賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

PDCAからの一考察

2020-06-30 07:29:39 | メンタル
人は日常生活で普通にPDCAを行なっている

それは人が人になった時には既に当たり前の行動様式

だいたい動物はほぼそうしている

例えば、朝起きようと認識した時には身体はもう起きている

そう言うと、
「起きようと思ったけれどなかなか起きられない」
と反論する人がいるが
その人のとった行動は
「(起きようと思う)という行動」をしてるに過ぎない

だから「思う」という行動を既にしているのだ

人以外の動物は現実のこの世に存在してるから大抵が行動が先に完了してることが殆どらしい

そして後になって反省をする

人の場合、その反省がどうやら悪いようで、「こうだったから次はこうしよう」というのではなく「こうだった、嫌だなぁ」で完結してる

感情に結びつける

感覚ではなく意識が先に立つ

批評や批判の意識は時々でいいから行動だけで再設計すれば終わり

つまり「こうだったから次はこうしよう」だけ

従って、PーDーCで終わりで良い

actionは意識せずとも自ずと行われる


なんども言うが、実際に行動になる場合は身体が優先して決定する

意識の中だけで動く(と思う)から行動にならない

人以外の動物は意識の重要性が低い

人だけが意識を「大事なもの」と位置付ける

時には意識だけの世界に逃避する

人はバーチャルを好む

最近流行り「人間特有」の病気ではないかとも思う

意識依存病である

意識依存病は行動の重要性が低い

思うことが大事であり行動はその次くらいか

実行すれば良いのに考えるだけで満足

masturbationである

だからfrustrationが溜まる

意識は現実ではない

意識に対して「現実ではない」という評価は正しい言葉ではないけれど

そこまで言わないと理解できない「意識」という厄介者を大事にしている

意識が意識を攻撃するからfrustrationがたまりノイローゼになる

従って、困ったら行動を優先してみるのが解決の糸口になる事が多い

でも、それは動物的な解決になる場合が多いのでちょっとした「事件」にもなり得る

残念ながら、「事件」を起こす事ができるのは生き物だけであり、そこを否定するならば動物的行為から離れざるを得ない

然るにAIの誕生、AIの世界に突入する

そして、人は動物を放棄する事になりかねない

心臓がなくても生きられる意識の世界に我が意識だけをプログラムする

そこで出てくるのが「クオリア」なのかもしれない

意識を情報としてだけで捉えない

「意識の質感」

やはりきっとそこには肉体から来る相互間の何らかの、まだ分かっていない通路があるに違いない

人がタンパク質で構築されたただの機械ではない宇宙と同じ相互作用で形作られた「生命体」であるという事

だから、PDCAという無機質な言葉では解決しない問題をいまだに持っている
コメント
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