ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の習俗(2)

2024-05-17 21:24:20 | 水戸

 子どもが生まれて3日目を三ツ目といって、ぼた餅を作って産土神(うぶすながみ)に供えたそうですが、そのとき、1つの石をその上に置くことを慣例としたそうです。7日目は七夜といって赤飯を炊いて産土神、井戸、厠(かわや)等に供え、産婆が子どもを抱いて氏神に詣でたそうです。写真は、大井神社にあった産土神の石碑です。産土神は、生まれた地を守る神だそうです。(出典 水戸案内)

 

 子どもの祝は、七五三の外に、9歳のときに男の子は褌(ふんどし)をしめるというものがあったそうです。褌は伯母が贈ったそうですが、武士のある程度以上のクラスの習俗だったようです。(出典 常陸国水戸領風俗聞状答)

 

 水戸の士族の子どもは13歳になると、十三参りといって、村松の虚空蔵尊(東海村村松8)に参詣するという習慣があったそうです。写真は、村松虚空蔵尊の鐘楼と本堂です。(出典 高橋箒庵と水戸)

 

 婚礼で、婿入り(むこいり)のときの引出物は刀だったそうです。この場合、引出物とは、嫁方が婿方へ贈る物だと思います。安土桃山時代は、嫁入りのときに、嫁方が聟方へ、鎧(よろい)、太刀、馬を送るという習俗が武家であったそうですが、その名残りなのでしょうか。写真は二の丸跡にある徳川頼房像が差している刀です。(出典 常陸国水戸領風俗聞状答)

 

 水戸では、葬式で、武士は儒教式に葬儀を行ったので、火葬はなかったようです。武士以外では、一向宗に火葬が多かったそうですが、他の宗派でも火葬があったようです。(出典 常陸国水戸領風俗聞状答)

 

 水戸地方では、溺死した人のお墓には、墓参の際に、水を掛けないという習慣があったそうです。写真は、中河内の共同墓地にある、雨乞いの際に溺死した人を殉死者として刻んでいる石碑です。(出典 水杜創刊号)

水戸の習俗(1)

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水戸の椅子(18)

2024-05-16 21:20:00 | 水戸

中原不動尊(中原町786)
 コンクリートで枠を作って、材をはめ込んだようなスタイルの長椅子がありました。面白いかたちだなと思いました。

 

水戸駅構内(宮町1)
 提灯の町・水戸だけに、提灯形の椅子もあるようです。何だろうと一瞬思う、たいへん目に付く椅子です。最上部の座るところにも黒があるともっと提灯になりそうですが…。

 

水戸市植物公園(小吹町504)
 材木を縦に使った椅子が水戸市植物公園の植物館にありました。座り心地を確かめて来ることを忘れてしまいました。今度行ったときに座ってみようと思っています。

 

駅北口バス発着所前(宮町1)
 椅子に足をぶつける人(酔っぱらい?)が多いのでしょうか。緩衝材がつけられた椅子が並んでいました。私の部屋にもあちこちに貼ってあります。

 

水戸黄門神社前(三の丸2)
 黄門神社は義公祠堂(ぎこうしどう)というようですが、その参道脇にある長椅子です。これは、マンション建築業者や周辺居住者、水戸市が協議して作られたというコミュニティ広場に設置されたもののようです。写真左上に見えるのが水戸黄門神社です。ちなみに、義公というのは、徳川光圀(水戸黄門)の、死後に贈られた諡(おくりな)だそうです。

水戸の椅子(17)

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水戸のお寺にある掲示板(6)

2024-05-15 21:38:56 | 水戸

難の無いのは無難な人生 難が有るのが有難い人生(蓮乗寺 元吉田町2705)
 わかりやすくて、しかも上手に対になる語が並んでいて、言葉的にもきれいな法語のようです。(撮影R1/9)

 

仏が光を放つのではなく 光が仏である(報仏寺 河和田町887)
 仏が発する光を光明というそうですが、それをいっているのでしょうか。光明を仏の象徴とみたということなのでしょうが、なんとなく、山や石を神とみる日本的な考え方も感じます。(撮影R5/10)

 

誰でも悟りの花を咲かせることができる あなたにも(勝幢寺 渡里町2800-1)
 「誰の心にもある仏の種を育てれば花が咲く」といった表現を思い出します。(撮影R6/3)

 

いのちだって いつかは おわりが くる でも わたしたちが であえて ともだちだって ことが きえる わけじゃ ない(浄安寺 緑町1-13-22)
 木村裕一作・あべ弘士絵の絵本、「あらしのよるに」シリーズ中の「ふぶきのあした」にある言葉だそうです。(撮影R6/4)

 

獅子王は 百獣に 怖じず(本行寺 上水戸4-8-1)
 日蓮の「聖人御難事」にある言葉だそうです。大難をおそれずに獅子王の如く立ち向かうようにと信徒を励ました言葉だそうです。日蓮宗にはこうした強い言葉使いがよくあるようです。(撮影R6/4)

水戸のお寺にある掲示板(5) 

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水戸の弓(3)

2024-05-14 21:35:15 | 水戸

東照宮行列(出発地点、水戸一高前庭 三の丸3-10-1)
 徳川家康を祀る東照宮(宮町2-5-13)の祭礼なので、藩は力を入れたようです。正保2年(1645)には、行列に参加する風流物の費用にと、町人に籾(もみ)1000俵を支給したそうです。寛文12年(1672)には20騎の騎馬武者が神輿に供奉したそうです。たぶんそれに多くの家士なども従ったのでしょう。写真は、令和3年に行われた「水戸御祭礼行列」で、弓矢を持った武士の行列部分です。背後に見えるのは、水戸城の薬医門です。

 

水戸八幡宮(八幡町8-54)
 かつては馬から射る流鏑馬(やぶさめ)がおこなわれていたようです。今は、歩射という、歩いて的の所へ行って矢を射るという形をとっているようです。江戸時代、藩主が上覧したときには、神馬と刀が奉納されたそうです。現在、水戸東照宮には、門前に木製の神馬が入った厩があります。写真は去年の9月30日に撮りました。

 

護国神社(見川1-2-1)
 護国神社で去年11月5日に、弓を射る「蟇目(ひきめ)の儀・大的(おおまと)式」がおこなわれていました。魔を払う儀式のようです。矢は、音を出して飛ぶ鏑矢(かぶらや)でした。

 

大井神社(飯富町3475)
 境内にある絵馬堂には、比較的新しそうな絵馬がかけられていました。題材は、たぶん、扇を射落とそうとする那須与一(なすのよいち)なのでしょう。満願を祈って奉納された絵馬なのでしょう。

 

吉田神社(宮内町3193-2)
 随身門の中に置かれた矢大臣です。神社の門守(かどもり)の役割を持った神のようです。矢を負っているので矢大臣というそうです。

水戸の弓(2)

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水戸の芋菓子(2)

2024-05-13 21:22:17 | 水戸

 以前は余り見かけませんでしたが、最近はどの店でも芋菓子が一品はあるといった感じです。茨城県は、焼き芋だけではなく、芋菓子も名産になってきているのでしょう。

 

スイートぽてと(ひろせ 曙町10-8)
 スイートぽてとは、芋菓子の代表格でしょう。この店には、カボチャの焼き菓子もありました。

 

さつまいも饅頭(にいつま製菓 堀町2160-5)
 饅頭の上に、芋形の焼き印がおされています。芋餡が入った、さつまいもカリントウ饅頭もありました。

 

芋羊羹(いもようかん 五條製菓 姫子1-807-1)
 芋をたっぷり使ったように見える芋羊羹です。

 

スイートポッテ(亀じるし 見川町2139-5)
 温めて食べてもおいしいそうです。スイートポッテという名前は、今風で語感もよかったのでつけたようです。

 

リドゥ(グランネージュ 河和田3-2297-11)
 洋菓子店でも芋菓子が作られているようです。この菓子には米粉も使われているそうです。

水戸の芋菓子(1)

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