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この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 実は十六夜

2024-04-20 | ファッション
先週、旧暦の日にち=月齢について紹介しました。
藤原道長が詠んだと云われている
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」
(小右記 寛仁2年(1018)10月16日条)
16日は「十六夜(いざよい)」で十五夜満月ではないのです。
と展開しようと思い、
まさか「十六夜」に触れた「望月の歌」は「有るまい」と
検索をかけたところ
「この世をば…藤原道長の『望月の歌』新解釈から見える政権の試練とは」
(讀賣新聞オンライン 2021/07/13 23:00)
で既に先を越されていましたので、こちらで御覧下さいませ。
情報元である山本淳子さんのお洒落な読み解き、とてもお見事、脱帽です。
又、「英雄たちの選択 スペシャル 紫式部 千年の孤独 ~源氏物語の真実~」に
ご出演時、ダークグレーのお洋服、「とっても素敵」でした。(2024/01/06 NHKBS)

それでは気を取り直し、情緒・風情・情趣溢れるお月さん名称を
01日→「新月」02日→「二日月 繊月」03日→「三日月 眉月」
08日→「上弦月」13日→「十三夜月」14日→「小望月」15日→「十五夜」
16日→「十六夜」17日→「立待月」18日→「居待月」19日→「臥待月」20日→「更待月」
23日→「弓張月=下弦月」26日→「有明月」この二つは先週お話ししました。
30日→「三十日月(みそかづき)=晦日(月こもり→つごもり)」
以上でした。

来週からは「黄金週間」にて暫しお休みを頂きます。それでは、又。

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源明子→六条御息所 婉子女王→朧月夜

2024-04-13 | ファッション
「光る君へ」(2024年NHK大河ドラマ)と「源氏物語」とのコラボ(Collaboration)。
「光る君へ 第14回 星落ちてなお」での「組み・結び合わせ」。
時は990年、道隆・道兼・道長らの父、藤原兼家(929~990/7/2)が亡くなった年。
彼の死因は病気ですが、併せて呪詛死も導入されました。
呪詛役は道長(966~1027)の妾、明子女王(演 瀧内公美)=源明子(965~1049)。
思わず、源氏物語の生き霊「六条御息所」かと。
お次は関白を継いだ道隆(953~995/4/10)の三男・伊周(974~1010)17歳で蔵人頭
就任へ嫉妬する藤原実資(957~1046 小右記〈982~1032現存とか〉著者)が
「恥を知らない身内びいき~」と愚痴るシーンでの
後正妻婉子女王(前花山帝女御)(972~998演 真凛)のおとぼけ対応演技。
思わず、源氏物語の天真爛漫キャラ「朧月夜」かと。
お二人の名誉の為に、
源明子・婉子女王さんは上記のような様相を記述した書物・日記はございませんことよ。
(でもここだけの話、婉子女王はこの年にはご結婚されてないかも・・・・・?)
ところで、かの時代は旧暦ですので日にちが月齢に。
1日→新月 2日→二日月(ふつかづき)3日→三日月の感じ。
兼家没日は永祚2年(990年)7月2日から二日月。
にも関わらず、「星落ちて」では三日月で兼家生涯を表現。まあ、一日位はいいか。
但し、「第10回 月夜の陰謀」
寛和の変(花山帝出家事件)は寛和2年(986年)6月23日の出来事、
23日のお月さんは「弓張月(ゆみはりづき)=下弦の月」の筈。ところが、
26日の「有明月」描かれていました。まあ、「虚構の作り話」ですから・・・・・。
確かに、「弓張月」より「有明月」のほうが描写上「いと をかし」でございます。

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源氏物語 紫の上は樺桜

2024-04-06 | ファッション
先週の「桜咲く」で清少納言の「枕草子」の桜を取り上げましたので、
今週は「花時雨」で紫式部の「源氏物語」を。
漸く、お花が咲いたのに今週の東京都心は生憎の雨で「花冷え」(4/3~4)「花曇り」(4/5)。

ところで、「源氏物語」で主要登場人物「紫の上」。
光源氏がちっちゃな時から大好きだった「藤壺の宮」の姪が「紫の上」(父が藤壺の兄)。
その関係から「紫の上」の「紫」は「紫=縁(ゆかり)色」とされています。
然らば、光源氏の正妻「女三の宮」は一体?
彼女の母は「藤壺の宮」の妹・「藤壺女御」で「女三の宮」も藤壺の姪になります。
彼女も同じくご「縁」がありますでしょう。
はたまた、高貴ゆえの「紫」もいけませんことよ。
「紫の上」の父は兵部卿宮(親王)、一方、「女三の宮」の父は「朱雀帝」(天皇)。
「女三の宮」の高貴さ度合いは「格違い」で彼女の方こそ高貴な色「紫」では?
それでは、「紫の上」の「紫」とは。
彼女は物語内で「樺桜(かばざくら)」に例えられているのです。
「源氏物語で紫の上が例えられた樺桜とはどんなサクラ?」
従って、彼女は「桜」を表象(衣裳表示)していたのです。

「桜重色目」→布の表地が「白」・裏地が「紅、或いは、紫」←山桜
「樺桜色目」→布の表地が「薄紫」・裏地が「紅、或いは、緑」←大山桜
「桜襲色目」→上から白 白 白 薄紅 薄紅 薄紅 緑の重ね着グラデーション色
(桜襲色目の白は白×白 薄紅は桜重色目で白×紅・紫 緑は白×緑)

色目は「襲色目と重色目」「襲色目(十二単・絵・春)」でご確認下さい。
「紫の上」は「紫色」のコーデだったのです。
更なる論理補強になりますが光源氏35歳に造作した四季名殿もつ邸宅「六条院」。
この六条院の「春の御殿」に「紫の上」はお住まいだったのです。
「春の御殿」のお庭にはそれはそれは美しい「桜」が植わっていたのです。(梅もあり。)
紫式部も内なるお洒落心をお持ちであったやも?
但し、「源氏物語」はあくまでも「虚構の作り話」、時間費消の慰みもの。
「現実は物語よりも『奇』」、世の現場・現実は遙かに「いと をかし」でございます。

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