皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ各員一層奮励努力セヨ

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祭りは日本の原点、即ち、素晴らしい教育、素晴らしい軍隊の原点だ

2018年10月23日 | 日本・国士
平成30年10月23日(火)

十月二十一日の夜、私の地域の祭りの終了にあたり、
ふとん太鼓を担ぐ、五十名の青年団の若者と、
ふとん太鼓に乗り込んで太鼓をたたく、十人ほどの小学生と
ふとん太鼓を担う若者の側で、
大きな団扇で扇いで励ます、十人ほどのギャルといわれる少女が、
一体となって、
担ぎ手の若者が、体力の限界に達してくたくたになるまで担ぎ続ける
いつもののフィナーレが始まった。

祭りの終わりは、
秋の冷気がふかまる頃で、
なにかしら、もののあはれか、風に哀調が漂う。
そして、深まる夕闇のなかで、若者達は、
十数日間担い続けたふとん太鼓と、
別れるのが辛いようにいつまでも担い続けるのだ。

ところが、この度のフィナーレは、
極めて短時間にふとん太鼓を地面に下ろし修了式が始まった。
総指揮者の長老に、その理由を尋ねると、
「うるさい」という苦情があったからだという。
「誰ですか、それは」と問うと、
「誰か分からん、しかし、そいつが警察に110番通報をして、
警察が責任者の俺に、
うるさいという110番通報があったと言ってきた。」
ということだった。
実にいやな奴がいるんだなあ、というのが最初の思いだった。 

この場所は、
大陸から茅渟の海(大阪湾の古名)に入り堺の浜に上陸した異国人が
堺から二上山を越えて明日香に向かうために整備された
日本最古の官道である竹ノ内街道である。
この日本最古の官道沿いの古い町並みにも、
昔からある懐かしいふとん太鼓の音を「うるさい」と、
こともあおうに110番通報する奴が入っているのかと思うと、
この110番通報と、
このたった一つの通報に過敏反応して中止を求める警察の反応が、
我が国の古くから続く共同体の解体の予兆のように感じた。
それで、丁度、原稿を求めている泉州日々新聞に、以上のことを投稿した。
そして、その投稿を基本にして文を付け足し、
次の通り、時事通信をお送りすることにする。



十月も下旬になり、泉州各地の秋の祭りが終わった。
そこで、この「祭り」が現在に続いてきている意義について改めて考えてみたい。
何故なら、
この「祭り」に、
我が国の、古来からの共同体のあり方が明確に顕れているからである。
 
現在、政府は、その是非はともかく、
急激に外国人観光客が増え続けている状況を自らの手柄と歓迎し、
さらに、
これまでになく多くの外国人労働者を受け入れる方向に動いている。
つまり、政府は、事実上の移民を受け入れる方針であり、
現在、現実に外国人は急増している。
これは、我が国が、
百六十年前に二百五十年の鎖国から開国に転じ、
百五十年前に明治維新によって近代化に歩み始めて以来、
初めての事態である。
従って、この事態に対して、
我々は、改めて我が国のあり方と地域共同体の歴史と伝統、
つまり「自らの個性」を自覚する必要がある。
何故なら、
そうしなければ、我らは初めて身近に経験する
国際化・外国人の急増の大波の中で、
「個性」を失い、
ひいては日本が日本でなくなってしまうからだ。
これが、「国際化」という現象がもたらす憂慮すべき側面である。
無邪気に喜べない。
よって、
ここに、「祭り」の歴史と伝統を改めて見つめ直すことが必要な所以がある。
 
さて、我が国の祭りは、
五穀豊穣を願い五穀豊穣を感謝する
全国各地の神社の「神事」として行われてきた。
ここが、天皇を戴く日本という国家のポイントである。
全国各地の神社が祀る全ての神々は、
皇居のなかにある、
天皇が参拝される「宮中三殿」一つである「神殿」に祀られている。
祈る存在としての天皇は、
いつも、「宮中三殿」の天照大神を祀る「賢所」
そして歴代天皇と皇族を祀る「皇霊殿」とともに、
この「神殿」に参拝されているのだ。

「賢所」に祀られる天照大神は、
天皇家の祖であり、
天皇は天照大神の「天壌無窮の神勅」によって天皇なのだ。
ここにおいて、明らかなことは、
全国各地・津々浦々の神社の「神事としての祭り」は、
全て天皇の祈りと結びついているということだ。
つまり、祭りに参加する全国の国民は、同じ神々に祈る家族である。
これが、我が国の「祭り」の意義と本質である。
 
天照大神の「天壌無窮の神勅」という「神話」を持ち出すことを、
前近代的であると軽視するなかれ。
国際社会から見て、
これが我が国の最大の魅力の一つであり特色である。
フランスの文化人類学者クロード・レブィストロースは
「われわれ西洋人にとっては、
神話と歴史の間には、ぽっかっりと深淵が開いている。
日本の最大の魅力の一つは、
これとは反対に、
誰もが歴史とも神話とも密接な絆をむすんでいられるという点にあるのだ。」
と述べている。
従って、我らは、改めて
「神事としての祭り」
を先祖から受け継いで現在に至っていることを誇るべきである。
 
我が国が、世界法制史上に誇るべきものは、
承久三年(一二二一年)の鎌倉幕府執権北条泰時によって制定された
関東御成敗式目である。
これは後の室町幕府や徳川幕府においても廃止されず、
さらに、江戸時代を超えて明治時代まで維持されてきた慣習法だ。
ここでは、
女性の相続も、女性御家人や女性城主も認められていたので、
十六世紀に我が国に来たキリシタン宣教師達は、
我が国がヨーロッパよりも進んだ男女平等の国であることに驚いた。
そして、この世界法制史上特筆すべき
関東御成敗式目全五十一条冒頭の、まさに第一条は、
「神を敬い祭りを衰退させてはならない」
という教えである。
即ち、原文(漢文)の読み下しは、

神は人の敬ひによって威を増し、
人は神の徳によって運を添ふ。
然れば即ち、
恒例の祭祀は陵夷(衰退)を致さず。
如在(神を祭る)の礼奠(供物)は怠慢せしむるなかれ。

よって、この関東御成敗式目の教え通り、
全国各地の祭りは現在の我らに受け継がれてきたと言える。
従って、この「地域の祭り」こそ、
我が国共同体の基盤であり、
日本が日本である証(あかし)だ。
それ故、
私は榎のふとん太鼓の出陣式で、いつも、
「榎の太鼓を担ぐことは、
日本を担ぐことだ、
日本の歴史と伝統を担ぐことだ」
と挨拶する。
 
また、この祭りは、
「教育力」のかたまりである。
一台のふとん太鼓、一台の地車(だんじり)を動かすためには、
地域の青年と子供らと地域住民の団結がいる。
そこでは、誰にも強制されずに、
年上の者が年下の者を鍛え教えて成長させる。
そして、祭りの当日に、
その鍛錬による成長の成果が発揮される。
これは江戸時代の薩摩藩の郷中教育と同じである。
従って、この祭りのふとん太鼓が発揮している「教育力」は、
地域の小学校が逆立ちしてもかなわないであろう。
しかるに、
戦後の教育制度下における地域の小学校や中学校は、
この祭りの、歴史と伝統と教育力に無関心であると思われる。
しかし、学校の先生は、
祭りのもつ「教育力」を積極的に認めて、
子供達生徒を、祭りに参加させるよう日々教室で働きかけるべきである。
そうすれば、地域の学校と祭りの両輪によって、
驚くべき教育効果が発揮されるだろう。
また、治安を維持する責務を負う警察は、
祭りがもたらす地域共同体の仲間意識が、
如何に地域の治安維持に貢献するかに思いを致し、
祭りを担う青年や子供達が、
大いにエネルギーを発散できるように特段の配慮をお願いする。
つまり、祭りの時は、彼らに
朝が少々早くとも、晩が少々遅くとも、
大いに騒がせてやってほしい。

以前、岸和田のだんじり(地車)祭に際して、
陸上自衛隊の信太山に駐屯する第三七普通科(歩兵)連隊の連隊長と、
陸上自衛隊航空隊の八尾基地司令を
だんじりを急カーブさせるやり回しの横の観々場にお招きして
だんじりを大勢の若者が動かす様子を見て貰ったことがあった。
その時、連隊長と司令のお二人は、
誰が、どういう具合に指揮を執っているのかを見ていた。
そして、指揮官はあれかと見抜いた。
だんじりは団扇の上げ下げ、
ふとん太鼓は笛と団扇で指揮を執る。

いつか読んだ、中世にシナ沿岸を荒らし回った倭寇に関して書いた本で、
倭寇の集団は、指揮官の団扇の合図で一斉に動くとあった。
シナ人にとってはそれが珍しく驚異であったという。
シナ人は、しばらく誰が倭寇の指揮官か分からなかったという。
この倭寇がとった団扇による集団行動の伝統が、
現在の、若者達が、祭りで、
だんじりとふとん太鼓を動かす指揮方法に残っているのだ。

そして、私は、だんじりのやりまわしを見ながら、
連隊長と司令の両大佐殿に言った。
あいつらは、小隊や中隊単位の軍事行動をしていると思われませんか。
我が国には、徴兵制はありませんが、
こういう祭りが続いておれば、
有事になれば、一挙に素晴らしい軍隊が作れると思うんですが。
これに対して、両大佐殿は頷いてくれた。

以上の通り、祭りは、
我が天皇を戴く日本という共同体の歴史と伝統の年に一度の確認であり、
日本民族の個性とエネルギーの再生である。
従って、
素晴らしい教育力を有しており、
素晴らしい軍隊を創設する源である。



西村眞悟の時事通信より。














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