犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

左官老い行く

2023-11-07 20:11:18 | 日記

今年も無事に、師匠のお宅で炉開きを迎えることができました。
唯一の二十代だった社中の女性が、この春、遠方に就職してしまったので、今年の炉開きは一気に年齢層が高くなったような気がします。時候の挨拶の次に、遠慮なく身体の不調を披露しあうのが、いつものことになりました。
老いというものは、こんなきっかけで顕然化するのか、などと思うと可笑しくもあります。

稽古場の待合には、松尾芭蕉の句を書いた色紙が掲げられています。

炉開きや左官老い行く鬢(びん)の霜

今では茶道の世界でしか認識されることのない炉開きは、芭蕉の生きていた頃には、冬支度の一大風物詩だったのでしょう。炉開きの準備をする左官たちが、町中を忙しそうに駆け回っていたのだと思います。そうしてすれ違った左官の鬢には、気が付けば白いものが混じっている。老いというものを意外なきっかけで見つけた芭蕉が、冬支度をする町の様子に溶け込ませるように詠んだ一句です。
冬支度をする町も、老い行く左官の白髪も、決して淋しいだけのものではなく、同じ時間と空間を共有する者の、懐かしさのようなものがにじみ出ています。

炉の稽古を始めて、こんなことを感じました。
炉の釜の湯はこれまで見慣れた風炉の湯よりも、ずっと目線の下の方にあって、茶席の全体の目線が下に注がれるように感じます。それでいて釜の蓋を開けると湯気は勢いよく立ち登り、柄杓で湯をすくうと湯気のダンスがちょうど目線のあたりに漂うのです。炉の醍醐味は、温かさを共有することもさることながら、湯気によって創り出される贅沢な空間演出を、共有することなのかもしれないと思いました。

実際にその只中に入ってみて、見える景色の新しさに気付く、そういう意味では、老いというものは炉開きに通じるところがあるのかもしれません。「炉開きおめでとうございます」と社中の皆で声を合わせるのも、新しい世界に入っていくための合図なのだと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする