66歳・まだ旅の途中

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

土地の話

2022-04-11 21:04:22 | 暴言

岩国の広大な土地が中国人に買われてて、そこに巨大なソーラーパネル群ができてるそうな。
そして国の補助金で発電された電力が中国のために使われるそうな。
そうですね。
全国が既にヤバい状況です。

そもそもが、我が家の田舎の土地も売れない。
そう思っていたら謎の中国人が高く買ってくれるらしい。
そうですね。

どうせ私も、残った人生、そう長くはない。
死んだ後のことは知らない。
ならば、中国人に売り飛ばして残りの人生を楽に生きた方がいいのかもしれませんな。
まぁ、売っても大した金にはならないから数ヶ月分の生活費程度か。

それでも死活問題を考えてる人間にとったら避けられない環境。
自分だけじゃないよ。
戦争をしてる国なんて、こんな次元じゃないでしょ。

もっと根本的な事で生きようと頑張ってる。
売れるものなら臓器でも売ってしまえ。
そこまで生きたら偉そうに言ってもイイかもね。
「自分は生き抜いた」って。

殺し屋プーチンは暗殺屋に狙われれてるらしい。
だから殺される前に殺すしかないらしい。
誰を?
狙ってる奴ら全員を、です。

そのくらいに考えたら、今日の平和な殴り合いくらいどうってことないでしょ。
罵詈雑言で済むならどうってことないでしょ。
どうせ、私の命も大したモノじゃない。
かる~いモノですよ。

だから、楽~に。
もっと
楽~に。
嘘も騙し合いも、別に構わないじゃない。

私の人生は重くない。
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いまだ賃貸に住んでます

2022-04-08 21:18:14 | 暴言

わたしは転勤族で所謂流れ者的な人なので家を購入する様な考えがありませんでした。
その上、田舎には父親が建ててくれた二階建てのソコソコの家がありました。
今も戸籍はそこになってます。

畑や田んぼも私名義になってるものが2つ位ありました。
30年前に建てたもので、30年間で10回くらいは寝泊まりした日があった様に記憶してます。
まるで別荘。
ここ3年間はコロナもあり全く帰っていません。

30年。
それもほぼメンテナンスもせず。
先日、久々に見てみるとかなり無惨な印象でした。

私には田舎に近い街に兄が住んでます。
兄はそもそもの実家や山や田畑を多く相続し所有してます。
なので、時々その面倒をみるために田舎に頻繁に行き来してます。

先日、私名義の家や田畑を兄に渡すことにしました。
30年間、手付かず、ほぼ新築(と言っても30年前のもの)です。

なぜ?

おそらく、今後住むことはないし、メンテナンスに田舎に行き来するには距離にして500キロの道のりは遠過ぎる。
さらに奥様は田舎拒否者。
まぁ、固定資産はゼロベースですから売ろうにも買い手はない。

兄の気持ちも、半分は「困ったもの」でしょうけれど、今の土地などと比べたら少し増えただけの資産です。

と、そこからです。
では私自身の今後の生活はどうなの?

賃貸でこのまま生きてくんでスカ?
さぁ。
まだ、何も考えてません。

今年、もうすぐ64歳。
生活費を計算したら既に破綻してます。
貯金はほぼ無い状況です。

あばらやに引っ越しするっきゃない、と言うと奥様の逆鱗にふれる。
まるで、プーチンに事実を報告できない取り巻き幹部と同じ。

そのうち、粛清されるかもしれませんなぁ。
まぁ、それならそれで良いんですけれど。

田舎の家をリフォームして住んだら全て解決する様なもの。
簡単なもの。
なのになぜ?

そこに人間の不可解な生き様がある。
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戦争が長引いたら日本の家庭にも大きく影響するそうですね

2022-04-07 20:49:54 | 暴言

だいたい一家庭に5万円くらいの経済損失が見込まれると聞きました。
それじゃあ、生活できないよ。
でもって、ものの値段の値上がりが続くらしいですから、高度成長期前くらいの生活に戻るのかもしれません。

そもそも、ロシアが北方領土を占領しに来た時にも、今のウクライナと同じくらい残忍な目にあってるらしいですね。
戦後、アメリカが優しく対応して高度成長期に向かわせてくれたことで日本人は世界は優しさで出来てるってメガネで見てますよね。
だから、震災の時の死体の山もメディアには見れない様にする国になってます。
現実がどれだけ悲惨かを見なくて済む世界を作ってます。
平和が一番ということはそれで良い。
でも、現実の悲惨な光景を見せない事は、やはりある意味「うそ」になりませんか。
ロシアの国内ではプーチンは正しいとされてて、それがマスメディアで流されてる。
中国でもそう。
香港は香港市民が選んだ政治になったと言っててそれが中国国内では正しいとされてる。
むしろ日本人は悪い民族、野蛮な歴史を持つ、性悪の国民だと教育されてるし。
私たちは世界で唯一の核爆弾での被曝を受けた世界一平和を望む民族国家くらいに思ってる。
本当にそうかどうか?
真実の映像を隠したり見せないで、そう言い切れるのも何だか疑問を感じます。

それはともかくも、
第二次戦争後、昭和天皇が国民のために降伏して生き残らせてくれたけれど、
次に日本の国土が ウクライナのような戦場になったら、以前のように、「正しい戦いならば戦うぞ!」という気持ちになれるのかどうか?
みんな、ただ、「助けてくれ~!」って逃げるだけの状況にならないんだろうか、と。

アメリカだって、ベトナム戦争時には徴兵制で戦わざるを得なかったアメリカの若者たちが居た、と。
大勢の若者が戦争の正義と矛盾を考えながら現実と向き合った。

日本には徴兵制度は無い。
まぁ、それは無くてもいいけれど、いざ、そういう現実に直面したらどうなるんだろう。
その時を迎える覚悟はあるのか?

戦いはダメだ、って言ってるだけで、我が父、母、兄弟、息子、娘がボロボロに骨を折られ、生きたまま焼かれて、殺されるような、そういったロシア兵が、北方領土でもやっていた事をただ見てるだけで、終えられるのか?

自分の気持ちに素直に向かって考えてみる必要があると思うのであります。
その上で、まだ、戦いは悪だ、戦力増強をしてはダメだ、と言い続けるのか?

そういう気持ちが最近大きくなってます。
しかし 私は今年64歳になる身。
その上、さまざまな不具合で身体が動かなくなってるから、戦争にいってもおそらく足手まとい。

だから、せめて、戦争直後の生活に戻る未来であっても、敢えて受け入れる気持ちを持とうと、考えてる今の自分がいます。
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かつての私が消えた

2022-04-07 14:09:17 | 暴言

30年前に上司に辞表を出したところで既に終わってたのかなぁと。

それよりももっと昔 ジャズ喫茶でたむろして雑談してた頃の環境がむしろ良かった。

それが平和だからって意味ではないよ。

高校大学の頃 自分のルーツはいずこへ?

くだらない人間だったけれどね。

今は 目の当たりに感じられる現実が遠のいてる。

情報社会、メディア中心で意識優先の世界は今ここにある世界じゃないから。

目の前で起きてるくだらない俗世間が現実のこの世だろ。

低俗な現場だと言われても 雑な現実世界こそが生きてる実感を得られる。
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発達障害

2022-04-06 22:15:38 | 暴言

一つは細かく意識しすぎな面もあろうか。
昔からおかしな連中は大勢いた。
ただそれを正式な病気と言ってなかった。
おかしなやつ、あいつは狂ってる、などとは言ってても、だから実際に病院に行くには明らかば犯罪行為をしたような人だけ。
今は、少しおかしいなと思ったら病院に行って病気です、と言ってもらう。
そこでの判断の一つが発達障害な気もする。
今までも同じ経路を辿ったらもっと多くの発達障害者がわんさかいそうな気もする。
ただ、今更ながらに調べはつかない。
会社の社長や政治家や有名人はほぼ発達障害ではないか?
つまり普通の一般大衆とは違うから。
あまり細かく区分けしなくても良いような気がする部分もある。
ただし、明らかに早期に判断してやることは必要な奴もいる。

発達障害

一つはコミュニケーション能力開発ができていない。
人は成長の過程で様々な意識を得ていく。
そこで核となるのが自分以外の人との関わり方。
それを正常な手続き、方法を会得しないで成長したら結局は発達障害となるのではなかろうか?
現在の教育はコミュニケーション能力よりは雑学の記憶が中心になってはいませんか?
自分以外の人との関わる方は年齢や交わる世代間などによっても違う。
幼児、小児、青年児、成年、老年など様々な人との関わりを学校で教育しない。
いや、できない。
昔の大家族ならば放っておいても会得できた。
人は一人では生きられない。
必ず誰かと関わる。
ならばその核と言える対人方法の教育が最重要な教育ではないか?
おそらく、高度成長期の日本の社会からそういう間違った教育が発展したように感じる。
自分自身もその中の一人。
それは動物との触れ合いも影響がありそうにも思う。
ペットというものはそもそも何を目的としてできた文化なのか?
飼い犬のは飼い犬の生き方があり自分の存在意味が自己に持たされる。
ペットはだたのおもちゃに近い気がするから。
あなたのためのペットであるならば、自己の自由も生きる権利もそのペット本人(?)には無い。
当然、生き残り合戦の世の中であるから、ペットという文化を作ったからにはそういう世界が存在意義を持つのだろうけれど、それがなければどうなんんだ?という軽い命に導かれても止むを得ない気がするからである。
軽い命。
人もそうなってませんか?

だから発達障害の前に、あなたの命すら軽いものの一つに成り下がる。
コンピュータ、アプリ同然に決まりきった行動を取れない人間は人の世のプログラムから外さなければならない。
私は私では生きていけない。
人の世のアプリに沿った機能を持った一つの命にならなければならない。

結局は自己の意識を強く持ったら生きにくい。
当然そうなる。

何だか、仏門にでも入らなければ生きられない気がしてきた。
ヤバいよヤバいよ、は世の中の時代を反映した言葉なのかな。

既に、人間社会そのものが生物というものの一つであることを放棄したのかもしれないな。
機械の身体と意識を持つべく邁進してるよなぁ。
既に私もサイボーグ(細胞具)の一つか。
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