川ちゃん農園だより 樹齢700年といわれる黄大銀杏と坂東十番札所岩殿観音本堂

農家の遊休土地をお借りしてはじめたものです。カメラも趣味ですので四季の移り変わりを記録して行きたいと思います。
  

川ちゃん農園だより 母校中央大学多摩校舎訪問

2011-03-29 22:20:45 | デジカメコーナー

われわれの学び舎は神田駿河台にあった。御茶ノ水駅を降りて白門をくぐり、通(かよ)ったものだ。数々の想い出はそこにあった。所は変わり、50年ぶり、多摩校舎を花見に事寄せて訪問する。立川南駅から多摩モノレールに乗って中央大学明星大学駅を下りると大学入口である。きょうは暖かい春の陽気、桜はまだ蕾である。われ等グループ白門七人会の面々勢揃い、門番の人にまず挨拶を、卒業を祝す看板も立っている。ゴルフ場ほどある敷地に建物9棟、耐震補強がなされている建物、わが後輩が学ぶ商学部は立派であるけれど見バイは良くなかったように感じる。正面入口に回り記念撮影をする。駿河台校舎より移築した白門を見学し、70翁は大学をあとにした。昭和53年(1978年)より校舎移転した緑豊かな多摩キャンパスも33年経過ますます発展しているようだ。高幡不動前のそば屋で蕎麦会席をいただきながらわが母校わが人生50年語りあった。<岩殿山荘主人>


<校内散策 11:52>



<正面入口記念撮影 12:16 >



<移築後白門 12:23>



<黄水仙 12:12>



川ちゃん農園だより 輪番停電

2011-03-24 19:07:13 | Weblog

計画停電により、停電を久しぶりに味わう。輪番制なのでいろいろ経験、最初は午前だったので  東電のやりくりが付いたとのことで停電はなくすんだ。次は昼からでの停電、冷蔵庫の中が心配程度で、畑の農作業で3時間が過ぎる。次は午後10時までの夜間、一杯飲んで早めの就寝、ふとんの中で時間をつぶす。次は7時までの夕食時、停電前までに食事を済ませたのはイイが、寝る時間でもない、畑で作業する時間でもない、時間のやりくりに戸惑う。停電で暗い。冷めたコタツで考えることしばし、老人大学OB会で東電の柏崎刈羽原発を見学した際を思い出す、化石燃料が枯渇する中で、炭酸ガスを排出せず、核燃料棒が五重の防御されているとの原発側の説明に、これからの電気はこれだと私なりに感じたものである。今回の福島第一原発事故で以後どう考えていいのやらまとまらない。震災前までは、大都会ではネオン輝き、まるで昼間のような明るさで夜景がTVの画面に映し出していた。。震災後は供給量が需要に応じ切れず、パンクすると大停電になるといわれ、計画節電にしたがっている。いったん満ち足りた生活は元には戻れないが、大震災でインフラが壊され電気水道通信が途絶えた被災者を思うに協力するのは当たり前と悟る。復興まで長くなると思われますが日本人のこころ、我慢、我慢できなければ爆発することにより、憂さを晴らしていただきたい。辛夷(こぶし)につづいて木蓮が咲く、それにしても寒さのせいか1週間ほど遅れている。<岩殿山荘主人>


<辛夷(こぶし)の花芽 12:32>



<白木蓮が咲き出した 12:34>



川ちゃん農園だより ウグイスの初音

2011-03-20 21:09:40 | デジカメコーナー

津波による東北・関東大震災、福島第一原子力発電所での爆発事故、世の中せっぱ詰まった大危機にあり心配この上ない。そんな中、ことしもウグイスの初音が伝わる。けさ農園の見回りとき、7時27分ウグイスの鳴き音が聞こえた。去年は確か23日とカレンダーには記してある。鳴き音はしっかりしている。初音を聞くと暗い気持ちが何かほっとする。鳴き声に聞入る。きのうまでの寒さから一転気温が上がっている。暑さ寒さも彼岸までという。あすは彼岸の中日である。この大震災にあわれた方々、寒さも峠とこれからは春の暖かさを信じてがんばっていただきたい。幸福の黄色いハンカチの代わりに黄水仙を贈ります。<岩殿山荘主人>


<黄水仙 10:11>



<10:12>



 


 


 


川ちゃん農園だより サンシュの木とつばきの花

2011-03-16 12:47:41 | デジカメコーナー

けさは6:50分より輪番節電となる。<その間近所にて撮影> 3日目にしてはじめて停電となる。われわれも協力していくつもりです。福島第一原子力発電所ではドエライことになっている。私らには中身はよく分からないが、6基中4基まで軒並み爆発している。2号機では放射能漏出もと新聞は報じている。保安院や東電では中央統制か現場とは離れてやり取りで説明がしどろもどろである、われわれ市民には非常に分かりにくい。本日付の朝日新聞の社説では「これは未曾有の国家的危機である。これを乗り切るためには、政府と国民、企業と市民、それぞれの信頼という綱(つな)を、しっかり結び続けるしかない、と訴えている。この危機にあたってあらゆる当事者が心をひとつにして乗り切ることが大事である。


津波よる大震災被害はお昼現在(3/16)では、死者行方不明者で11,000人を越えている、避難している人は約51万人という、これだけの大災害をいかに対処、仕切っていくか、それこそ為政者である政府と国民の信頼関係にほかならない。<岩殿山荘主人>


<サンシュユの木 8:33>



<8:38>



<つばき 8:42>



<8:43>



 


川ちゃん農園だより 東日本大震災

2011-03-13 11:27:48 | Weblog

2011.3.11 pm2:46 わたしは畑にいた。農作業をしている、地面が揺れる、電柱線が波打つ、棚田の上にある溜池の水が濁流となってあふれ落ちてくる。この歳になって大揺れの大地震の経験ははじめてである。国内最大のM8.8 東北沖から関東沖にかけての数百キロに渡って断層が動いたとのこと、TVではCMなしで連日報道している。瓦礫と海水が混じり合った津波が、濁流のように家を、畑を、道路を呑み込んでいく、掛け替えのない人間の命までも呑み込まれていく、きょうの朝日新聞天声人語では、「岩手県から福島県の太平洋岸では、水火に攻められ、ほぼ壊滅状態という、凍る街に船が転がり、畑に車が散乱する、逃れきた屋上は孤島と化した」と伝えている。町の人が撮ったビデオはさらに生々しい、押し迫りくる津波の物凄さである。さらには福島原発の爆発事故、与野党とも政治休戦により知恵を出し合い早めの復興を祈って止みません。<岩殿山荘主人>


<うめの花 12:48>



<12:49>



 


 


川ちゃん農園だより 牡丹の芽

2011-03-10 11:36:51 | デジカメコーナー

きょうも日中の気温は二桁に届かないという、風が冷たい1日になりそうである。庭には牡丹(ぼたん)の大きな冬芽が、蝶が羽化するときに小さくたたまれていた翅(はね)が伸びるような様である。鮮やかな赤い色はまるで炎のような感じさえする。きょうは下町を焼き尽くした東京大空襲から66年経つ、忌まわしい記念日である。わたしの父は戦争には行かなかったが、巣鴨に嫁いでいる妹の所帯荷物を荷車で引き取りに行ったことを今でも思い出す。その晩は東京の空が真っ赤だったこととも、当時国民小学校入学間近のことであった。<岩殿山荘主人>


<牡丹の芽 10:37>



<10:35>



<サンシュの芽 10:38 >



 


川ちゃん農園だより 啓蟄・春の越生の梅林

2011-03-06 10:00:48 | デジカメコーナー

ここ数日冬日がつづき氷がはった。早く春が来ないかなあ・・・でも三寒四温で一雨ごとに春の季節は廻ってくる。雨水(2月19日、雪や氷が解けて雨水になる)のころが過ぎて、きょうは啓蟄である。冬の間、土の下で冬ごもりしていた虫や蛙などの多彩な命が蠢(うごめ)き出します、どことなく春の気配は感じる。きょうは越生の梅林へ撮影に行ってきた。強風もおさまり梅見日和となる。丘陵の梅林から眺める山並みの稜線がくっきり見える。梅の花が太陽に反射してなんとも美い。満足の絵になった。<岩殿山荘主人>


<春の越生梅林 7:32>



<7:36>



<7:37>



<7:41>



川ちゃん農園だより 水温む弥生3月

2011-03-01 10:13:46 | Weblog

ここら辺りでは、雪柳の新芽がまた木蓮の芽が吹き出した。水辺では葦が芽を出しはじめます。今朝ほど水道の蛇口をひねり、温んだ水に春を感じます。水が温むのは春3月の証(あかし)、3日はひな祭り、13日は奈良東大寺二月堂のお水取り、中旬には彼岸に入り、「暑さ寒さも彼岸まで」で寒い日もあれば暖かい日もあって本格的な春に向かうのである。「犬の舌赤く伸びたり水温む」 高浜虚子 (長く垂れたる犬の赤い舌と温む水、何も関係がないようにみえて響き合う。)6日が啓蟄、例年20日前後には鶯(うぐいす)の初音が聞かれる。きょうも朔日参りをすませる。箭弓神社では春の行事、初午大祭の準備が整う、周りには入学合格祈願の絵馬やこの神社特有(箭弓神社を→野球にかける。)の野球バット絵馬で賑わっていた。<岩殿山荘主人>


<初午大祭の準備が整った箭弓神社 7:23>



<合格祈願の絵馬群 7:27>



<野球バット絵馬群 7:28>



<松山女子高奉納の兎の干支が掛かった本殿 7:29>