皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ各員一層奮励努力セヨ

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相模原殺害事件が「国風」の再興を促している。

2016年08月27日 | 日本・国士
平成28年8月27日(土)

 八月二十六日は、
 相模原の心身障害者保護施設で発生した十九人殺害事件から一ヶ月が経過した日だ。
 七月二十六日未明の殺害事件発生の報道に接して心に浮かんだのは
 犯人に対する怒りとともに、
 障害者として生きた三歳年上の亡くなった兄のことだった。
 それから、兄を思い出しながら一ヶ月が経って八月二十六日を迎えた。
 兄は、昭和二十年八月二十六日に、
 母の疎開先の奈良二階堂で生まれた。
 また、
 八月八日に「お言葉」を発せられた天皇陛下は、
 如何ばかり、この事件にお心を痛められたことであろうか、と思い至るのである。
 
 「事にあたっては、
 時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、
 思いに寄り添うことも大切なここと考えて来ました。」
 
 とおっしゃった天皇陛下は、
 そのお言葉通り、
 今まで、皇后陛下とともに、
 北海道から九州までの災害被災地に赴かれて被災者を励まされ、
 硫黄島、サイパンそしてペリリューの玉砕の島において慰霊され、 
 そして、常に、
 障害をもつ人々や高齢者を慰め励まされてこられた。
 両陛下の全国への行幸啓のご様子を知らせるテレビ画面には、
 いつも両陛下が各地の障害者施設や高齢者施設を訪問され、
 入所者を慰め励まされる情景が映っていた。
 これは、お言葉にある、
 「天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務め」
 を果たされるお姿だった。
 天皇陛下は、障害者を思い、障害者のために祈る、ことを
 天皇として大切な務めとされている。

 この天皇陛下の国において、
 障害者は社会にとって無用のもので経費がかかるから抹殺してもよい、
 というような相模原の殺人がなされたことを如何に受け止めるべきであろうか。
 
 まず結論を言う。
 この犯行の依って来たるところは、
 天皇陛下のもとで全国民が等しく家族であるという
 「国風」の衰頽、
 この一点である。
 
 思えば、戦後の我が国を占領統治したGHQ(連合軍総司令部)の方針こそ、
 我が国の「国風」を衰頽させて日本を日本でなくすことであり、
 その為にGHQは、「憲法」と「教育」を造りかえたのである。
 つまり、マインド・コントロールだ。
 やはり、この当然の帰結として、
 この度の相模原の十九人の殺害が起こったのだ。

 ナチスには、優秀なゲルマン民族を残すために
 障害者を「除去」するという選民思想があった。
 従って、相模原で障害者十九人を殺害した二十六歳の犯人は、
 このナチスの選民思想に従って犯行に及んだ。
 という報道もなされている。
 しかし、違う。
 この度の犯行は、
 ナチスのような外来思想が国内に入ったからとか
 反対に我が国内では欧米の人権思想が未成熟だからとかではなく、
 
 我が国の内なる歴史と伝統から生み出されてきた
 「国風」が衰頽したからだ。
 
 その「国風」とは、
 天皇のもとで、全国民が等しく家族であり、
 天皇は、家族である国民を思い、
 国民のために祈られることを務めとされている、
 ことから醸成されてきたものである。
 つまり、我が国においては、
 天皇のもとにある全国民は等しく大切なのだ。
 それ故、我が国には奴隷がなく、
 古代に編纂された万葉集には、
 天皇から果ては無名の兵士さらに乞食までの歌が等しく並べられているではないか。

 この「国風」の衰頽は、
 戦後の「憲法」と「教育」のもとでの「公の意識」の喪失と
 個人主義=拝金主義のなかで徐々に進んできた。
 「憲法」の人権思想からすれば、
 家族の絆は、個人の人権(自由)の抑制要因であるり、
 出産と子育ては女性の人権の負担要因であり、
 新小学校一年生に入学式で国歌「君が代」を歌わせることは
 一年生の思想信条の自由の侵害となる。
 同時に、個人主義=拝金主義によって、
 かつては働く仲間の家族のような運命共同体であった会社は、
 労力と賃金の交換場に過ぎなくなり、
 身体能力の劣る者は職場から排除されるのが当然となる。
 そして、拝金主義は貧富の格差を増大させ、
 貧富の格差は若者から将来の夢を奪う。
 
 この環境から生み出されてくるものが、この度の犯人の抱いた、
 障害者は無用であり価値なき存在であり、
 障害者施設の建設運用は税金の無駄使いであり、
 障害者は殺してもよいという妄念である。

 天皇の下で全国民は家族であるという
 「国風」つまり「公の意識」の崩壊を実体験した人は、戦前と戦後にかけて
 官憲の国民に対する暴力や不正と戦い続けた正木ひろし弁護士である。
 彼は随筆に、
 戦前のほうがやりやすかった。
  何故なら、戦前は官憲に
 「天皇陛下の赤子に対して貴公らは何をしたのか」
 と言えば、官憲は姿勢を正してことの本質を理解した。
 しかし、戦後は、国民のことを「天皇の赤子」と言っても、
 官憲は何の反応もしなくなった。
 と書いている。
 
 終戦直後に滋賀県に知的障害者の施設を造って障害者を保護し育てた糸賀一雄氏は、
 障害者に世の光を与えるのではなく、
 「この子らを世の光に」
 「障害者こそ世の光なんだ」
 という信念のもとに活動した。

 相模原の施設に入所している子どもの安否を気遣う歳老いた両親の表情からは、
 障害をもったわが子が如何に大切な存在であるかが伝わってくる。
 私も兄が大切である。
 「この子らを世の光に」は本当である。
 そして、我が国は、
 天皇陛下が、この「世の光」の為に祈られる国である。

 しかし、今我々は、
 この「世の光」を無用のものとして殺害した事件の前に佇立している。
 如何にすればいいのか。
 それは、この悲劇を転機にして、
 天皇陛下のお言葉にある
 「天皇の国民のために祈るという務め」
 にふさわしい「国風」を醸成することである。
 そのために、
 「憲法条文」にある「天皇の国事行為」ではなく
 「憲法条文」にない「天皇が国民のために祈ること」
 が我が国の成り立ちの本質であることを深思し、
 その天皇の祈りの前においては、
 「全国民(赤子)は家族」であることを確認し直さねばならない。
 これが、活き活きとしたあたたかい家族のような日本的福祉国家建設の原点である。




西村真悟の時事通信より。







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