SNSに投稿された言葉は脳の中の世界をそのまま発信してるような、そんな言葉が飛び交う。
写真や動画も、今見たものをそのまますぐに発信してる様な、そんな印象だ。
スピード感を持って対処してる。
そもそも人の意識はさまざまな言葉や画像や印象が出ては消え 消えては出る。
頭の中はそんな花火が常に上がってる。
瞬間に見たものの連続だ。
車の運転などを想像したら分かるか。
道はどんどん変わる、次から次へと変わる。
歩行者もどんどん入れ替わる。
そういう時間を処理するのが脳の中の作業だと思う。
現代社会はその脳の中を次々とSNS,インターネットに挙げる。
それを情報という。
その情報の花火を次々見る、聞く。
そうこうしてると、何が何やら解かってるのか、或いは解ってないのか分からなくなる。
いつからそんなことになったのだろうか。
昔からそうだったろうか?
過去のメディア世界の場合はどうだったか。
例えば、小説の場合は作者が脳の中の作業で作り上げた作品を多くの人が分かり易い文章に手を加える。
それを紙面に活字として書き留めていく。
多くの人の校正を経て進む。
時間が随分とかかる。
紙面の中には多くの事が記載されてる。
そして、そこに無駄はないか。
不要はないか。
言葉の不足はないか。
言葉の選択ミスはないか。
など。
今はメディアのみならずテレビを観てても、多くの失言、誤字脱字などのミスが見て取れる。
思いつきをインターネットに軽く表現できるから。
それも誰でもできる。
可能な限りで言えば、幼児でも100歳超えてもSNSの中で多くの人に伝える事ができる。
フェイク情報満載で埋め尽くすことすらできる。
そこには見る側や聴く側が あっという間の時間で対処しないといけない内容が次々出てくる。
そういうSNSの世界に引っ張られてテレビも世間も現実も追従しないといけない世界になった。
処理スピードは半端なく上がってる。
言うなれば、支離滅裂な情報を瞬時に認識して判断しないとついていけない。
本当はそんなもの ついていく必要はないのに、ついていかないといけない世間になってる。
「時代についていけませんよ」
ついていく必要はないのに、着いていかないといけないと思わされてる。
そういう精神疾患でないといけない。
洗脳と呼ぶこともできるが、もっと深刻な気がする。
世界中の全てが、世界の中枢がそういう世の中を「是」としてるから、洗脳を解くことは「悪」になる。
みんなで進めば怖くない。
自分だけが違う道に進も方が怖い。
みんな一緒だし、怖くない。
だから誤った方向へどんどんと進んでる。
「時代についていけませんよ」
人の身体で処理しきれないのに、身体、頭が疲弊し切ってるのに そこに突き進む。
異常な世界が正しい。
そこは、理解できない事を理解したと判断する世界だから、みんな会話の中身がオカシイ印象が出てきてる。
本当のことは何か?、と思いながら考えて欲しい。
よくよく聞いてたらなんだか奇妙な事を喋ってる。
本当のことは何か?、と思いながら考えて欲しい。
どこかオカシイと思う事を平然と喋ってる。
本当のことは何か?、と思いながら考えて欲しいけれど、
聞いてる方も、それで良いと受け取ってる。
特に、日本の政治もアメリカの政治も、その他多くの国もオカシイと思うのだが、そこの異常の本質を指摘して口に出す人はほぼ居ない。
メディアもインターネットも何かオカシイ。
だから田原総一郎は「うるさい、だまれ」としか言えない。
前提が狂ってるから、会話にならない。
だから「うるさい、だまれ」なんだろう。
では、本当の事はどこにあるのか。
自ずと知れた所謂「自然」だろう。
ただし、作られた「自然」ではない。
本当の「自然」
そう言うしかない。
何故なら今、自然も気候変動でオカシクなってる。
もう全てが限界に来てるようだ。
地球そのものが精神疾患なら、リセットはなかなか難しいだろう。
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