先週、ききょう(清少納言設定)・まひろ(紫式部設定)さんのお二人の
田舎野良着の出で立ちを「をかし」と紹介しました。
今週の「光る君へ 第二十一回 旅立ち」(NHK 2024/05/26)にて
更なる進化形の脚本・演出で展開・描かれていました。
設定は「枕草子が書き始められた経緯(いきさつ)」。
清少納言さんは「枕草子の後書き」でこちら顛末を記述されてます。
枕草子最終段「後書き(跋文)」
「宮の御前に、内の大臣(藤原伊周)の奉り給へりし御草紙を、
『これになにを書かまし、うへの御前には、史記といふ文を書かせ給へる(定子)』
などの給はせしを、『枕にこそ侍らめ(少納言)』 と申ししかば、
『さば得よ(定子)』 と賜はせたりしを、あやしきを、こじ(故事)や何やと、
尽きせずおほかる紙の数を書きつくさむとせしに、いと物覚えぬことぞおほかるや。」
(国立国会図書館 デジタルコレクション 枕草子 跋文〈底本春曙抄本・三巻本〉)
定子さんの兄、藤原伊周が一条帝と宮(=定子)に「草紙紙」を献呈。
宮は少納言に尋ねます
「帝はこの紙に史記をお写しになられたのですが、私は何を書いたらよいかしらん?」
それに対し少納言は
「枕こそが、よろしゅうございましょう」と申し上げたところ、宮は
「それでは、そなたにあげるわよ」とおっしゃり、わたくしが頂戴したのです。
そして、あれこれと、尽きないほど多い紙に書いたのですが
訳のわからない事がたくさんの有様です。
☆この部分の「光る君へ物語(narrative)」の進化形脚本・演出
ききょう・まひろさん お二人の会話
まひろ「ききょう様が以前中宮様に高価な紙を賜ったとかお話をして下さったでしょう」
ききょう「えゝ、伊周様が帝と中宮様に献上された紙ね」
まひろ「それ、それです」
ききょう「帝がそれに司馬遷の史記を書き写されたところ、
中宮様は『私は何を書いたらいいかしら』とお尋ねになったのです」
まひろ「あは 何とお答えになったのですか?」
ききょう「『枕詞を書かれたらいかかでしょう』と申し上げましたの」
まひろ「しき(史記)は敷物だから枕ですか」
ききょう「あはあ よくお分かりな事 そうしましたら中宮様がたいそう面白がられて
その紙を私に下さったのです」
まひろ「でしたらその紙に中宮様の為に何かお書きになってみたらよいのでは」
ききょう「えゝ?」
まひろ「帝は司馬遷の史記だから ききょう様は春夏秋冬の四季とか」
ききょう「まひろ様は言葉遊びお上手ね うふふふふ」
ここで、場面転換、何処かの邸宅にて、ききょうさんは枕草子を執筆し始めます。
(この邸宅はどの空間かは不明、二條北宮焼亡後、定子さん移動先資料がないのです。
枕草子には「小二條(殿)」とありますが・・・・・。
因みに、この時空、清少納言さんは「里居(ご自分の家住まい)」されてます。)
「里居」は上の「後書き(跋文)」より先に記されています。
「この草子は目に見え心におもふ事とを、人やは見むずると思ひて、
つれづれなる里居のほどに書き集めたるを、あいなく、人のために便なきいひすぐし
などしつべき所々もあれば、ようかくしたりと思ふを、
心よりほかにこそもり出でにけれ。」
(枕)草子は「つれづれなる里居(手持ち無沙汰で特段やる事がない里下がり)」中に
書き集めたものと。
又、草子は不公開予定も、思いもかけず、世に出てしまったのです。
との事。
いやはや、少し「こころづきなし・うしろめたし」も「ありがたし」。
田舎野良着の出で立ちを「をかし」と紹介しました。
今週の「光る君へ 第二十一回 旅立ち」(NHK 2024/05/26)にて
更なる進化形の脚本・演出で展開・描かれていました。
設定は「枕草子が書き始められた経緯(いきさつ)」。
清少納言さんは「枕草子の後書き」でこちら顛末を記述されてます。
枕草子最終段「後書き(跋文)」
「宮の御前に、内の大臣(藤原伊周)の奉り給へりし御草紙を、
『これになにを書かまし、うへの御前には、史記といふ文を書かせ給へる(定子)』
などの給はせしを、『枕にこそ侍らめ(少納言)』 と申ししかば、
『さば得よ(定子)』 と賜はせたりしを、あやしきを、こじ(故事)や何やと、
尽きせずおほかる紙の数を書きつくさむとせしに、いと物覚えぬことぞおほかるや。」
(国立国会図書館 デジタルコレクション 枕草子 跋文〈底本春曙抄本・三巻本〉)
定子さんの兄、藤原伊周が一条帝と宮(=定子)に「草紙紙」を献呈。
宮は少納言に尋ねます
「帝はこの紙に史記をお写しになられたのですが、私は何を書いたらよいかしらん?」
それに対し少納言は
「枕こそが、よろしゅうございましょう」と申し上げたところ、宮は
「それでは、そなたにあげるわよ」とおっしゃり、わたくしが頂戴したのです。
そして、あれこれと、尽きないほど多い紙に書いたのですが
訳のわからない事がたくさんの有様です。
☆この部分の「光る君へ物語(narrative)」の進化形脚本・演出
ききょう・まひろさん お二人の会話
まひろ「ききょう様が以前中宮様に高価な紙を賜ったとかお話をして下さったでしょう」
ききょう「えゝ、伊周様が帝と中宮様に献上された紙ね」
まひろ「それ、それです」
ききょう「帝がそれに司馬遷の史記を書き写されたところ、
中宮様は『私は何を書いたらいいかしら』とお尋ねになったのです」
まひろ「あは 何とお答えになったのですか?」
ききょう「『枕詞を書かれたらいかかでしょう』と申し上げましたの」
まひろ「しき(史記)は敷物だから枕ですか」
ききょう「あはあ よくお分かりな事 そうしましたら中宮様がたいそう面白がられて
その紙を私に下さったのです」
まひろ「でしたらその紙に中宮様の為に何かお書きになってみたらよいのでは」
ききょう「えゝ?」
まひろ「帝は司馬遷の史記だから ききょう様は春夏秋冬の四季とか」
ききょう「まひろ様は言葉遊びお上手ね うふふふふ」
ここで、場面転換、何処かの邸宅にて、ききょうさんは枕草子を執筆し始めます。
(この邸宅はどの空間かは不明、二條北宮焼亡後、定子さん移動先資料がないのです。
枕草子には「小二條(殿)」とありますが・・・・・。
因みに、この時空、清少納言さんは「里居(ご自分の家住まい)」されてます。)
「里居」は上の「後書き(跋文)」より先に記されています。
「この草子は目に見え心におもふ事とを、人やは見むずると思ひて、
つれづれなる里居のほどに書き集めたるを、あいなく、人のために便なきいひすぐし
などしつべき所々もあれば、ようかくしたりと思ふを、
心よりほかにこそもり出でにけれ。」
(枕)草子は「つれづれなる里居(手持ち無沙汰で特段やる事がない里下がり)」中に
書き集めたものと。
又、草子は不公開予定も、思いもかけず、世に出てしまったのです。
との事。
いやはや、少し「こころづきなし・うしろめたし」も「ありがたし」。