66歳の貧乏なアルバイター

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

最近あまり元気がない

2021-04-07 22:29:48 | メンタル
とても足がだるく日常の生活でとても疲れる

年齢のせいなんだろうけれども体が動かしづらくなっている

今の仕事のように俊敏に体を動かさないといけないような労働は大変きつい

かといって今の自分のように何の資格も技術も取り柄もない人間には転職をしようにもなかなかまともな仕事は見つかりそうにない

それでも年齢がもう少し若ければ資格がなくてもできそうな事はあるのだろうけれどもうすぐ63歳ともなると今の会社でももういらない存在になってきているのは明白である

むしろ多くの企業や中小企業もそういった高齢者からリストラをどんどん進めているような情報をネットで見にする

自分が逆の立場ならおそらく同様の手順を進めていたに違いない

高齢者たちは何をしたら良いのだろう

さっさと死んでしまうかのらくらやれる仕事をするのがいいのじゃないかと思う

あと3ヶ月くらいで「特別支給の老齢厚生年金」がもらえる年代になった

しかしそれでも今のパートの給料では生活を維持していくにはあまりにも少なすぎる

今までひと月100,000円ちょっとのパートで生活をしていっているのだけれど2倍ほどの生活費がかさんでいる

2倍で済めばいい

実態は約3倍ほどかかっている

なので退職金やら今までの貯金やらをどんどん食いつぶして行っている

「特別支給の老齢厚生年金」をもらえるようになっても赤字生活は止められない

貯金を増やそうと思っているわけではないがせめて生活費トントン位の所得が欲しいものである

しかし体がこういうことを聞かないようになってくると仕事に対する意欲もほとんど消えかかっている

生活を根本的に変えたいと思うのだけれどもそういうことを嫁さんに言うとひどく落ち込んで死にそうな顔をする

こっちもとても落ち込んでしまいふさぎ込んでしまい病気になってしまいそうな状態になる

かといって避けて通れないものなのだけれどもそんなことを言い出そうにも(そんなことを言うな)と一蹴されるのである

どうにかしろと言われてもどうにもならないからそれを伝えると そんなことは聞く耳を持たないと言う感じなのである

こんなブラック企業家庭は終わりにしたいとも感じる

誰にも何も言わずに人生終わりの旅に出たいなぁと日々思いながら生きている状態である

そこまでくると何かとんでもない不祥事を起こして一生刑務所にでも放り込んでくれると楽なのになぁとか、この世から消えてしまいれば楽なのになぁとか感じるようになる

いつまでも桜が咲いているわけではないのにその桜をずっと追い求めていていつまでも桜が咲いていてほしいと願い それが当たり前だと信じ込むようになってしまう生活はおかしいと思わないのだろうか

今の日本人の生活そのものが根本的におかしいと感じる

日本人だけではなく世界中の現在の文化がとても危険で、戦時中の様な昔の文化になっている

もういい加減終わりにしてほしいとすら感じるのが正しい感覚なのではないだろうか

イジメや仕事で自殺をする人の人数がコロナ禍の中で少し減ったといわれるが それ以外の原因、例えばお金、孤独での自殺者はたくさんいる

コロナが引き金にはなったとは言え生活費不足であろう 

現代社会の生活についていけないで自殺する人がすごく増えているのではないだろうか

いっそ世界中で核戦争が起こって10000年ほど人類が住めなくなる世界になった方が地球上の環境は良くなるのではないかと感じてしまう

なんとなくそういう感覚は多くの人が感じ取っているのではないだろうか

私自身は自分が異常だと思っていて生きているけれども本当は自分が1番正常ではないんだろうか

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最近鉛筆やボールペンで文字を書くことができない

それではとパソコンに文字を打ち込むと思ってもそれもなかなかできなくなっている
2~3行ですぐに疲れてもういいやとなってしまう

なので最近はiPhoneのSiriに言葉でぶつぶつしゃべりながらこれを登録している

便利な時代になったなぁと感じるけれど異常な時代になったなぁとも同時に感じてしまう

今の世の中の変革期、私はどうして生きていけばいいんだろう

若い時もどうやって生きていけばいいのか色々と悩んでいた

きっと死ぬまでこの悩みは尽きないのだろう

お釈迦様はこれを煩悩といった

だからそんな事は何も考えず目の前の何かにただ単に没頭することだけを考えるといった

座禅を組んで頭の中を無にしろと言う

まさしくそれは植物になると言う事と同じだな

屋久島に生息する縄文杉はまさにそれなのだろう

本来なら大自然にのみ命を委ねてそれに従うそういう生き方が植物の生き方なのであろう

それを破壊し自然に挑戦し続けるのが人間なのだろう

人間も含めて植物も動物も自然から作られた自然の肉体、自然のカラダで生命を宿す

それを否定するとどこに向かうのだろうかと考えてみる

結局人間は消滅して情報だけを身にまとったメカニックな生き物とは呼べない、そういったプログラムだけが残ることになる

それが宇宙空間や未来や過去をタイムスリップしてこの宇宙をどんどん破壊する新しい生命とは言えない生命体となるのかもしれない

そういった生命の常識を超えたカンブリア爆発が起こりつつあるのが現代社会なのではないだろうか

機械と情報とプログラムだけが残る未来の副産物

それはイエスでもノーもない

結局は自然から発生したがん細胞的な奇妙な副産物なのであろう

通勤のため駅に向かう道すがらiPhoneに向かってブツブツとしゃべりながらこれを登録している

まさに時代の副産物

奇妙な存在は他人事ではなく私自身そのものなのだろうけれど





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