何やら
世はきな臭い状況。
お洒落どころではない今日この頃。
何せ、今週、内輪が忙しい時節にも関わらず、軍事大国の両首脳、慌ただしく動くお始末。
我が業界の「はったりコーデ」は可愛いものの、
血を流さなくてはならない「
嘘八百」は地球に生きとし生ける皆さんに大迷惑。
今から約100年ほど前も「パレスチナ地域」で「嘘八百」が横行。
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フセイン・マクマホン協定・・・第一次世界大戦中の1915年にイギリスがアラブ側と結んだ秘密協定です。
この協定では、オスマン帝国の支配下にあったアラブ地域の独立と、アラブ人のパレスチナでの居住を認めました。
協定の内容は、シリアの西部を除いたアラブ人居住のオスマン帝国領に、大戦終了後、
独立国家を建設することを支持する約束を与えるものでした。
アラブ人の独立を認める代わりに、オスマン帝国への反乱をうながしました。
この協定は、メッカのシャリーフであるフサイン・イブン・アリーとイギリスの駐エジプト高等弁務官
ヘンリー・マクマホンとの間でやりとりされた書簡の中で結ばれました。
この協定は、
イギリスがユダヤ人に示したバルフォア宣言、フランスなどと密約した内容と矛盾する内容でした。
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サイクス・ピコ協定・・・1916年5月にイギリス、フランス、ロシアの3国間で結ばれた秘密協定です。
第一次世界大戦中に、オスマン帝国領の分割や各国の勢力範囲を定めました。
パレスチナを国際管理地とする内容も含まれています。
協定の原案は、イギリスの中東専門家マーク・サイクスとフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ=ピコ
によって作成されました。
1915年11月頃から、連合国側が大戦後のオスマン帝国における勢力分割について秘密裏に交渉を開始しました。
その後、ロシア帝国外相セルゲイ・サゾーノフも加わって、ペトログラードで秘密協定が結ばれました。
協定は、イギリスがユダヤ人に向けて発したバルフォア宣言、
アラブ人と約束したフセイン・マクマホン協定と矛盾していました。
ロシア革命後、革命政府によって暴露され、アラブ側を憤激させました。
協定は、その後に変更を重ね、
クルド人の居住地域の真ん中に国境線が引かれることになったと言われています。
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バルフォア宣言
バルフォア宣言は、1917年11月2日にイギリス政府が発表した公式声明です。
この宣言は、パレスチナを「ユダヤ人の故郷」とすることを求め、
ユダヤ人の国家設立への支持を表明しました。
この宣言は、イギリス外務大臣アーサー・バルフォアが、
イギリスのユダヤ人コミュニティーのリーダーであるライオネル・ウォルター・ロスチャイルド
に送った書簡で表明されました。
イギリスは、連合国側の一員として大戦に参戦しており、
ユダヤ人に戦費の調達を依頼しようと考えていました。
そして、「連合国側の味方をすれば、パレスチナの地でのユダヤ人の国の建設を支持する」と約束しました。
この宣言は、パレスチナにユダヤ人居住地(「ナショナル・ホーム」、ユダヤ人民族郷土)の建設を
内容としています。
(*は昨今一番フャショナブルでナウい「AI情報」、Google Search Labsから)
「AI情報」は「矛盾」と表現も、陰りが見え始めた世界覇権国家、
大英帝国が自国の利益の為に「
嘘っぱち約束」をしただけ。
いまや、最大の発展途上国に座を脅かされる「某国」の「情報」に
特段注意すること必定なのではないのかしら
ん?
(中華人民共和国はご自分のお国を「最大の発展途上国」と表現しています。)
お時間お割き頂き、是非ご一読・ご一見を。
「パレスチナ問題の経緯」 「『パレスチナ』はどんなところ?」
(子供たちに平和と未来を パレスチナ子どもキャンペーン 特定非営利活動法人〈認定NPO法人〉)