大空を見上げて

日頃感じていること

男の絆(群3中隊)

2012-04-09 | Weblog

 私が習志野の空挺学生を卒業、晴れて落下傘隊員になり群3中隊(同期30名)に配属されたのは19歳の時だった。
自衛隊の最強部隊習志野第一空挺団中でも、地獄の群3中隊の厳しさは当時有名であった。
荒っぽい血染めの歓迎式は伝統でもあった。
群3中の中隊長は林3佐(少佐)で、日本の空挺、及び富士レンジャーの他アメリカのテキサスレンジャー(グリーンベレー)をトップで卒業。(USA記章、記念品に最新式の拳銃贈られ帰国後所属中隊の武器庫に保管)
私が初めて隊長を見た時、身長1m80cmでスラリ。
顔は細面で鼻ひげが似合い、胸に空挺記章及び日米のレンジャマークをつけ格好良く、外国の映画俳優の様に見えた。
最初の隊長の訓示は、「いろいろ規則、決まりはあるがすべて守らなくていい!俺について来い!」だった。
例えば「外出してやくざ、与太者とトラブルになったら絶対負けるなとことんやって来い」など。
当時船橋は飲み屋街が多くチンピラ、やくざ者の町と言われた。
空挺隊員の外での喧嘩は各週刊誌を騒がせた。
北海道の演習で風が強く、降下中止の指示があったが私達一番機同乗の中隊長は「何だ、こんな風、俺に続け」と真っ先に飛び降りた為、隊員は全員飛び降り二番機、三番機と他の中隊も後に続き1500名の隊員全員降下した想い出がある。(20~30人骨折又は軽傷がでたが問題なし!中隊長談)
まだ話題は山ほどあるがちょっといろいろ問題がありブログには書けないのが残念。
「三和会記念品」

その群3中(三和会)としてOBや現役の親睦会が先週土曜日19時船橋のホテルで盛大に行われた。
日本全国から集まったOB達。四国出身の壮烈鬼隊長林3佐は3年前亡くなった報告があった。
葬儀に行った人から、正面の写真は鉄兜をかぶっていたとの報告があり、隊長らしいといろいろ思い出し、語り合い武士魂を感じながら強者を偲んだ。

今回、群3中隊の現役隊員は海外派遣で二年前イラクに派遣勤務後東日本災害で福島へ、又ジブチ共和国への派遣で今年無事二月帰国したばかりで日本国の為本当にご苦労様と頭の下がる思いである。

又この度の我々OBの為この会に参加し格闘技、ダンス、漫才など催し物などで盛り上げてくれた。
最後は現役OB共に300名全員20歳から80歳まで、上半身は裸で肩を組み「男の絆」を感じながら群三中隊歌を歌い、10時に又の再会を楽しみにしてホテルを後にした。
             

コメント (11)
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