こんにちは、ウィルソン・シモニーニャです。嘘です!
本当はマックス・ヂ・カストロです。それも嘘です!
年初に入荷してきた新譜の中では、特にウィルソン・シモナル関連の映像が心に残りました。
ひとつは彼のドキュメンタリー映画、Simonal-Ninguém sabe o duro que deiであり、もうひとつは彼に向けたトリビュートライヴ、O baile do Simonalです。
ヤングサンバとかソフトロックだとかふざけた音楽カテゴリー名がまかり通るようになった昨今ですが(そのワリには店主も面白半分でよくこれらの言葉を使うことがあります)、このウィルソン・シモナル・ヂ・カストロという人は、60年代にはかの「帝王」ホベルト・カルロスと人気を二分したこともあるほどの人気シンガーでした。でした、というのは既に故人(確か2000年没)だからであります。
彼の手、いやノドにかかれば、サンバもボサノヴァもソウルもブルースも、もう何でもござれ。いろんなコンポーザーの曲を歌ってきましたが(よく言う『インテルプレチ』というスタイルです)、その類い稀なる歌唱力で、作曲者本人のオリジナル版よりもヒットを飛ばしてしまった、なんてことも日常茶飯事でした。
不幸にも彼は1972年に反体制ミュージシャンらの情報を軍事政権下の諜報活動組織(DOPS)にタレ込んだという嫌疑をかけられ、芸能界から抹殺されてしまいます。ドキュメンタリーフィルムの中で、彼の息子ウィルソン・シモニーニャはこう言います。
「74-75年から92-93年までの間というもの、ウィルソン・シモナルは存在していなかったんだ」
今の日本におけるブラジル音楽ファンの間でウィルソン・シモナルがどれだけの人気を博しているのかはよくわかりません。
しかし彼を知ることは、同時に60年代以降のブラジル音楽の歴史を知ることでもあります。
90年代に入り、ようやく彼の身の潔白が証明され、ブラジル国民が再びシモナルに温かい目を向け始めた頃、皮肉にも彼は不遇の時代にアルコールに溺れたことが原因でほとんど肝硬変の状態に陥っており、それがもとで62年の生涯に幕を下ろすこととなってしまいました。ちょうど10年前の2000年のことです。何という悲しい運命でしょうか。
シモナルの二人の息子(シモニーニャとマックス・ヂ・カストロ)も、今やブラジルを代表する実力派ミュージシャンへと成長しましたが、彼らの音楽人生の大部分に、父の偉大さを世に再認識させたいという想いが込められていることに疑いの余地はありません。
そんな二人のプロデュースによるウィルソン・シモナルへのトリビュートライヴの出来が悪かろうはずがありません。
ルル・サントスの歌うイントロダクションに始まり、セウ・ジョルジ、サムエル・ホーザ(スカンキ)、マルセロD2(久々にカッコいいD2を見た)、マルチナーリア、フェルナンダ・アブレウ、ヂオゴ・ノゲイラ(この男、最近ヤバすぎるくらい芸達者になってます)、ペリクレス&チアギーニョ(エザウタサンバ)、フレジャー(笑)、マリア・ヒタ(様変わりしたなあ)、サンドラ・ヂ・サー(相変わらずすげえなあ)、パララマス・ド・スセッソ(健在だ・・・)、オルケストラ・インペリアル(あはははは、モレーノさんだ、モレーノさんだよ!)、エヂ・モッタ(ハマってます)、そしてカエターノ・ヴェローゾといった強烈ゲスト陣が、よく練られたバックのファンキーな演奏を背に、それぞれの芸風を遺憾なく発揮しております。
しかし一番感動的なのは、言わずと知れた二人の息子の出番。特にシモニーニャの歌ときたら涙なくしては観られません。
今回の貴重なDVD作品の流通を機に、ウィルソン・シモナルの音楽がクラブのフロアとかでもっとガンガンかかるようになったら嬉しいですね。
今日は一日じゅう仕事部屋の整理整頓。キレイになった空間で気分も爽快、久々にレコードに針を落としてゆっくり音楽を楽しみました。
音源はもちろんシモナル。74年のRCA移籍第一弾、"Olhaí, balândro...é bufo no birrolho grinza!"の国内プレス盤(笑)。
最高です・・・。
ハチマキバンダナよ、永遠なれ。
ついでに言うと、同じ時期活躍したジャイール・ホドリーゲスも1980年代後期~1990年代はミュージックシーンから消えていましたね。その二人の子供たちが2000年代のミュージック・シーンをエリス・へジーナのこどもたちと支えていくとは、誰が想像できたでしょうね~ 嬉しいもんですわ。