日本語でしゃべるとたいてい二割ぐらいは伝わるけれども、それ以外は誤解されて伝わるケースが多い。
その点、英語は伝えたい内容が最初からダイレクトに表現するから、言いたい事は強く大きく強力に伝わりやすい。
日本語は本心を隠す傾向がある。
だから、曖昧な表現、いわゆる玉虫色と言う表現が当てはまる。
そもそも、日本語はかくの如く受け取る側の想像で、いかようにも変化して伝わる傾向がある。
したがって、日本語は非常に難しい。
だいたい二割程度しか伝わってない内容から確実な判断は多くの場合できない。
かつての俳句や和歌のようにぼんやりした言葉の羅列を解読していかねばならない傾向は、現代用語の中にも潜んでいる。
しかしながら、その言葉には、印象や心情を使って会話をすると言う特殊な言語であることが含まれている。
英語のようにきちんと表現された言葉の中で、判断を下すということで決定されない。
英語の構成にはルールがあり会話に於いても整合性がキチンと作成される。
それがキチンとできないと意味が違うことだと明確に判断され、結論付けられる。
逆に日本語は印象や心情感覚で会話をすると言う特殊言語である。
整合性で説明すると怪しい解説になる場合も多い。
したがって、そこには、気分や雰囲気とか、環境とかすべての大きな流れの中で会話をしていくと言う非常に高度な会話能力が必要となる。
まるで動物と会話をするような難しい言語となっている。
だからイヤよイヤよも好きのうち、となる。
嫌という言葉が好きを表すような事になる。
それが様々に変化するから、TPOによって解釈を変えなければならない。
最後には言葉すら不要なことにすらなる。
奇妙な言語民族なのだろう。
非常に生きにくい言葉を持つ文化だな。
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