要介護5からの復活・菰野町周辺の四季

事故で脊髄の3.4.5番損傷。寝たきり状態から歩けるまでに復活。趣味の写真もまた始められるようになりました。

作業療法

2020-02-27 09:49:15 | 日記


簡単に言えば
理学療法と作業療法の違いは
理学療法は運動療法や物理療法で
筋肉や関節を動かせるようにすること。
作業療法は身体の機能低下や障害のある患者に
日常過ごす上での応用的な動作ができるようにすること。

2011年10月に寝たきりの状態で
リハビリ専門の病院に転院。

年が明けて2月頃には
曲がりなりにも自分の足で歩けるまでに回復。
これは理学療法の領域です。

並行して作業療法も施されていました。
ほんのわずかにしか動かせない
右腕を使っての食事が最初の作業。
それに付随しての歯磨き。
必ず三度三度の食事での作業。
毎日続ける内に右腕の可動域は広がり、
指の動きも少しずつ良くなってきて、
気が付くとスプーンを持って食事ができるまでに回復。

理学療法に比べると作業療法は
本当に地道な動作の繰り返しの療法です。
例えば、
洗濯バサミを網に取り付けて外すことの繰り返し。
小さな木の棒を穴に入れたり外したり。

全く動かなかった左腕や指も少しずつですが
動かせるようになってきました。

2012年3月。
療法は退院に向けての準備が始まりました。
療法ルームの一角には
退院したときの動線がチェックできるように
和室、ダイニングキッチン、浴室が設えてあります。


入浴のときは、もちろんOTさんがサポート。
OTさんは20代後半の女性。
脱衣場で自分で服を脱ぐところから始めて
シャワーを使って洗髪、体を洗って入浴
と、書いてみれば何でもないようですが
動くようになったとはいえ
左腕は肩より上に上がらない状態でした。

頭髪を洗うにしても体を洗うにしてもほぼ不完全。
極端な話、自分で洗うのは局部くらいなもので、
あとはほとんどOTさんに手伝ってもらいました。
背中に至っては全くのお手上げ。

風呂上りに体を拭くのも言わずもがな、です。
服を着てから居間に移動。
退院してからの疑似体験です。

健康なときには全く意識することなく行っていた
もしくは行えていたことが何一つ行えなくなり、
リハビリで少しずつ回復はしてきましたが
日常の何でもない行動の難しさを
嫌というほど思い知らされました。

それでも全くの寝たきりで、
リハビリを頑張っても
せいぜい車椅子の生活しかできない、
と言われていたことを思えば長足の進歩です。

2012年4月16日。
180日間のリハビリ入院を終えて退院。
転院したときは車椅子に移乗するのも
三人がかりだったのですが、
曲がりなりにも自分の足で歩いての退院でした。

担当のスタッフさんにはもちろん、
関わりのあった全ての関係者に感謝感謝です。






信楽

2020-02-25 11:55:39 | 日記


一昨日の土曜日、
「出没! アド街ック天国」を観ていたら
滋賀県の信楽に出没。

NHKの朝ドラ「スカーレット」に乗っかったのかな⁉
それにしても信楽もずいぶんメジャーになったみたいです。

私が初めて信楽を訪れたのは1974年頃。
記憶違いでなければ
TVのCMで千葉真一氏が初代カリーナで
信楽を舞台に「日本の秘境を行くシリーズ」なんていうのを
この時代にやっていました。

当時の私は鈴鹿市の住人で、
信楽へ行くには国道1号線で水口まで行って、
そこからいくつかの峠を越えて行くので
あながちオーバーなCMでは無かったのかも知れません。

信楽へ行く目的はコーヒーを飲むため、でした。
もちろん、行ったついでに
陶器を見たり買ったりはしていましたが。

当時の国鉄信楽線(現・信楽高原鉄道)の勅旨駅の近くに
「古壺」という喫茶店がありました。
鈴鹿から2時間ほどかけて行ってコーヒーを飲み、
信楽の街中を散策して
帰り道にもう一度コーヒーを飲んで帰る。
月に一度ほどの楽しみでした。

1969年、18歳のときに上京。
住み込みで新聞配達をしながら予備校に通っていました。
全学連の一番荒れていた時代で
早稲田大学の大熊講堂近くにあった
早稲田予備校に通っていたのですが
キャンパスの前にはアジを書いた看板だらけ。

今となっては言い訳でしかありませんが
そんな大学生を見ているうちに
いつしか予備校から足が遠のいて
自堕落な都会生活に染まってしまい
大学どころではなくなっていました。

上京して4年目、実家の鈴鹿に戻って
本田技研工業鈴鹿製作所に就職。
初代シビックの立ち上げで忙しく
中途採用やら、埼玉の白子工場からの転勤者で対応していました。

シビックの組み立てラインでの仕事でしたが、
そこでの白子工場から来た先輩に
連れて行ってもらったのが、件の信楽の「古壺」。

その先輩も私もコーヒー好きで、
普段は豆を自分で挽いて淹れていたのですが
「古壺」でコーヒーを一口飲んで完全にノックダウン。
一度でファンになってしまったものです。

1981年結婚。
回数は減りましたがカミさんと二人で
年に数回はコーヒーを飲みに。
その頃のカミさんはコーヒーが苦手で
バナナジュースが定番でした。
昼時ですとシンプルなバタートースト。
このパンも絶品でした。

結婚してからも「古壺」へは
行きと帰りに二度寄るスタイルは同じ。

興が乗るとマスターはマジックを披露してくれるのですが
これがまた素人離れしていました。
出入口すぐの左側、カウンターの端にレジがあるのですが、
いつも開けっ放し。
お客が勝手に勘定をしていくシステムでした。
「大丈夫なのですか?」
一度聞いたことがありましたが、
「めったに間違っていたことはないよ」。

やがて私に長女が誕生。
1985年、娘が2歳になった頃に連れて行った覚えがあるので
その時分までは確かに営業していたのですが……。

「出没! アド街ック天国」をカミさんと観ていて
独身の頃、新婚時代、子どもの小さかった頃と
懐かしく思い出しました。

リハビリは続く

2020-02-21 09:34:23 | 日記


2012年2月。
今にして思えばヨチヨチ歩き。
そんな私を5階まで階段を使わせるのに、
PTさんはどれほど気を使ったのでしょうか?

階段の同じスペースに一歩また一歩。
トントントンと上れば簡単なのですが。
しかもいつバランスを崩して倒れるかもしれないのです。
最悪、倒れて階段を転落なんてことになれば
PTさんの責任問題です。

そんなリスクを抱えながらも
PTさんは根気よく階段でのリハビリをさせてくれました。

一階でのリハビリも足を鍛えるのに重点を。
スクワット、低い椅子からの立ち上がり、等など。

3月になると車椅子を卒業。
歩行補助器になりました。

   (ダスキンヘルスレントより引用)

病室から食堂、トイレ、洗面所などへの移動が
ずいぶん楽になりました。

でも、相変わらず正しい歩き方には程遠く
一日が終わるころには足の太ももの前面がパンパン。

これは退院してやがて8年になりますが、
未だに解決できていません。
足がパンパンになることはありませんが、
正しい歩き方ができていないのは明白で
少し長く歩くと肩や腰が痛くなります。

週一回の通院リハビリ、週二回のデイサービス。
どうすれば肩や腰に負担のかからない、
つまり正しい歩き方ができるようになるのかが
今一番の課題です。

自然体……意識しないのが自然体で、
どうすれば上手く歩けるか
などと考えなければならないのが
自然体とは程遠いことの証明。

途切れたままの神経が繋がらないかぎり
ものすごく難しい課題なのかもしれません。

車椅子バトル

2020-02-17 09:07:40 | 日記
夕食後、自分のベッドに戻り
消灯までの時間をテレビを観たり
本を読んだりしてすごすのですが、
気分転換に食堂に行くこともあります。

病室から食堂までの廊下を車椅子で移動。
私の車椅子はフットレストを外した特別仕様。
普通は車輪の外側の金属部分を手で回すのですが、
私は手が上手く使えないので足で漕ぎます。
初めはフットレストを折りたたんだ状態で使用していましたが、
くるぶしが当たって切れてしまったことがあります。
しかも全く温痛覚が無いので怪我には気付きません。
足から血を流しているのに気付いた看護師さんが、
「どうしたの?」。

車椅子の折りたたんだフットレスト部分に
くるぶしの当たることが判明。
療法士さんがフットレストを取り外し、
ついでに通常の高さでは立ち上がるのが難しかったので
椅子の高さも変えてくれました。

これで廊下を食堂に向かうのですが、
当然、手で漕ぐよりはずいぶんスピードが出ます。

廊下を食堂に向かっている
ある患者さんを廊下で追い抜くと
何を思ったのか必死で追いかけてきます。
足の方が楽にスピードが出ます。
後ろに迫ってきて鬱陶しいのでさらにスピードアップ。
食堂に入って本を読んでいると、
「あんた、早いなぁ!」。

このお爺さん、廊下で私が抜くたびに同じことを繰り返し
同じことを言って感心していました。
かなり認知症が進んでいたと思われます。

日記風に

2020-02-15 09:01:48 | 日記


運転免許証の書き換えに津の三重県運転免許センターへ。
9時過ぎに受付。
A講習を受け、10時ごろに免許証の交付。

番号の最初の4桁は3071。
30は東京都公安委員会、71は1971年。
つまり、鮫洲試験場で免許の交付を受けてから40年になります。

帰り道に「結城神社」へ寄って梅の撮影。




左の木でメジロが遊んでいました。

600㎜で撮影したものをトリミング。
まずまずの写り具合!?

使用しているカメラはSony RX10M3。
いろいろあってこのカメラにしたのですが、
このところフルサイズ機に焦がれています。

このカメラの間に使っていた二機。

Sony NEX-7とCanon EOS-7D。

どちらも、APS-Cでした。
EOS-7Dは病気の後は重くて保持することができず
結局手放してしまうことに。
NEX-7は娘からのプレゼント。
ミラーレス一眼にズームレンズ二本。
6年ほど使い、重宝していましたが
シャッターの具合が悪くなったので
下取りに出して現在のRX10M3に至っています。

このカメラ1㎏以上と結構な重量があります。
つまり、今はフルサイズ機でも
十分保持できるまでに体力が回復していることになります。

何とか収入の道を考えて手に入れれたいなぁ!