当世・服飾ファッション・よもやま話  UP TO DATE FASHION NEWS

目に映る当世ファッション状況を感じたままお知らせします。このサイトのファッションは服飾に限ります。インフレファッションへ

日本人デザイナー洋服との戦い

2010-04-30 | Weblog
山本耀司さんは昨年、2009年に破綻されましたが、
パリ高級衣裳店組合に日本人で唯一参加(1977年)された森英恵さん(1926~)も
それ以前、2002年(平成)、既に破綻されています。
彼女は「日本の花鳥風月」をドレスにプリントされていました。
又、プレタの三宅一生さんは「日本の包む文化」を服で具現化しました。
そして、川久保・山本さんは「日本の侘び寂び・婆娑羅文化」で挑みました。
しかしながら、未だ、洋服への日本文化テイスト注入のみに留まっています。
これは、保守本流「フランス服飾文化」にとっては箸休め程度なのです。
このブログも、箸休めついでに、5/1~5/5までお休み。
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「服飾文化」、それぞれ国々のテイスト

2010-04-29 | Weblog
昨年のファッションニュース3位 デザイナー・ブランドの破綻・休止の旗頭、
Yohji Yamamoto (山本耀司)ブランドの破綻から
デザイナーブランドの歴史と背景を少しだけ展開してみました。

1911年以前より保守本流の「フランス服飾文化」
それに対する「イギリスストリート服飾文化」
又、物作りを緻密に担う「イタリア服飾職人文化」
圧倒的な軍事力と金融資本主義を標榜する「アメリカシンプル機能服文化」
そして、1880年代頃から脱亜入欧政策に転換した「日本洋装物真似文化」

悠久な着物文化を脱ぎ捨て「追いつけ・追い越せ」と戦い続けた日本。
その日本ファッションデザイナーのお一人山本耀司さんお疲れ様でした。
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アルマーニのデザインしたホテルがオープン

2010-04-28 | Weblog
Giorgio Armani(ジョルジオ・アルマーニ)(1934~)現在76歳 がデザイン。
世界一高い超高層ビル、ブルジュ・ハリファ(アラブ首長国連邦のドバイ首長国)、
(軽く東京スカイツリーを超える、全高が何と828m ビル高もびっくり636m)
内にあるホテル、「アルマーニホテル」が昨日オープン。
今後、ニューヨーク、ロンドン、東京とアルマーニホテルをデビューさせる予定とか。
イタリアモード界の巨匠は昨今はホテルデザイナー???
それはさて置き、オイルダラーの巨万の富とイスラム文化?融合の
ブルジュ・ハリファは凄いの一言。
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クチュールメゾン ⇒ プレタポルテ ⇒ ファストファッションへ。

2010-04-27 | Weblog
1911年(明治44年) パリ高級衣裳店組合がスタート
1959年(昭和34年) Pierre Cardinプレタポルテのコレクションを発表
1968年(昭和43年) Hennes & Mauritz(H&M)店オープン
1969年(昭和44年) GAPスタート
1975年(昭和50年) ZARA店オープン
2010年(平成22年) 現在ファッション現況
1911年にスタートしたパリ高級衣裳店組合から現在ファッションに至るまでの
100年間に於ける、装飾ファッション歴史の流れ (時系列)。
1911年以前のヨーロッパ王侯貴族「自己顕示服(ドレス)」の流れを継承、
それに続く、100年の洋装の歴史の間に
わが日本と私たち日本文化も組み込まれたのでした。
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Paul Poiret(ポール・ポワレ)の偉業はパリ高級衣裳店組合の創設。

2010-04-26 | Weblog
新興ブルジョアジー層女性に圧倒的な支持を得た
ポール・ポワレは順調に事業を拡大します。
いつの世も、「世で売れるもの」をコピーし廉価で販売し、短期で利潤を得ようとする
輩は絶えません。
初代ウォルトが組織した「仕立て業組合」組合員の中からもそんな方々が。
そこで、彼は「組合規約」を作製、
この規約を満たすお店をオートクチュール「メゾン」とする事に。
1911年(明治44年)この規約条件に叶うメンバーシップスで発足した組織が
La Chambre Syndicate de la Couture Parisienne
(ラ・シャンブル・サンディカル・ド・ラ・クチュール・パリジェンヌ)
日本語ではパリ高級衣裳店組合。
ここに今現在も続いているオートクチュールメゾンが誕生するのです。
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時代の要請、Paul Poiret(ポール・ポワレ)

2010-04-25 | Weblog
Paul Poiret(ポール・ポワレ)(1879~1944)
彼は、前回紹介しました様に、ウォルトのお店で王侯貴族女性用のドレス創作、
及び、ウォルト考案のオートクチュール、アパレルのビジネスモデルを学習。
1903年(明治36年)、ご自分のお店をオープン。
フランスでの、政治体制は普仏戦争中(1870~1871)、
1870年(明治3年)9月 ルイ=ナポレオン皇帝が退位、
1875年(明治8年)第三共和国憲法が制定され既に、共和制に移行。
その後、西欧列強として植民地獲得競争に明け暮れる時代。
ポール・ポワレはきな臭い世の到来から、
王侯貴族女性を顧客とするウォルト店と異なる独自路線を打ち出す事に。
華美な装飾を削り、コルセットで極度にウエストを固定せず、
女性が動き易くオフボディーでストレートドレスを提案。
これらの新鮮さが、新興ブルジョアジー層女性に
王侯貴族女性服へのアンチ意識感覚をもたらし
とても熱烈歓迎される状況を生むのです。
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ポール・ポワレの師匠、シャルル・フレデリック・ウォルト

2010-04-24 | Weblog
ポール・ポワレの師匠は
Charles Frederick Worth(シャルル・フレデリック・ウォルト)(仏語読み)
(1826~1895) 英生まれ、仏育ち。
彼は、フランス第二帝政(ルイ=ナポレオン皇帝)御用達のクチュリエ。(1860~1870)
又、クリノリンスタイルを打ち出したデザイナー。
当然、ルイ=ナポレオン皇帝妃、
Eugénie de Montijo(ウジェニー・ド・モンティジョ)(1826~1920)は大顧客。
その事よりも、
彼はオートクチュール、アパレルのビジネスモデルを考案した元祖。
シーズン毎の展示会、
企画、縫製場(アトリエ)
専属モデルにドレーピング、コレクションショー(マヌカン)
提携織物工場(ファブリック)
等々考案、作製、流通チャネルの整理整頓したのです。
又、同業仲間を集い、1868年には「仕立て業組合」を設立。
後に、お上から「正式組合」組織として認定されます。
彼は王侯貴族の僕(しもべ)の服屋さんでなく、
ご自分のデザインアップした服を王侯貴族女性に購入して頂いたのです。
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Paul Poiret(ポール・ポワレ)のシルエットは100年前の模倣

2010-04-23 | Weblog
コルセットでウエスト極度に固定した
クリノリン、バッスルスタイルドレスからストレートドレスファッションに
変容させたデザイナー、Paul Poiret(ポール・ポワレ)。
しかし、このシルエットはフランス革命(1789年)後に君臨した
ナポレオン・ボナパルト皇帝(1769~1921)妃、
ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ(1763~1814)が好んで着用していた
通称、エンパイア・スタイルドレスと同じ。
繊細優美と言われた
ロココスタイル、ポンパドゥール夫人(1721~1764)感じの優雅なドレス時代に
別れを告げ、機能優先のシンプルドレスファッション時代。
この流れは、現在のチュニックワンピーが隆盛を極めている事と同じかも?
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クリノリン、バッスルよ 「さようなら。」

2010-04-22 | Weblog
王侯貴族の最重要お仕事「社交会=party=舞踏会」催し。
産業革命のお陰で「時間と空間 」が狭められ、19世紀後半まで
ドレスの主体はクリノリンからバッスルスタイルへ移行。
更に、王侯貴族の激減も伴い、腰下部の膨らみファッションに変容を来す事に。
(ヒップボリュームを強調させる為、
     ウエストを極度に締めつけた補正インナー、コルセットの存在)
一般的には女性をクリノリン、バッスルスタイルからの解放されていますが、
実際は、空間の狭さがなせる業。
蒸気機関、自動車、戦乱等により王侯貴族から
大らかな空間と時間を奪った事がこの背景。
一方、産業革命で恩恵を受けた新興Bourgeoisie(ブルジョワジー 仏)の方々は
「社交会=party=舞踏会」の真似事を始めますが、
そこは、新参者の弱さ(未経験)で大空間でのpartyをこなしきれない現実。
これらの状況を「肌で感じ」取り、
果敢にデザインアップされた方が
Paul Poiret(ポール・ポワレ)(1879~1944)さん。
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王家の滅亡でオートクチュール顧客の減少

2010-04-21 | Weblog
1870年(明治03年)フランス第二帝政(ルイ=ナポレオン皇帝)の崩壊。
1910年(明治43年)ポルトガル王国(ブラガンサ家)の崩壊
1917年(大正06年)ロシア帝国(ロマノフ家)の崩壊
1917年(大正06年)ポーランド立憲王国(アレクサンドル・ロマノフ家)の崩壊
1917年(大正06年)フィンランド大公国(アレクサンドル・ロマノフ家)の崩壊
1918年(大正07年)オーストリア・ハンガリー帝国(ハプスブルク家)の崩壊
1918年(大正07年)ドイツ帝国(フリードリヒ・ヴィルヘルム家)の崩壊
1918年(大正07年)バイエルン王国(ヴィッテルスバッハ家)の崩壊
1924年(大正13年)ギリシャ王国(グリュックスブルク家)の崩壊
1931年(昭和06年)スペイン帝国(ハプスブルク家)の崩壊
1944年(昭和44年)アイスランド王国(デンマーク王国と同君連合)の崩壊
1945年(昭和45年)イタリア王国(サヴォイア=カリニャーノ家)の崩壊
上記の帝国・王国が近年滅亡の憂き目に遭遇。
現在ヨーロッパで残存する王国・公国は前にパリ・オートクチュールの顧客
紹介した
グレートブリテン及び北アイルランド連合王国=イギリス
オランダ王国
スウェーデン王国
スペイン王国
デンマーク王国
ノルウェー王国
ベルギー王国
ルクセンブルグ大公国
モナコ公国
リヒテンシュタイン公国
アンドラ公国
以上の11を数える国々に激減。
フランスは19世紀に共和国しましたが、
残る11カ国は第二次大戦迄には崩壊。
故に、パリ・オートクチュールの顧客も伴い減少する事に。
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