無責任だなんだかだと言って責任論を発してる人を見かけます。
無責任な人も責任を結果として取らされてますな。
まぁ、言いたいことややりたいことをし過ぎてるから妬まれてる様な。
そんな気もしないでは無いです。
責任論を大々的に発してる人はなんだか責任がどうとか言ってるから何事も臆病になってて、何もせずに手をこまねいてる世間を作ってるのでは無いか、とすら思えるのであります。
ブラタモリが3日間だけ復活してますが、あのフワフワしたゆる~い印象が受けてる。
どうしてって、やはりなんだか無責任なフラフラ感がいいような。
無責任というと印象がなかなか伝わりにくい。
私は部外者的な行動パターンと言おうか、異邦人的な、旅の途中的な過ごし方と言おうか。
そういう生き方もあるなって感じでしょうか。
生き方というと、別物になりますけれど、それでもいいんじゃないか、と。
あるがまま的な?
責任論とは別の次元ですな。
確かに生きる事には責任が伴います。
でもね。
いつもいつも責任がどうとか言ってると、怖くて何もできないでしょ。
タモリさんはイグアナの真似とかしてて、芸風はとてもいい加減な印象で売ってきた芸人?
芸人とも違う。
芸というよりも、自信を持って取り組んだいい加減なモノゴシが受けた様な。
四カ国後麻雀も面白買ったしね。
日本中のみんなに、普通とか当たり前とかの矛盾を指摘し続けたような。
彼は英語が堪能だとかでも無い気がしますが、記憶力がすごいのは時々やってるゲームでも知られてますな。
なのに、好きなことだけに特化して生きてるような。
そんな気がするのです。
そこをいい加減と言えば、いい加減。
自分に正直に、自分に素直に、といえばそうでしょう。
自分自身に向かって真面目に生きている人。
黒柳徹子さんなども似てる。
やりたいようにやってる。
だからと言って、無責任ではない。
でも、大胆に生きてる。
自分を責任で押し殺すような雰囲気がない。
だいたい、責任って、何?
不慮の事故で誰かを死なせてしまったりした場合、責任取れっても、生き返らせる事ができない以上、責任なんてないに等しくないですか?
結局は被害者と言われる側の気持ちをちょとだけ解消に向かわせる、それだけでしかない。
100%スッキリすることはあり得ない。
責任なんて取れっこないのはないですか?
結局それは無責任でしかない気がするのです。
ちょっとだけ心のストレッチするだけの運動のような、その程度の行為をして終わり。
ならば、責任を取れ!って叫ばれてるのも同じ感じです。
無責任ですよね。
みんな無責任でしかあり得ない。
無責任にも結局は責任がくっついてて、それはそれで生きるしかないんじゃないかと思うであります。
私は幼い頃からずいぶん、無責任な人だと思われてて、それでイイやって思ってました。
でもある年齢になって責任を強力に求められて、そして疲弊して怖くなって、責任感がないから好きなことややりたいことはできない人になりました。
だから、鬱積した感情を独り言のように呟くようになり、気味悪がられてます。
2000年ごろから匿名性のインターネットに書き込むようになり、でも、それでもやはり責任を求められる世界だと知り、沈黙がベストだと。
しかし、やはりそれでは心が壊れそうで、時々、いや、しょっちゅう過激な言葉を求めるようになってしまってます。
これが嵩じると、秋葉原連続殺人や、西鉄バスジャック殺人にとながるのでしょうね。
彼らの気持ちがよくわかる。
その前にも、あった事件(詳細は書けませんがも、実際には私の代わりに起こした事件だな、と感じる出来事もありました。
生きることに迷って、そして起こしてしまった事件。
狂った心は社会の正常から外れても、それが理解できなくなります。
でもって、結果、自分の命をも死なせてしまった。
死んだヤツの事を「悪いヤツ」と言った世間。
でも、私は狂った彼の環境に陥れば、私も同様だと知ってます。
同じ環境で、同じ心で同じ時期に生きてました。
そして、私が行動して死ぬ前に彼が動いて、彼が死んだ、それだけのこと。
今も、生きてていいいのかどうか、などと感じることもあります。
だんだんとその感情も無くなってはきてますが、やはり、時々狂う事があり、蘇る。
PTSDとか、そういう言葉の問題ではありません。
追い詰める人間の世界の矛盾です。
責任は取れない、でも生きていたら責任はづっとついて回る。
誰しも。
誰一人例外なく、責任が一緒にいる。
だから無責任でいい。
その気持ちくらい持ってないと、何もできない。
何もできないから、疲弊して、追い込まれて、死ぬしかない環境にまで陥る。
無責任の責任と一緒に生きる程度でいいんじゃやないか、と。
その程度に思うのであります。
いい加減な生き方しかできない私が今でも、まだ生きてる。
死んだ彼には申し訳ない。
事件を起こした彼、彼らは私の代わりに、みんなの代わりに面倒な事件を起こし、そして死んでくれたのですから。
彼にとっては、或いは彼らにとっては、私は通りすがりの異邦人なんでしょう。
そういう歌がありましたね。
無責任な印象ってそこらへんにあるようなそんな印象を持ちます。
ブラブラ生きてても、それはそれで良い。
無責任ですね。
だから植木等の「無責任男」も流行ったんではないかしら。
昔から変わらないこの印象。
その心の模様を今の時代は知っておいた方が生きやすい、と思う。
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