66歳の貧乏なアルバイター

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

感情はアート、アートは無駄の中にある

2024-07-13 04:48:45 | エッセイ
他人の心は理解できない
他人の感情、理解する能力と言うものは、物理的に存在するものではない
感覚は、感覚で理解する以外ない
『感』とは
世の中で言われるアートと言うもの、芸術と言うものも心の中に存在するという印象を持つ

モーツァルトにはなれない
ビートルズにもなれない
ピカソにもなれない
人の歴史の中で、天才と呼ばれる人たちは、説明できる感覚や感情から外れている気がする
それを理解するには、それなりの感覚や感情が必要な気がする
計算した、学んだから、努力したから、で得られるものではない
しかしながら、感情や感覚は、人、それぞれに備わっているものだ
個人が作った感情や感覚は、個人の中でのみでも理解できる
他人の感情も、自分個人の感情に変換して理解しようと思えば、それもあり得る

ただし、それは他人のものではなく、自分のものである
ピカソの絵を見て感じる美しさは、自分の感覚で受け取ったそのセンサーが作り出したものに他ならぬと思う
つまり、感情や感覚は、個人のアートとして創作する以外ない
自分で作る以外ない
それが他人のものであったとしても
いわゆる心のデザインとでも言おうか

心はデザインできる
心を豊かにすると言う事は、豊富な時間が必要となる
心が作り出す空間は、とてつもなく広い
そして、長い
そして、大きい
それをデザインするには、巨大な空間ととてつもなく長い時間を必要とするだろう
短絡的に経ち切られた時間では作り出せないし、限られた空間でも作り出せない
現代人の好む効率の良い小さく区切られた世界では、理解に値するだけのアートは作り出せないような気がする
つまり、そこには心がないから
『感』は宇宙空間に匹敵する

今の時代、デザインしようにも、心をデザインするどころか、アートがただ存在するだけの空間すら存在しない
アートは効率の良さと正反対の宇宙にある
芸術は効率を求めると言う意味と、全く正反対に向かわなければならない

今の人の世は、効率を求め、無駄を嫌う
何故か
正確な回答は想像できないけれど、おそらく物質的な欲求を満たすためにだけ突き進んでいるからではないだろうか
心は物質とは正反対のところに存在している
そういう気がする

アートは無駄の中にこそ存在している
人の心を豊かにするため、アートと言うものは最良の良薬だと感じている
息苦しい今の世の中に本当に必要な薬は心を豊かにするアートではないだろうか
少しでも心をデザインできたら、それは限られた時間の中で生きる自分たちの心の豊かさとなる

そのためには
従来で言う無駄な時間を増やす行為に他ならない
無駄こそが人の『感性』の生きる世界
人だけが持つ『意識』や『感性』は『無駄』な世界にある
そのくらい言い切っても良いんじゃないか
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