に従い、
「人類の文明を破却から守る」ために、
東アジアで断じて核を使用できなくする体制を断固実現しなければならない。
以上、八月に入り、急に忙しくなったので、
マスコミに目を通すこと不十分であるが、あえて思いを記した次第。
諸兄姉、
ことのほか暑い日々、どうかお体をご自愛ください。
西村眞悟の時事通信より。
八月に入った一日から十五日の日本武道館における全国戦没者慰霊祭の間に、
我が国の言語空間に充満する「空気」を、
我が国を占領統治したGHQ(連合軍総司令部)が、
執拗に大規模に仕掛けた洗脳工作であるWGIP(日本が行った戦争は犯罪であり悪である)と無縁ではないと指摘した。
この指摘は、
スイス政府が全スイス国民に配布しているスイス政府編の冊子「民間防衛」による。
その冊子「民間防衛」(2009年5月27日新装版第23刷)の
「占領軍の洗脳工作」
という項目の冒頭部分は次のように書き始められている(288ページ)。
今や占領軍は我が国の全土を手に入れた。・・・
彼らはあるときは残忍なまでに厳しく住民を痛めつけ、
あるときは反抗する住民を手なずけようとして、約束や誓いを乱発する。
言うまでもなく、彼らに協力する者が、
どこでも我が国の行政組織の主要ポストを占めていて、
すべてのわれわれの制度を改革してしまおうと占領軍に協力している。
裏切り者にまかせられた宣伝省は、あらゆる手段を用いて、
われわれに対し、われわれが間違っていたことを呑み込ませようと試みる。・・・
歴史の教科書の改作の作業も進められる。・・・
教科書は、勝利を得たイデオロギーに適応するようにつくられる。・・・
新聞やラジオ、テレビなどが、直ちに宣伝の道具として用いられる。・・・
この箇所を最初に読んだとき、スイス政府は、
ドイツが占領統治した欧州諸国で何をしたか、以上に、
アメリカが占領統治した日本で何をしたかを詳細に研究したと直感した。
つまり、スイス政府は、ドイツの失敗例ではなく、
「絶好の成功例」である「アメリカ軍の日本占領」を研究して、
このアメリカ流の巧妙な洗脳工作から
スイス国民を守るために「民間防衛」を書いたのである。
さて、本日は、七十二年前の八月十日午前二時二十分、
大東亜戦争の停戦つまり御前会議でのポツダム宣言受諾の決定、
即ち、御聖断がなされた日であり、区切りの日なので、
現在の「空気」が何に由来するか指摘しておきたい。
私の判断は、
この現在の「空気」は、明らかに、
GHQの洗脳工作WGIPに由来しその枠内のものであるということだ。
洗脳工作は、未だ生きて機能している。
八月六日の広島への原子爆弾投下の日、
NHKは原爆投下時刻の午前八時十五分まえから
広島の爆心地の人々の動きや慰霊式典の様子を実況中継していた。
そのNHKは同日の夕刻時に、
連合国が我が国を裁いた「東京裁判」のNHK制作のドキュメンタリー映画を放映していたのである。
私は、八月六日の朝の八時十五分、黙祷し、
夕方帰宅してNHKの「東京裁判」を途中から観た。
そのドキュメンタリー映画の視点は、
徹底して裁く側、即ち連合国のものであり、
我が国の東条英機以下のいわゆるA級戦犯は
あくまで裁かれる側、即ち悪をなした被告人として構成されていた。
この日は、
アメリカ軍が人類史上最初の原子爆弾を広島に投下して
無辜を大量に殺傷した日である。
朝、この無辜の犠牲者に黙祷したこの同じ日の夕刻に、
アメリカによる原爆投下や東京大空襲という非戦闘員の大殺戮には一切触れず、
ただ、日本側の指導者を罪人として裁く裁判劇をNHKが放映するとは何事か。
アメリカが作成した映画ではなく、
日本国民からの受信料で成り立つNHKが、
原爆投下の日に、原爆投下を封印した裁判劇を制作し放映するとは何事か。
また、原爆によって苦しみ亡くなっていった無辜の犠牲者が、
最後に何を言ったのであろうか。
その被爆直後に被爆地に入った人々が描いたむごたらしい原爆の絵は報道された。
しかし、亡くなっていく人々が、
最後に何を言いのこしたのか、
我々に何を訴えたかったのか、
その生の声はかき消されているのではないか。
三代目の江戸屋猫八(大正十年生)さんは、
昭和十七年に陸軍に招集されてラバウルや北千島を転戦し、
昭和二十年八月六日、広島の宇品で兵長として軍務中に被爆した。
その晩年の猫八さんが、救援のために被爆直後に爆心地に入った時に、
道ばたに横たわり亡くなってゆく人々から異口同音に言われたことを語っていた。
それは、
「兵隊さん、兵隊さん、仇をとってください」
という言葉だった。
私は、猫八さんがこの体験談を語ったとき、
その「兵隊さん、仇をとってください」
という言葉を自分自身が直接聞いたような思いがして忘れられない。
また、違う角度から感じる違和感を申したい。
この時期に我が国のマスコミと、
それによって醸成される空気は、
広島と長崎の原爆のすさまじさを伝え続けるのであるが、
七十二年前ではなく、
まさに今!
それを、断じて繰り返させないという具体的方策は何か、
今の空気は、この痛切な問題を封印して、見つめることを回避しているのではないか。
今現在、我が国のすぐ隣の朝鮮半島北部にある北朝鮮は、
前に東京を火の海にすると言い、
さらに今はワシントンをも火の海にすると恫喝しながら、
核弾頭ミサイルを開発中の独裁国家である。
七十二年前に核を落とされた日に、
断じて三度目の核を我が国に落とさせないとの決意を表明し、
如何にしてそれを実行するか、
国民に問いかけるのかマスコミの使命であり、
その具体的方策を国民に提示するのが政治の使命ではないか。
しかも、我が国が、この方策を鮮明に打ち出すことは、
昭和天皇が、終戦の詔書で明確にされた
「人類の文明を破却から守る」
ことである。
七十二年前の原子爆弾投下の直後に、
これを「人類の文明を破却するもの」
と見抜かれた国家元首は、
世界の中で昭和天皇だけだ。
ここに、落とした側の大統領トルーマンとは天地の違いがある。
従って、我が国は、
+昭和天皇の御明察に従い、
「人類の文明を破却から守る」ために、
東アジアで断じて核を使用できなくする体制を断固実現しなければならない。
以上、八月に入り、急に忙しくなったので、
マスコミに目を通すこと不十分であるが、あえて思いを記した次第。
諸兄姉、
ことのほか暑い日々、どうかお体をご自愛ください。
西村眞悟の時事通信より。