戦時中の洗脳のあり方です。
若い男子学生は
「兵隊さんはカッコいい」
「兵隊さんになりたい」
「日本の戦争は正義だ」
「日本のために戦うために生まれてきた」
「兵隊になることが生きがいだ」
「兵隊にならない奴は悪だ」
くらいに洗脳されていた様に感じます。
でもってそれが当たり前という社会観があり、
みんなそういう風潮で生きていたのではないでしょうかね。
今の時代にはそういう洗脳はないかどうか甚だ疑問です。
SDGSを言えばみんな「持続可能な開発目標」だ、と言います。
そもそも未来を継続しながら発展する事は今までもこれからも当たり前でしょ。
いちいち言葉を作って言わなくてもやってましたよね。
或いは、一酸化炭素を無くすと言います。
みんながこぞって言います。
なくなりませんよ、きっと永遠に。
どうして、社会で蔓延する扇動ニュースの言い分を鵜呑みにするのかな?
テレビのCMだけでなく、番組やドラマの中でも、「今の社会はこれが当たり前」と言う論評で進んでいきます。
多様性っていう言葉も怪しいです。
多様性って言いますが、養老孟司先生が言ってた
「個性を発揮するんだったら精神病院に行けばとんでもない個性の持ち主が居ますよ」と。
そういう個性的な人ばかりで出来上がった社会がいいのかい?
自然て言いますが、人工的な副産物ですら自然の一部でしょ。
結局はなる様になるしかない。
そこを言葉で切り取って「ああだ」「こうだ」と言ってるだけでしょ、自分の都合の良いように。
そして、大勢が言ってる言葉に同調して事なきを得るのがイイ事だ、と。
でもね、何が本当の事か、ちゃんと自分自身で検証せねば。
その上で自分自身で判断するのが人の一生の中では最も大事なことではないかしら?
最近、特にインターネットの中の環境が劣悪で、特に罠が多くなってる気がします。
それは普通に使ってる画面も含めて。
テレビも扇動する感じの情報がとても多い。
それで世の中が動いてるから、世の中は扇動・洗脳の渦の中。
あまり多くの情報を求めすぎないで、自分の生活圏の中の人間を大事にしないと、と感じます。
世界情勢も何が本当のことか、結局はわからないことだらけでしょ。
情報の出どころが違えば、意味が180度変わってますしね。
井上陽水さんの「傘がない」の歌の歌詞にありますね、
世の中の大問題のことよりも 今日は雨なのに自分が傘を持ってないことの方が自分には大問題だ、と。
自分が考えるべき優先順位はそれでもいいようにも感じます。
何故なら「自分自身が本当にわかる事実」がそこにあるから。