私は定年前に前もって定年後の仕事の準備はしていませんでした。
現在は再雇用制度でパートで働いていますが、仕事が体力的にハードな会社なのでかなり厳しいです。
キツイからと言って 今から何を言っても時間は戻りませんし、今後の事をもう考えなくてもいいわけではありません。
転職なら体力に合った仕事が良いですね。
私は十数年前にバセドウ病を患ってから筋肉がげっそり落ちました。
その病気の時は朝寝床から起きるのもできないくらい酷かったです。
今は身体は普通の生活を送っていますが、回復したのは筋肉ではなく 贅肉がついてしまって体力は全くありません。
それに 病気からの回復が不完全な状態で日常生活に戻ったため少し動くとスタミナがなくすぐに疲れます。
気合いと根性で頑張っていても良い仕事はできずに、やはり気持ちがついていけずに精神疾患に陥りました。
それなのに50歳頃から単身赴任を8年間続けました。
仕事も巧くいかず、孤独感も加わったからなのか、その辺りはわかりませんがとにかく考えが堂々巡りすることが多かったです。
その後、やっと定年を迎えて家族とはひとまず一緒に暮らせるようにはなりました。
ただ、息子は既に社会人になり大阪で一人で頑張ってます。
娘はなんとか一緒にいてくれてます。
もともと転勤族だったので定年まで社宅暮らしでした。
定年後もそのまま職場のある福岡で暮らしています。
なので、今も借家です。
会社は中小企業だったので退職金は安い中古のマンションも買えないくらいの額でした。
出ただけマシと思うしかないですね。
今の仕事も体力的にいつまでできるかわかりません。
かといって、他にでき仕事を探すのはおそらく難しいでしょう。
息子もまだ28歳ですから、親二人を養うほどの金銭的な余力はないです。
でも、扶養に入って短時間のアルバイトをして生計を立てるくらいはできるのかなとも思います。
今は、25歳の娘が同居です。
家計は少しですが負担してくれます。
でも、それでは赤字。
毎月約7万円くらい貯金から回してます。
退職金が枯渇するのはいつになるかはわかりませんが、年金受給できるまでは持つのではないかな?
でも、あと4年後に開始予定の年金金額を計算したらやはり家計は赤字です。
だから 老後、2000万円不足するっていうのは計算上では理解できます。
でも、本当は無ければ無いなりの暮らしをすればいいんです。
それができないのは、会社員暮らしの時の暮らしを変えることができないから。
若い頃の様な暮らしをずうっと続けることはできないのに。
人は生きてれば老化します。
老化すればそれなりに疲弊します。
なのに、無理して若さを買い戻そうとするんでしょう。
自分の変化を受け入れられない。
変化といえば、
91歳の私の母は田舎で一人で生活してました。
先日、救急車で運ばれて病院に入院しました。
肺炎でした。
歩くのもままならない母は、もう一人の生活は無理の様です。
なので、施設に入る事になりました。
それまで、たとえ高齢でも自分の家で暮らしたいと譲りませんでした。
でも、流石に今回は施設の入らざるを得ないと理解した様です。
理解できる時期は自然に来るのでしょう。
でも、それまでの思いは何処に向けたらいいのでしょうね。
思いに持ち堪えれらる体力も必要です。
その精神力は体があってこそだと思います。
もう少し身体を鍛えたいな、と思います。
そうして、自然に抗わないっ暮らしをしたい。。
そう思います。
今は、何だか、無理をしてるって感じつつその無理をやめられない。
やっぱり、無理をしてるんだなぁ。
でもって、「無理が通れば道理引っ込む」という諺の様に「無理」が「当たり前」になってしまってるんでしょうね。
わたしには なんだか日本人にはそういいう傾向がある様にも思います。
間違っててもそれが正しいと思い込んでしまう。
暗示に掛かり易い。
周囲に迎合する。
自分が無い、か、自分というモノが薄い。
信念がない。
だから、一神教の神ではなく、多神教も神に救いを求める、、、、、
考えが抽象的で混乱しそうなのでこの辺で考えるのをやめます。
思考回路が壊れた古いパソコンみたいになってきてます。。。
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