人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

5/25 高岡(17) 富山 ~岩瀬~

2023-06-20 05:00:00 | 旅行

5月25日(木)午後、富山市内をパパっと見られる所として、岩
瀬と富山城址公園を選択。

まずは岩瀬浜から岩瀬地区へ向かう。

岩瀬は、江戸時代から北前船の交易港として栄えた町だ。
「北前船で発展した、富山市岩瀬」→こちら


30分ほどでUターンしたが、本来最低1時間は見学したいところ
だ。




12:38 富山駅 ツアーの団体さん


12:39 岩瀬への行き方を聞く。「8番乗り場です」


12:39


12:42 プラットホームがいささか複雑だ。


12:43 岩瀬浜行


12:45


13:10 終点岩瀬浜駅


13:10


13:11


13:12


13:13


13:13 立派な墓地


13:14 大正11年3月建之


13:16


13:19 蜃気楼は見えるかな~?


13:19


13:20


13:21


13:29 岩瀬浜駅に戻って


13:34 東岩瀬駅へ


13:34 最初から東岩瀬で降りればよかった?


13:35


13:36


13:38


13:39


13:40


13:40 旧北陸道か?


13:41


13:42


13:42


13:43 枡田酒造店


13:43


13:44


13:45


13:45


13:46 北前船回船問屋森家 重要文化財 →こちら

森家は「岩瀬五大家」の一つ。こちらは明治11(1878)年に建て
られたもの。


13:46 北前船回船問屋森家 重要文化財


13:47


13:48 旧馬塲(ばば)家住宅 登録有形文化財 →こちら

馬塲(ばば)家は、「岩瀬五大家」の筆頭。
この住宅は明治6年の大火後、建てられたものだ。

馬塲家9代当主道久の妻はるは、旧制富山高等学校設立のために
多額の寄附をしたという。大変なお金持ちだった?


13:48


13:49


13:49


13:50


13:50


13:50


13:51


13:52


13:53 富山港展望台


13:54


13:56 展望台には階段を100段前後上らなければならない。


13:57


13:57


13:58


14:03


14:03


14:11


14:12 踏切を渡って


14:12 ドリームスタジアムとやま(富山競輪場)


14:14


14:15


14:16


14:34 富士フィルム富山化学 富山第一工場


14:40


14:43 富山駅に戻る。


14:45 みどりの窓口へ


14:48 

富山発18時17分発の切符を予約していたが、17時7分発に振り替
えてもらう。
後々、「結果オーライ」となったのだが。


コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 5/25 高岡(16) 富山へ | トップ | 5/25 高岡(18) 富山 ... »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (関学OBのMより)
2023-06-20 10:45:40
大阪へ戻った2017年₍平成29年₎に「大阪港開港150周年」記念行事が沢山あり、その中の一つが「北前船と大阪・北前船が運んでくれたもの」というセミナーがあり、北前船の主役が、がぜん「大阪」である事に気づき、以来「北前船」₍研究?₎にのめり込んでいます₍笑₎北陸新幹線が大阪まで延伸してくれた暁には、是非、立ち寄ってみたいと思います。
Unknown (katsura1125)
2023-06-20 15:50:34
関学OBのMさま、早速に有難うございました。
江戸時代はとくに大阪(大坂)は巨大な市場だったんでしょうね~。
北前船というのは単なる運送人ではなく、船主として商品を買い付けて売る商売をしていたようですね~。危険を冒しての商売だったから、逆に利益も大きかったのかもしれません。

北陸新幹線は来春に敦賀まで延伸されるようですが、敦賀~新大阪間の着工は未定だとか??
Unknown (関学OBのMより)
2023-06-20 17:33:08
北前船のウンチクを、、、もうちょっと?特に有名な北陸5大船主は①広海二三郎₍加賀・瀬越₎②大家七平₍加賀・瀬越₎③浜中八三郎₍加賀・塩屋₎④右近権左衛門₍越前・河野₎⑤馬塲道久₍富山・岩瀬₎等がおり、本宅は北陸にありましたが、大阪や小樽などにも、別宅を構えて、商売をしていました。明治20年には「北陸親議会」を結成して、日本海側にも進出してきた大手の日本郵船・大阪商船₍三菱・三井系₎に対抗しましたが、時流には勝てず、明治期の終わりごろには衰退していきました₍泣₎
Unknown (katsura1125)
2023-06-20 19:56:35
関学OBのMさま、有難うございます。
時代は汽船の時代になっていった、ということなのでしょうか・・・・・・。

自動車もガソリン車から電気自動車の時代へ?
Unknown (関学OBのMより)
2023-06-20 23:58:20
皮肉にも、北前船の終焉には戦争が付いて回っていたようです₍泣₎日露戦争で、ロシア海軍が日本海に敷設した「機雷」には、木造・帆布船はひとたまりもなく、航路を進めなかった?という説もあります₍泣₎昔も今も、海は海上交通の生命線なんですね₍泣₎
Unknown (katsura1125)
2023-06-21 05:04:37
関学OBのMさま、有難うございました。
そうなんですか!?全然知らなかったです。

コメントを投稿

旅行」カテゴリの最新記事