ナンカ突然落ち込みました。
理由は
お好み焼きを焦がしたからでも、
明日から三連休明けでまた!仕事だからでもありません。
そうそれは、すごくくだらなすぎて
こんな「王様の耳はロバの耳」的プログにも書けませんが。
あーあ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
明日から頑張ろう!
ナンカ突然落ち込みました。
理由は
お好み焼きを焦がしたからでも、
明日から三連休明けでまた!仕事だからでもありません。
そうそれは、すごくくだらなすぎて
こんな「王様の耳はロバの耳」的プログにも書けませんが。
あーあ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
明日から頑張ろう!
今日はバザーの係りだったのででポテトを揚げに行ってきました。
しかし、なんとそこにはテントがなく、炎天下の中、ポテトを揚げてるのか、私が火あぶりにあってるのかわからない状態でした。
でも、ポテト売りとか物を売る仕事は大好きです。
学校に行ってる頃もたくさん売り子系のバイトはしましたが、こんな仕事が好きなんだなあっと、今日は再確認しました。
帰ってきて夜は弟家族と焼肉でした。
そこでまた火あぶりのような気分でしたが(ーー;)
しみじみ楽しかったので、こんな日があってもいいかあ・・・。
DESTINYをみてて放映当時考えさせられたこと、その2です。
やっぱり、シンとステラ関係のシーンを見てて連想してたことです。
というか、擁護?(T_T)
☆ ☆ ☆
で、またまた、突然話がぼーんと飛びますけど。
まあ、とある病院で働く人からみたシンステといった内容でしょうか?
☆ ☆ ☆
内科で働いていたときのことです。
あるとき看護師さんが先生と言い争いになりました。
言い争いはよくあることなんですけどね。
内容はある患者さんの痛み止めの増量についてでした。
かなり痛そうなそぶりのある患者さんがいました。でもなぜか本人は痛み止めは痛み止めの増量を拒否してました。
しかし見かねたナースが医師に増量したほうがいいのでは?と医師に意見したところ「本人が希望しないのに増量は出来ない」とちょっと二人の間でトラブッたのです。
そのうち患者さんの痛みは自然と治まったのですけが、そのことをきっかけに病棟で話し合いになりました。
そういう場合どうすればいいのか。
痛み止めを増量したほうがよかったのか。
患者さんは本当に辛そうだったのでした。
その時点で自分達に出来たことは何かなかったのか・・・。
スーパーバイザーみたいな(?)人も入りました。
スーパーバイザーの意見としては、看護師は患者様に巻き込まれるのではなくって専門的な立場からアプローチしたほうがいいのではないかということでした。
本人自身がなぜ痛み止めを使いたくないかその気持ちを聞き出したり、病気に対する思いを知るように関わったり・・・まずは、プロとしての距離感のある援助が必要であったのではないか・・・と。
しかし私は思ったのです。
巻き込まれるっていけないことなのかな?
その看護師さんに熱くなってもらって、その患者さんはうれしかったんじゃないかな?
☆ ☆ ☆
ちょっと前の職場はまた科が違ったのですけど。
「相手の立場に立つ」という言葉が流行ってました。
その職場の主任さん曰く、相手の立場に立ち、気持ちを理解しようとすることで、相手も心を開いてくれる・・・相手に寄り添うことが出来る・・・んだそうです(かなりうろ覚え)。
私的になんとなく苦手な主任さんでした。
熱心すぎて仕事が遅かったり協調性に欠け、他のスタッフにも敬遠されてる部分がありました。
しかしバッシングの中、確かに主任さんは何人かの人の心に寄り添っていたように思えます。笑わない患者様が笑顔をみせるようになったり。
それはスタッフとの協調や仕事の流れを大切にして、患者さんとの関係にのめり込まない私には出来ない芸当だなあっと、いつも思っていました。
☆ ☆ ☆
DESTINYを見つつそんな仕事のことを連想した場面がありました。
ステラがザフトの調査が入ったラボに無許可発進するトコロです。
普通にみてたら何でもないシーンなんです。
でも、個人的にそこがとても印象的でした。
ラボが攻撃されると思ったアウルがパニクって、ステラのブロックワードである「死ぬ」を無意識に言ってしまいます。
その言葉を聞くと普通はステラは錯乱するのです。
しかし、その時はシンの言った「守る」という言葉を思い出して、自分自身を抑えます。
そればかりか、逆にラボを「守る」ために出撃します~。
私はハッとさせられました。
「ブロックワードを打ち破ってる・・・ブロックワード返しか!!!」と突っ込みたかったです。
で、思ったのです。
シンってすごいなーっと。
傷ついてる人がいても、その人を癒せる言葉をかけるのはとても難しい・・・。小さなことでも人を変えるのは難しいです。
シンはステラを変えた・・・その時だけでもブロックワードを打ち破る力を与えたことに価値があると思ってしまいます。
シンは「軍人」というプロとしての行動には問題があったのでしょうし、かなりステラに巻き込まれてたのだと思います。
でも、思いっきりのめり込むことで救うことのできる何かがあるんじゃないかなあ・・・その後のシンの行動も合わせて言えば、目の前にいるステラを助けようともがいてその真剣さがステラの心に寄り添えたんじゃないか・・・。
仕事と重ね合わせた私はそういう解釈してしました。
☆ ☆ ☆
・・・しかし、まあ、、、、残念ながらステラ発進のシーンは単にステラとシンを出会わせるために作ったコジツケなんでしょうがね~
でももし、意識してそういうシーンを挿入してるとしたら神脚本だなっと思うんですよねー。
シンというキャラクター自体は悲惨なんですけど。
戦争をなくそうと戦ってるけど、それは物語的に「間違った選択」という流れになっていたり。
主人公的に登場して、最後はラスボスのように倒されたり・・・
・・・内面の葛藤があったり、人に感情移入しすぎて目的を見失ったり、天狗になったり凋落したり、、、でも、、、本人は気づいてないけど、、、
地味に一人だけは救っている・・・!それなのに「自分は何も出来なかった」と感じてる。
なんて・・・なんかとても物語性がある展開だと思うんだけなあ・・・
そんな意味で作った作品なら、今は評価させなくっても後世まで名を残す名作だったのにー!残念だー。
単なるアニメの登場人物に過ぎないんですけどね。
でも、イロイロ考えさせられるキッカケを提示してくれたシンというキャラクターは私的にはすごくインパクトがありました。
ある意味ホントにトラウマで、今でもシンを軸にいろいろいろりろ考えることがあります。
世の中にはそんな人もイルよね、きっと。
だから製作者は少しはシンを大切に扱って欲しいし、シンという面白いキャラを生み出したことに誇りを持って欲しいなあっと。
小さい声ででもそう言いたい。。。
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NHKにようこそ! (5) 価格:¥ 588(税込) 発売日:2006-06-23 |
エウレカセブンのコミックとどちらを買うか迷った挙句、「NHKにようこそ」を買ってみました。
初読の感想→「これって、図書館とかに置いたほうがいいよ。すばらしいマンガだ。」
2読目→「笑える。佐藤君がかわいいと思う自分も共依存なのかなあ。」
3読目→「リアルすぎて怖いかも・・・これはマンガだから最後には救いが欲しいよ。」
という印象でした。読むと笑える半面怖い感じもします。まるで○○○という小冊子の巻末マンガのようです。。。というか、こっちに差し替えたらどうよ・・・
どんな話かというと、大学入学してしばらくして、NEET+プチ引きこもりになった佐藤君と、岬ちゃんという美少女のふれあいの物語です。登場人物がみな危ない(人類補完計画のNERV職員にようにみんな心に傷を持ってます)。
しかし、この5巻の拗ねたような顔とか、絵がかわいいーー岬ちゃんとか、ホントかわいいー。
「面白い・勉強になる・萌え・どよーんとした気分になる」・・・そんなマンガでした。
放映当時、シンがステラを連合に返還するというあの辺りのシーンを見つつ連想してたことがあるのです(遠い目)
その後も時々思い出して、繰り返しあーだこーだ考えたりしました。
なぜかというと、当時シンがすばらしく叩かれていたからなのですけど。
叩かれているシンを軸にいろいろ考えさせられました。
その1つは、医療のあり方について・・・です。
そんなのアニメみてて考えるなっ!って話ですけどね(^^;)
☆ ☆ ☆
話はちょっと飛びますが。
うちの下の子は生まれたときに内臓の病気でした。
「手術に失敗したらもしかして臓器移植が必要になるかもしれない」と言われていた時期があります。
目の前で命が弱っていくのをみるのは本当に苦しかったです。なにも出来ない無力感というか。その中でも可能性を探す努力というか。
手術は無事成功したのですけど、いつ再発するかわからない状態で育児休暇中ずっと入退院のくり返しでした。
一応冷静に振舞ってるつもりだったのですけど、もしかして必死な形相だったのかもしれません。周りの人や先生の、私を見るときの「同情してるけどもてあましてる」顔とか思い出します。「お母さんがそんな落ち込んでどうするの?」
そして当時私は煮詰まった頭で考えていました。
「どんな借金をしても子どもを助けたい」
「うちの子どもは私の内臓を分けてあげられる病気だけど。もし脳死移植しか道がないとしてもきっと私は助けたいと思うんだろうな。」
「ここに悪魔がきて契約したら助けてくれるっていったら、、、契約しちゃうかもなあ」
育児休暇が終わって仕事に復帰したてころのことです。ちょうどテレビで臓器移植について話があっており同僚がぽつんとこう言いました。
「自分だったら・・・そんな・・・移植してまで生きたいとは思わないな。善意とはいえ人の犠牲の上での延命なんて・・・」
その言葉はとても印象的でした。
それから私は考えるようになりました。
もし、自分が生きるか死ぬかのときはどうしたいか・・・
例えば臓器移植な状態になったとき、臓器移植をするか、しないでありのままの自分の状態を受け入れるか・・・
例えば末期に近いガンだったとき、最後まで戦うことを選ぶのか、それともホスピスで静かな死を迎えることを選ぶのか・・・
その2つは必ずしも同列に考える問題ではないと思うのですけど。
私自身は今のところ、最後はホスピスで静かにって考えています~。
でも実際にその場面に遭遇したらどうなのか・・・。
1%でも生きる可能性があれば生きたいと思わないのかな。
自分でなくってそれが自分の大切な人だったらどうなのかな。
どんな方法でも助けたいって思わないかな・・・
☆ ☆ ☆
たとえ軍規違反を犯しても、少しの可能性にすがってステラを助けたいと思ったシン。
ステラが死ぬとしても仕方ないことだと思っているミネルバのスタッフ。
シンはステラをかえすべきでなかったのでは・・・と、冷静な判断を述べるアスラン。
シンは大量虐殺者であるステラを逃がした極悪人と主張する視聴者。
その構図は私に自分の体験や医療場面を連想させました。
DESTINYを見て、「シンは正しくない」と何のためらいもなく糾弾する人達は、自分の大切な何かを無くしたことのない幸せな人なんだろうなっとか。。。~
ステラを返還すべきでなかったというアスランは、「自分ではそんな体験はしたことはないけど」したり顔で私をいさめる周囲の人に重なりました・・・。
でも、誰が正しいとかではないのですが~・・・
シンとステラのシーンを見つつ私は、人はそんなに簡単に大切な人の死を・・・または自分の寿命を受け入れられるのかなって思ったりしました。
それが感情に支配された行動でも生きたいとあがく人の気持ちを大切にしたいなーっとか。
☆ ☆ ☆
ホスピスでの静かな死というものに憧れています。
でも、個々の患者さんは・・・
きっともっともっと生きたいんだよね。
「静かな死」というのはただの2番目の選択だと思うのです。
☆ ☆ ☆
私はDESTINYがトラウマです。
トラウマすぎて、自分に当てはめることでいろいろ考えさせられたし、簡単に人を自分の尺度だけで計ってはいけないと強く思うようになりました。
まあ、ただのアニメなんですけどねー(ーー;)
初めに書いたように、なんか常軌を逸した展開の超アニメだったので、当時は・・・でした。
でも今だから思うのです。
見た人すべてにきっといろんな足跡を残した・・・そういう点で、とても価値のある作品だったのかも・・・と?!